往来物手習い

むかし寺子屋では師匠が書簡などを元に往来物とよばれる教科書をつくっていました。
寺子屋塾&プロジェクト・井上淳之典の日常と学びのプロセスを坦々と綴ります。





むかし書いたコラム記事から(その3)

第3回「きんさんの死と『老人力』」

成田きんさんが107歳で大往生されました。ご冥福をお祈りします。
新聞で訃報の号外が出されたという話を聞き、きんさんは日本人にとって国民的アイドルの一人だったんだなぁと思ったものでしたが、高齢化社会と言われる現代では、「老い」はやはり多くの人の切実なテーマなのでしょう。
きんさんの気取らない明るさや元気さは多くの人の共感を呼び、葬儀には大勢の人が参列されたそうですが、私はきんさんの死と、自民党の長老議員が衆議院議員の定年制に反対しているという話が結びついて、ふと「老人力」という言葉を思い出したのでした。
赤瀬川原平著『老人力』という本がベストセラーになって、この言葉は市民権を得るに至ったのですが、どうも、最近この言葉の持っている本来の意味とは逆の使われ方がされている場合が多いように感じるのは私だけでしょうか。
先般も、あるイベントのチラシに、「老人力、生き生きと!」という言葉を見つけて???と思ったものです。
たしかに、老人になっても生き生きしているというのは理想ですネ。
でも、年を重ねれば、誰でも体が思うように動かなくなったり、物忘れしたり……というのが普通です。
そうした老化に伴って現れてくるような、普通はマイナスだと思われていることを、老人だからこそ持てる特別な「能力」なんだとという発想が、いつの間にか「元気な老年パワー」というような話になってしまったのは、どうしてでしょうか。
ひょっとしたら、長老議員たちの陰謀なのかも……などと勘ぐる人もいるかもしれません。
先回の「ボランティア」にしても「老人力」にしても、だいたい言葉というのは、だんだん本来の意味を離れて
一人歩きをしてしまうもののようです。
しかし、何事も引き際が肝要ですね。
長老議員の皆さんには「年寄りの冷や水」と言われる前に、楢山節でも聞いていただき、このようなあまり意味のないおしゃべりも、文句を言われる前に退散することにいたしましょう。(2000.1.30)
posted by Akinosuke Inoue 14:03comments(0)trackbacks(0)pookmark





むかし書いたコラム記事から(その2)

第2回 「ボランティアってタダ働き?」

阪神淡路大震災から丸5年。
多くのボランティアが活躍し、1994年はボランティア元年とも言われましたが、みなさんは「ボランティア」という言葉からは何を連想されますか?
無償の奉仕、そしてそれゆえに貴い行為、といったことをイメージされる方が多いのではと思いますが、実は「ボランティア」の語源は、「徴兵」に対して自ら志願して入隊する「志願兵」からきていて、「自発」「自生」という意味をもち、無償とか奉仕といった意味はもともとありません。
ボランティアという言葉が日本の社会で定着し、岩波『広辞苑』に載ったのは1969年のこと。
その頃の日本は高度経済成長のピークでしたから、お金も時間もゆとりのある人が、ヒマを活かして、見返りを期待せずに……といったイメージが定着したのはやむを得なかったかもしれません。
でも、震災後に神戸に駆けつけた人々は、ゆとりある暇な人ばかりではなかったのでは……
多くのボランティアによって開発され、無償で提供されているOS「リナックス」は、ある調査によると、1998年度出荷されたネットワーク用OSの17%を占めたそうです。
シェアが上がったからといって一文の得にもならないOSの開発に、人々はどうして熱中するんでしょう?
私も、このコラムを、いわゆるボランティアで書いているわけですが、ボランティアは他人のためではなく、自分が楽しいからやる、というのが原点なんでしょうね。
やってみないとこの楽しさはなかなかわかってもらえないようですが、早い話が単なる「物好き」というヤツでしょうか。
いえいえ、それは私だけではありません。
こんな文章をおしまいまでちゃんと読んで下さるあなただって……。(2000.1.23)
posted by Akinosuke Inoue 22:27comments(0)trackbacks(0)pookmark





