往来物手習い

むかし寺子屋では師匠が書簡などを元に往来物とよばれる教科書をつくっていました。
寺子屋塾&プロジェクト・井上淳之典の日常と学びのプロセスを坦々と綴ります。





ピカソ「7つの助言」

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1. 必ずできると信じろ
2. 限界を超えろ
3. 「その時」を待つな
4. 動け
5. 正しく問え
6. ジャッジせず、隠された美を見ろ
7. 遅すぎるなんてことはない

 
※ピカソ「七つの助言」の出典はこちら。また、冒頭の画像はwikipedia commonsのこちらのページから借用しました。
 ピカソは音楽家との交流も深かったようで、このblogでは以前にもこちらの記事でイゴール・ストラヴィンスキーの肖像画や楽譜の表紙絵を、またこちらの記事では、エリック・サティの肖像画をご紹介したことがあります。
 この夏にヨーロッパを旅行した際に訪れた、デンマーク・コペンハーゲン郊外にあるルイジアナ現代美術館にもピカソの「Breakfast in the Green」が展示されていました。これは1963年に発表された、エドゥアール・マネの絵画をモチーフにした作品とのことです。
 
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Pablo Picasso:Breakfast in the Green(1963)
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なやばし夜イチ・クラフトビール祭に行ってきました

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今日はひさしぶりのビールネタを。
 

 

9/23は、午前中に名古屋まで出かける所用があり、午後からなやばし夜イチのクラフトビール祭を覗いてきました。

なやばし夜イチの公式blogはこちら
 
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なやばし夜イチは、こんなふうに錦通りから広小路通りまでの間の堀川両岸に、
お店が立ち並ぶという趣向です。
 
今回はビールがテーマだったので、フランクフルトなどのおつまみや軽食の販売や、小物などのお店もあり、広い世代の人でなかなか賑わっていました。
メインのクラフトビールの出店状況はこんな感じです。
 


また、午後1時から3時までは「ハッピーアワー」と称し、通常4枚綴り1500円のビールチケットで一杯余分つまり、5杯分楽しめます。
 

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それならもちろん、その時間帯にいきますよね?
 
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一杯目はアルコール度数3.5%ベルギーのフルーツビールからゆるゆると〜(о´∀`о)〜
 

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二杯目は、三重のいなべで育った古代小麦を使ってつくられたという
イベントブランドの「夜イチビール」を試してみました。
 
いなべの小麦をつかった地ビールという話はいままで聞いたことがなく
初耳だったのですが、あっさりした口当たりで美味しかったです。
 
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三杯目は、日本酒の銘酒として知られる八海山がつくっている「八海山泉ビール」を。
2種類あったので、香ばしいアルトの方を。
 
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四杯目となりだいぶ酔っ払ってきています。f^_^;

多度の上馬神事で知られる地元三重のオーガニック地ビール上馬を。
上馬ビールのことは知ってましたが飲んだことがなく、
かなりこだわりで作っているお酒だと初めて知りました。
 

 

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ピルスナーのヘレス、色の濃いデュンケル、ストロングラガーと三種類あって迷いましたが、
香ばしくて甘口のデュンケルにしました。^ ^
 

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おしまいの5杯目は、ずっしりアルコール8.5%ベルギービールのレフォールで仕上げ。
 
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なやばし夜イチは2010年8月から始まり、今年で7年目ということですが、
これからも月イチペースで開催していくようで、
来月は10/26(木)〜27(金)に開催ということです。
 
クラフトビール祭、というので初めて覗いたんですがなかなか楽しめました。(^o^)
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あるがままを受け入れることと現状肯定の違い

為末大さんが2年まえの夏に書かれた「あるがままを受け入れることと、現状肯定の違い」というブログ記事があります。

 

この記事を読みながらまず最初におもいだしたのは、二村ヒトシさんが、『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』(文庫ぎんが堂)のなかで「自己受容」と「インチキ自己肯定」 と使い分けられていたことでした。

 

つまり、この「あるがままを受容する」という言葉はなかなか厄介で、「そのままの自分でイイんだ」という風に、現状をそのまま肯定することと誤解されやすいんですね。
 
「わからない、できない、考えない」をキャッチフレーズにしている寺子屋塾なので、わたしも「できない体験が大事」「できることを目的にしない」といった言葉をよく口にするんですが、「自己受容」ではなく、「そのままの自分でイイんだ」という風に解釈をされることもすくなくありません。

 