むかし書いたコラム記事から(その1)

2000年ですから、もう17年も前のことなんですが、知人が出していた無料のメールマガジン爐圓鵜瓩暴毅渦鵑離據璽垢妊灰薀犁事を書かせてもらっていたことがありました。

当時の社会状況は今と異なりますし、時事ネタなども書いていて、今となっては情報としての価値はありませんが、このblogを書き始めるきっかけとなったmixiの日記を始める前のことで、このblogの過去記事には入っていませんし、記録の意味でこちらに転載して残しておこうとおもいます。

 
第1回「NPO? UFO?」


1998年12月に「特定非営利促進法」が成立し、最近は新聞紙上などにもNPOという文字がよく登場します。

しかし、どうもアルファベットの略号はご年配の方を中心に不評のようで、このNPOは、同じアルファベット3文字のUFO(未確認飛行物体)にも似て“未来からの異物”であるからか、「なんのこっちゃ?」「どうもようわかれへん」というコトバをしばしば聞きます。

NPOは一般に「民間非営利団体」と訳されるために、ボランティア団体と混同されることが多いようです。

だいたい「ボランティア」という言葉にしてももともとは無償奉仕という意味ではなかったのですが、「非営利」というのは無償奉仕とイコールではなく、利益を得ても出資者に分配しないで理念の実現のために再投資する事業体がNPOですから、“株主に配当しない企業”とか、行政でも企業でもなく、行政と企業の合いの子のような存在と思っていただければ分かりやすいかもしれません。

皆さんよくご存じの「赤十字」のような団体がNPOですが、広い意味でのNPOには小さなボランティア団体も含まれますから、幅広い意味をもつためにわかりにくいのです。
日本では、水戸黄門のような時代劇が高視聴率を上げています。

つまり、昔から行政と企業が公共の仕事の多くを担ってきた時代が長く、「この葵の御紋が目に入らぬか!」と、いろいろややこしい問題が起きても、最後にはお上が解決してくれるさ、という行政依存の風潮が強いのです。

しかし、現在では価値観の多様化などに伴い、さまざまな社会問題に行政と企業だけでは十分に対応できないこともわかってきました。一人一人の市民が目の前の問題に対して自己責任で自発的に取り組もうとする試みもしだいに増え、組織全体の利益ばかりでなく個人の自己実現も大切にしようという風潮も起こってきました。
つまり、NPOとは利益追求だけに走らず、だからといって無償ではなく、一人一人のやりたいことや夢を実現し、結果として公共のために役立つような働きをするしくみの一つなのです。

すると、このメールマガジン“ぴけ”もNPOの一つかもしれませんね。

え? まだようわからん?

いや、NPOはわかりにくいものだということだけでもわかっていただければ十分ですヨ。はい。(2000.1.16)

posted by Akinosuke Inoue 23:42comments(0)trackbacks(0)pookmark





VOP予告編ゾ絮撚顱〇臆辰気譴審Г気鵑隆響枴現

べてるの家.jpg
 
2017.7.30に中村教室で行った、べてるの家のドキュメンタリー映画『ベリーオーディナリーピープル』予告編その5「キヨシどん斯く語りき」上映会に参加された皆さんの感想文をご紹介します。
 
●私からみるとキヨシどんのどこがビョーキなのかよくわからない。けど、自分をコントロールできない衝動があるのは、ビョーキとしてみてもいいのかもしれない。自分をどうしたらいいのかよくわからなくなって、親に連れられて行くビョーインがあって良かったなぁと思う。たくさんの何かを背に人は育つけど、キヨシどんがビョーインに来たのもそういう愛の結晶であると思われた。ビタミン愛とは何か。

●途中、何を言っているのかわからなくて、ふりかえりのときに「もっと字幕があれば良かったな」というご意見がありましたが、私もそう思っていました。聞きとれず、後になってわかった部分もあったので、それはもったいなかったなと思いました。キヨシさんがご自身の病気を受け入れてて、治らない前提で向き合われている姿はとてもカッコイイと思ってしまいました。自分の弱さをさらけ出せるあの強さはどこからくるのでしょうか。自分ももっと自分と向き合い続ければ強くなれるのかな…と思いました。

●べてるの家の映画を観るのは2回目で、早坂潔さん(キヨシどん)の回は初めてでした。とくに印象的だったのは、語っているさまのあかるいことです。内容は重いことのときもあるから、それを負い目なくフツーに話せるのはすごい。自分なら劣等感と受けとめてしまうようなことをキヨシどんはなんでさらりとやっていけるのか、というふうに観ました(どう見えたというだけなのですが、実際はそんなに易しいことではないとおもいます)。観おえたあとに肯定感がありました。みて良かった。

●自分の常識範囲外にいかにでられるか、想いを馳せることができるのかは、社会が自分にとっても生き暮らしやすくなる上では大切なチカラであろう。『自分—他者—社会』のように横断して物事を考えられることも大切だ。他者を責めるでなく、できることと持ち寄り感謝し合いながら、地域の中で育まれる日常を他人事でなく私自身でつくっていかなければならない。どんな人も守られ生きることができ、どんな人も参画していける世の中のために、もう少しチカラを込めて暮らしていきたい。

●初めてべてるの家を映像で観て、25年も前からこういう場所があったことがすごいなぁと思った。もっと知りたいなと思った。私が生きている社会よりも、人と人とが対等、フラットで主体的で、自分自身と向き合えるところでステキだと思った。そしてとにかくいつも前向き、明るいきよしさんは調子が悪い時もあるけど楽しそうだった。皆さんの印象に残ったキーワードを聞けてまた違った視点でふり返ることができた。

●以前にべてるの本を読んで、実際にどんな雰囲気で活動しているのか知りたいと思っていました。自分でできないこと、困難なことに挑戦すること、限界を知ること、エネルギーをうまく配分すること、自分を語れるようになることが大切。また見守る人がいることが大切。良い状態も悪い状態も知っている人がいることが大切だと思いました。

●早坂さんのすごく調子がいい時と、悪くなると手がつけられなくなる状態、全く同じではないけれど、自分や自分の周囲で苦しんでいる人とアップダウンの感じが似ている人がいて、共感した。自分も最近は調子が落ちているときでも、たんたんと自分の状況を見れるようになってはいるが、早坂さんはその姿を人前に出て見せているのがすごいなと思う。苦しくてもきちんと困難を生きている感じがした。べてるの家や病院の先生たち、町に住む人たちが病気をもった人たちをそのままうけいれて、むりに治そうとせず、一緒にすごす姿勢がいいなと思った。

●キヨシどん=面白い人。という前情報が良くも悪くもあったので、病気がひどい時、あんなに落ちてしまうのか…と少し驚きました。言葉の選び方というのか、センスにはうらやましい気持ちになります。「ビタミン愛をもらいに来た」とか、自分でも言ってみたい。「俺とあなたの仲じゃないのか」という言葉。態度、言葉の中に優しさが込められている気がしました。だから、キヨシどんは愛されるのかなぁと思いました。私も優しく(自分じゃなくて)人に優しくありたいです。

●べてるの映画を少しだけみたことがありましたが、今日は何人かとふり返りができたことがよかったです。それぞれ気づいたことを言える環境があるのは、ステキなことだと思いました。私は普段、精神保健福祉士として精神科のデイケアで働いているのですが、私は何も知らず、何をやっていたんだろうと悲しく情けない気持ちになりました。誰でも思ったことを発言でき、受けとめてもらえる環境があり、ものごとを両面あるいは多面的にとらえていける場が働いているデイケアにもあったらどんなにいいかと思いました。

●自然に自分に向き合い、調子の良い時の自分も悪い時の自分にも素直に従っている事が自分を受け入れるということなのかなと思った。私はできているのかな? できていないから、右肩〜手先にかけてシビレ固まってしまうことをほんの3〜4日前に気づいた。精神に障がいを持った人に仕事を一緒にしようと持ちかける勇気にも心を動かされました。私も次の自分に進みたい!!

●キヨシどんが予告編1の冒頭に出てくるシーンがとても印象に残っていて、そのシーンはただキヨシどんがただ話している中に、何か語りきれないような経験や想いがあるように感じていた。今回、そのキヨシどんの日常が映し出された映像をみて、そのときに感じられた語りきれない言葉のようなものを感じることができたように思う。一番印象に残っている言葉は、犖続Δ簓袖い亙僂錣蕕覆き瓩箸いΔ海函けれど、それを取り巻く状況や環境は変わっているということ。キヨシどんの限界値はずっと変わっていないけれど、会社がよくなっていったり、様々な変化がある。病気のような限界をよく知り、語れることができるようになっていくと、その中で自分から提案ができたり、自分とうまくつきあって生きていけるのだと感じました。

 
予告編5の主役・キヨシどんこと早坂潔さんが2014年春に四日市にやって来られたことがありました。
その際に撮影したツーショット

キヨシどんとのツーショット

 
posted by Akinosuke Inoue 23:57comments(0)trackbacks(0)pookmark





中村教室にスクリーンを取り付けました

2017-07-29 23.41.35.jpg


中村教室に天井から吊り下げ方式のスクリーンを取り付けました。


7/30に行ったべてるの家のドキュメンタリー映画「ベリーオーディナリーピープル」予告編ゥ咼妊上映会で初めてお披露目し、好評をいただきました。

 


こうしたスクリーンもいろいろ種類がありますし、ホームシアター専用のものを購入すると最低でも1万円以上します。


もちろん高価な製品はそれなりにメリットはあるんですが、でも、もうすこし安くできないかとネットでいろいろ検索してアイデアを仕入れ、ニトリで手にいれた遮光用ロールスクリーン(幅130×高さ220)の白い裏地を使ったところ、なんと5,000円でおつりが来ました。(^^)v


実はプロジェクターも最近、SONYのLXPS-P1という最新式のを購入したので、それも7/30お披露目する予定でいて、4時間ぐらい格闘したんですが、パソコンの映像を映し出すことがどうしてもできず、そちらのほうは断念しました。

次回のビデオ上映会は、10/7に予定しているので、その時までにはちゃんと使えるように調整しておきたいとおもいます。
posted by Akinosuke Inoue 23:52comments(0)trackbacks(0)pookmark





柄谷行人『マルクスその可能性の中心』序章(その2)

マルクスその可能性の中心_柄谷行人.jpg

(その1)の続きです。

たとえば、モンテーニュのような思想家は反体系的な思想家の代表のようにみえる。われわれはモンテーニュのいうことをまとめてしまうことはできない。そこには、エピキュリアンもいれば、ストア学派もおり、パスカル的なキリスト教徒もいる。だが、それはけっして混乱した印象を与えない。注意深く読むならば、『エセー』のなかにはなにか原理的なものが、あるいは原理的にみようとする精神の動きがある。『エセー』がたえず新鮮なのは、それが非体系的で矛盾にみちているからではなく、どんな矛盾をも見ようとする新たな眼がそこにあるからだ。そして彼の思考の断片的形式は、むしろテクストをこえてあるような意味、透明な意味に対するたえまないプロテストと同じことなのである。

彼はこういっている。

わたしは低い輝きのない生活をお目にかける。かまうことはない。結局それは同じことになる。道徳哲学は、平民の私の生活の中からも、それよりずっと高貴な生活の中からも、全く同じように引き出される。人間はそれぞれ人間の本性を完全に身にそなえているのだ。世の著作者たちは、何かの特別な外的な特徴によって自分を人々に伝えている。わたしこそ初めて、わたしの全体によって、つまり文法家とか詩人とか法律家としてではなく、ミシェル・ド・モンテーニュとして、自分を伝えるのである。もし世の人たちが、わたしがあまり自分について語るといって嘆くならば、わたしは彼らが自分をさえ考えないことをうらみとする。

これは逆説であって、実は、モンテーニュはいわゆる自分のことなど書いてもいなければ考えてもいない。むしろ、世の人たちはあまりに自分のことばかり考えていると彼はいっているのである。

わたしこそ初めて、とモンテーニュがいうとき、彼は「自分」というものが主題となりうることを初めて見出した確信を語っているのだ。これまでの著作に対して、モンテーニュはいいえただろう。君たちは哲学者とか詩人として、人間について精神について語ったかもしれないが、まだ何も語ってないにひとしい。どんな説明も規定も解釈もうんざりだ。私は「自分」というありふれた、しかも奇怪なものについて語る。それに対してはどんな予断も躊躇も遠慮もしない、と。

モンテーニュが描き出したのは、「人間」に関する従来のさまざまな観念ではなく、いわばその内的な構造なのである。「人間」に関するどんな観念もモンテーニュの前ではこわれてしまう。しかし彼がそのことにすこしもおびえなかったのは、宗教や哲学がみいだす「人間」は「意味されるもの」にすぎず、その底には「自分」という奇怪な「意味するもの」がありそれがすべてだと考えていたからである。いいかえれば、主体でも自己意識でもなく、逆にそれらがそこから派生してくるような「自分」がある。それはいわゆる自分ではなく、彼が引用するテクストそのものである。

マルクスは『資本論』についてつぎのように書いている。

 
商品は、一見したところでは自明で平凡な物のようにみえる。が、分析してみると、それは、形而上学的な繊細さと神学的な意地悪さとにみちた、きわめて奇怪なものであることがわかる。

それまでの経済学者は、眼にうつるかぎりのカテゴリーを整理してすでに経済学の体系を組み立てていた。マルクスはその諸カテゴリーを継承しそれを批判的に再構成したといえるが、しかしもっとも単純で何の変哲もないただの商品に、「形而上学的な繊細さと神学的な意地悪さ」をみいだす眼は、もはや経済学者のものではない。どんな経済学者も、否むしろ経済学者の方こそ、こんなものを自明のものとして通りぬけるだろう。

貨幣が、シェークスピアが『アセンズのダイモン』で省察したように、なにとでもとってかわりうる怪物であり、さらに資本が「利子を生む資本」として自己増殖する怪物であることは、だれにでもわかる。だが、マルクスはまず商品からはじめる。「自明で平凡な物」からはじめるのである。それはたんに叙述の都合からではない。ヘーゲルの体系においては直接的なものは抽象的で空虚なものにすぎない。しかし、『資本論』において、この最も単純な商品の奇怪さは、叙述のどの段階にいても存続しいわば姿を変えてふくれあがっていくのであって、さきのことばこそ全体の鍵である。

『資本論』という作品が卓越しているのは、それが資本制生産の秘密を暴露しているからではなく、このありふれた商品の爐わめて奇怪な畧質に対するマルクスの驚きにある。商品は一見すれば、生産物でありさまざまな使用価値であるが、よくみるならば、それは人間の意志をこえて動きだし人間を拘束する一つの観念形態である。ここにすべてがふくまれている。既成の経済学体系は、ありふれた商品を奇怪なものとしてみる眼によって破られた。マルクスは、初めて商品あるいは価値形態を見出したのだ。


柄谷行人『マルクスその可能性の中心』(講談社学術文庫)より
COMMENT:表紙の写真は1990年に出た現行の学術文庫版ではなく1985年に出版された講談社文庫版を載せました。講談社文庫版には、学術文庫では除かれた、著者自身による16ページにおよぶ「文庫版へのあとがき」と笠井潔さんの15ページにおよぶ解説というガイドがあります。初めて柄谷さんの著書にチャレンジしてみようという向きには講談社文庫版をオススメしますが、Amazonで検索しても古本でも出てきませんので、入手するのが難しいかもしれません。
posted by Akinosuke Inoue 13:58comments(0)trackbacks(0)pookmark





柄谷行人『マルクスその可能性の中心』序章(その1)

2017-08-14 14.37.37.jpg

 


ひとりの思想家について論じるということは、その作品について論じることである。これは自明の事柄のように見えるが、必ずしもそうではない。たとえばマルクスを知るには『資本論』を熟読すればよい。しかし、ひとは、史的唯物論とか弁証法的唯物論といった外在的なイデオロギーを通して、ただそれを確認するために『資本論』を読む。それでは読んだことにはならない。“作品”の外にどんな哲学も作者の意図も前提しないで読むこと、それが私が作品を読むということの意味である。

 

『資本論ー経済学批判』は、経済学史においてはすでに古典である。それは二つのことを意味する。一つは、この書物はそれが表示する世界や知識が古びたということに応じて古びているということであり、もう一つは、エピクロスやスピノザを読む場合と同じように、犖電記瓩鯑匹爐箸いΔ海箸蓮△垢任砲修里茲Δ奮扱舛鯡技襪靴董△修硫椎柔の中心において読むことにほからないということである。

 
マルクスは次のようにいっている。

 

 

僕は病気のあいだに君の『ヘラクレイトス』を十分に研究して、散逸した体系を組み立て直す仕事がみごとにできていると思うし。また論争にみられる鋭い洞察にも感じいった。(中略)君がこの仕事で克服しなければならなかった困難は、僕も約18年前にもっとずっとやさしい哲学者エピクロスについて似たような仕事――つまり断片からの全体系の叙述をやったので、僕にはよくわかっている。ついでだが、この体系については、ヘラクレイトスの場合と同じように、体系はただそれ自体エピクロスの著作にあるだけで、意識的な体系化のなかに存在しなかった、と僕は確信している。その仕事に体系的な形を与えている哲学者たち、たとえばスピノザの場合でさえ彼の体系の本当の内部構造は、彼によって体系が意識的に叙述された形式とはまったくちがっている。(1858年5月31日ラッサール宛書簡)

 


マルクスの洞察は、ただたんに過去の思想家についてだけあてはまるのではない。彼が『資本論』でやった仕事は、まさに資本制社会の意識的な体系化(古典経済学)の批判であり、「資本社会の内的構造」を照明することだったからだ。とすれば、彼のこの牾凌瓩砲蓮△修譴泙任泙醒も想達しなかったようなある省察がひそんでいるといいうるのである。
 

だが、それについてはのちにのべるだろう。今いうべきことは、前の言葉がマルクスの作品についてもあてはまるということである。彼がいうように、ある思想家を、その外形が体系的であるか断片的であるかによって区別することは無意味である。どんな反体系的な思想家も、内的な意味で体系的であり、そうでなければ彼は思想家ではない。要するに、それは彼がものごとを根底的(ラディカル)に考えることをしなかったということを意味するだけだからだ。(→その2に続きます)

 


柄谷行人『マルクスその可能性の中心』(講談社学術文庫)より

COMMENT:のっけから「そもそも、ひとりの思想家の著作を読むとは、いったいどういうことなのか?」というような根源に迫る問いから始まる柄谷行人さんの評論文『マルクスその可能性の中心』の冒頭部分なんですが、かつてわたしが20代だった頃、この本を初めて手にしたときには、内容がまったく理解できなかったこの本も、その洞察の深さがハンパでないということが最近になってようやく感じ取れるようになってきました。
posted by Akinosuke Inoue 23:05comments(0)trackbacks(0)pookmark





『恋する春画 浮世絵入門』より

恋する春画_表紙.jpg

 


本書は、書店での立ち読み断念、挙動不審で親バレ、レジにイケメンがいたので購入躊躇など、嬉しい悲鳴(?)が相次いだ『芸術新潮』7年ぶりとなる春画特集「恋する春画」(2010年12月号)を再編集したものです。これまで女性読者には敷居が高いと思われていたテーマである春画について、まずは手に取るところから始め、本来の魅力を知ってもらうために立てた企画でしたが、期せずして女性ばかりでなく、多くの読者にとって「目ウロコ」な特集となりました。


日本ではいまだに「春画」というと、ひと目を憚るもの、声を潜めて語らなければならないもの、罪深いもの、淫靡で卑猥な恥じるべきもの、という感覚が強く残っていますが、これは明治以降に西洋から持ち込まれた、キリスト教的道徳観に裏打ちされた見方。江戸時代までの日本人にとって、「性」は恥ずべきものでも隠すべきものでもありませんでした。本書ではそうした春画へのタブー意識を取り払い、「読む」「笑う」という、従来あまり注目されてこなかった、しかし江戸時代の庶民にとっての「リアルな春画」を理解する上で非常に重要な要素を、大きく採り上げています。そしてよくよく見てみれば、ナンパあり、不倫あり、コスプレあり、BL(ボーイズラブ)あり、コメディあり、悲劇あり、ファンタジーまである百花繚乱の大江戸春画ワールドは、現代とも地続き。「遠くのTVドラマより近くの春画」というわけで、下駄履きご近所感覚でお楽しみいただければ幸いです。(橋本麻里)

 


橋本麻里編 早川聞多 橋本治 赤間亮『恋する春画 浮世絵入門』(新潮社・とんぼの本)より 編者によるまえがき

 


COMMENT:3/8付けの記事「教えない性教育、実践のための参考本20」で紹介した1冊。江戸時代の春画は「笑い絵」と呼ばれ、男性だけのためのポルノグラフィーではなく、嫁入り前の娘も共白髪の夫婦も、老若男女問わず親しんでいたとのこと。編集者であり永青文庫副館長でもある橋本麻里さんが3人のエキスパートを案内人に迎え、成り立ちから「書入れ」の読み方まで、女子の視点で明るく読み解く春画入門書。

一昨年2015年暮れに永青文庫にて行われた「SHUNGA春画展」の入場者数が18万を超えたことを報じる記事に橋本さんへのインタビューがありましたので、こちらもご覧ください。
 

 

恋する春画02.jpg

 


おまけ:橋本麻里さんへのインタビュー映像(JAPAN HOUSE)
 

posted by Akinosuke Inoue 23:15comments(0)trackbacks(0)pookmark





世の中は心一つのおきどころ、楽も苦となり苦も楽となる

南禅寺.jpg

 


昔々、南禅寺の門前に「泣き婆さん」と言われた婆さんがいました。雨が降れば泣き、天気が好ければ泣く、降っても照っても、いつも泣いているから、南禅寺の和尚さんが不審に思い、

 


「一体、お前はなぜそう泣くのか」

 


と、尋ねると、婆さんの言うことには、

 


「私には息子が二人います。一人の息子は、三条で駒下駄屋をやっています。今一人の息子は、五条大橋の側で雨傘屋をやっています。ところが、天気の好い日には傘屋の方はサッパリ商売になりませんから、誠に可哀そうでなりません。また雨天になると、駒下駄屋をやっている方は少しも店があたりませんので、息子がきっと困っているだろうと思いますと、はや泣くまいと思っても泣かずにはいられません」 といいます。

 


なるほど・・こんな風に考えたら、一生泣き通しているより仕方がない。そこで和尚さんが、

 


「なるほど、聞いてみれば一応は尤もなようだが、そう考えるのはお前が下手だ。わしが一つ、一生涯、嬉しく有難く暮らせるような方法を教えてあげよう」

 


とおっしゃると、その婆さん、

 


「そんな結構なことがあるなら、是非一つ聞かしてくだされ」

 


という。そこで和尚さんが言うことには、

 


「世の中の禍福は、糾(あざな)える縄のごとしというて、禍(わざわい)と福(さいわい)とは必ず相伴うものである。世の中は、幸福ばかり続くものでなければ、また不幸せばかりあるものでもない。お前は不幸せな方ばかり考えて、幸せの方を一向考えないから、そのように泣きどうしなのだ。天気の好い日は、今日は三条通りの駒下駄屋の店は千客万来で、目の回るほど繁昌すると思うがよい。雨の降る日には、今日は五条の傘屋の店は売れるは売れるは羽が生えて飛ぶように売れる。とても一人や二人の丁稚では忙しく
手が届かないというように思ったらよい。こう考えたら、天気は天気で嬉しかろう。降れば降ったで嬉しかろう」

 


と話したので、その泣き婆さん、それからは楽しく暮らしたということです。


世の中は心一つのおきどころ、楽も苦となり苦も楽となる。
 

※加藤咄堂『修養全集』(講談社)より

posted by Akinosuke Inoue 22:34comments(0)trackbacks(0)pookmark





野口晴哉『健康生活の原理 活元運動のすすめ』より(その3)



8/10に書いた記事(その2)の続きです


まだ他にもいろいろの問題があります。

たとえば、心臓を研究する人は心臓ばかりを研究する、胃袋を研究する人は胃袋ばかりを研究する。そしてそれらを集めたものが人間の体だと思いこむ。そこで、それぞれの知識をみんなで持ち寄れば人間が丈夫になるというように考えています。

けれども人間というものは、もともといろいろの部品が集まってできたものではない。胃袋と心臓と肺臓と……いわゆる五臓六腑、四肢五体が集まって出来あがったものが人間ではない。はじめは一箇の生殖細胞を創る以前のある働きであった。それが発展してほうぼうから必要な栄養物を摂取して育ってきたもので、胃袋も心臓もみんな一つのものなのです。元は一つのものとして考えなければならない。だから、この人の心臓は丈夫だとか、胃が弱いとか、どこが悪いとかいうのは言葉のテクニックであって、やはり体全体が一つの生命として生きているというところから入っていかないと、人間の健康問題を正しく理解することはできません。

私は医学的な考えというものも、あるいは体の解剖学的構造というものについて、何も学ばない十代のころから、大勢の人に愉気をし、また活元運動を誘導して健康を保つように指導してきました。痒いところを掻くと痒みが止まるようなものだったのでしょう。そのための体の構造も知らなければ、何を食べたらよいか、そういうことも知らないのに、相手を健康に導き得たのです。

何を基準に導いたか。強いていえば、人間はどうして生きているのか、生きている力を潑溂(はつらつ)とさせるにはどうしたらよいか、人間の勢いということ、気の集注分散の波、ただそれだけを見つめ、その勢いを使って、さらにかくれている勢いを誘い出す、それだけのことを目標にしておりました。これは今日でも変わりありません。長いあいだ、いろいろなことをやっても結局生きられないような人も見てきました。何もしないのに丈夫に生きている人も見てきました。その理由をいつまでも考えました。だから私の知識は五十何年、一つ所へ坐りこんで、来る人の体を丁寧に観察し、その裡(うち)にある勢いと、その勢いのもたらす体の変化だけを一人一人、調べ考えてきただけなのです。

丁度、独楽(こま)を回すと立っているのと同じです。独楽の構造をいくら調べても、静止の状態で立っておれるはずがない。けれども回転していると立っている。なぜ立つのか判らないが、勢いが弱ってくるとふらついて倒れてしまう。それゆえ、立っている姿によって、その力がどう働いて立っているのかが判る。その回っている力、つまり勢いを加減して角度を変えることによってだけ、体を丈夫にし得るということを会得したのであります。私の知っているのはただそれだけなのです。

ですから、わたしの言う日常生活の常識というものは、勉強して作った日常生活の常識とは、かなり違いがありはしないかと思うのです。もしあるとすれば、私の知識が人間の外側から追いかけたのではなく、裡にある働き、見えないものから出発しているからであります。


野口晴哉『健康生活の原理 活元運動のすすめ』(全生社) 健康生活の原理より

 

posted by Akinosuke Inoue 01:02comments(0)trackbacks(0)pookmark