この「自己受容」とは、自分を肯定するのではなく、肯定も否定もしない・・・つまり、イイとか良くないとかいう自分の判断を手放すことで、自分の思考の枠組みから自由になることを言っていて、「現状肯定」とはまったく違うんですが、そのあたりのニュアンスはなかなか伝わりにくいなぁと。
 
人間生きていると日々いろんなことが起きます。

 

まわりの状況は常に揺れ動き変化していますし、そうしたおもいがけない出来事は、自分のあり方や生き方を考え直すきっかけというか、自分の良し悪しのモノサシの基準を問いなおすことにつながっているんですね。

 

でも、往々にしてひとは、いままで形作ってきた思考の枠組みに無自覚なまま日々を過ごしているため、目の前のできごとをそうした自分の思考の範疇でしか捉えられず、都合の良いように解釈してしまったり、自分の本心とちゃんと向き合うことなくやりすごしてしまったりすることがしばしばです。
 
そうです。大人も子どもも、だれもが例外なく、ほんとうは心の底では「できるようになりたい」とおもっているのです。ちがいますか?

 

まわりが自分をどう評価するかとかいうことと関係なく、いままでに無自覚のうちに形成されてきた価値観の刷り込みなどを排して「自分は本当はどうしたいのか?」と純粋に自身に問いかけたとき、「自分はできないままでいい」とおもうひとなどひとりもいません。

 

よって、「できない体験が大事」というのは、できないままでイイとおもっている故のコトバではなく、「できない体験」を、いままでもっていた、「できることがイイことで、できないのはよくないこと」といった判断のモノサシやおもいこみについて自分自身に問いかけ再考するきっかけとして欲しいんですが、ほとんどの人にそうした経験が過去にないようで、なかなか伝わりにくいんですね。
 
寺子屋塾の塾生のなかにも、できない体験をきっかけにさまざまな問いが浮かび、いままで自分の知らなかった側面を発見してどんどん変化していく人と、できないままでなかなか変化しない人とがいます。

そうした、できない状態のままでなかなか変化していかない人たちには、できない原因を「仕事が忙しい」「気分がすぐれない」など外的環境や条件のせいにして自分自身を観ようとしていなかったり、逆に、外的な環境条件を問うことなく目の前に起きている現象のネガティブな側面ばかりにフォーカスし過ぎて必要以上に自分を責め、やろうとする気力自体を失わせてしまっていたりという、いくつかの共通点があることもわかってきました。
 
結局、不条理なのは世の中の方ではなく、私たちの頭の中の思考であって、自分を苦しめているのは他でもない自分自身なんですね。

 

でも、このことがほんとうに腑に落ちると、為末さんが終わりのほうで書かれているように、「考えても仕方がないことは考えるのを止め、目の前のことをたんたんとやりつづける」という所へ行けるような気がするんですが、いかがでしょうか?

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来週から愛知淑徳大学の授業が始まります

2015年10大ニュースのに書きましたが、

愛知淑徳大学にて、2017年後期授業からコミュニティ・コラボレーション・センター開講科目として、

ファシリテーター養成講座の授業を担当します。
 

 

シラバスは今年の年明けすぐの頃に公開されていたんですが、

星ヶ丘キャンパスと長久手キャンパスの両方で、

9/28を第1回として15回の授業を予定しています。
 

 

授業の具体的内容に関心のある方は、シラバス検索システムをアクセスして

キーワード検索にて「ファシリテーター養成講座」、

もしくは教員別検索にて「井上淳之典」の項目をご覧ください。
 

 

先週の木曜9/14から履修登録がはじまり、定員50名で募集したところ、

星ヶ丘キャンパスは87名が希望して抽選に、

長久手キャンパスは21名が希望して追加履修登録受付中と、

CCC担当の先生から連絡をいただきました。
 

さして実績があるわけではないわたしの授業に
こんなにもたくさん履修を希望してしてもらい、
嬉しくおもうと同時に身が引き締まります。
 
内容的には、2005年から12年かけて練り上げてきたプログラムなので、
市民対象の講座としての実績はありますが、
今までは1回4時間を基本単位で行ってきたため、
大学の授業として90分の授業を週1回のインターバルで
15回続けるスタイルは初めての経験で、
わたしにとっては新たなチャレンジでもあります。
 
また、もう一つのチャレンジは、評価です。
寺子屋塾の学習においては、
「評価しない」姿勢を大事にしていますが、
大学の授業ではそういうわけにはいきませんから、
そのモットーとどう折り合いをつけるかというところです。
 
いずれにしても、新しい出会いや発見がたくさん生まれそうでたのしみです。(^^)/
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幸福や平和を目指さない生き方

自然環境を守ろうという人が
自然環境をいちばん破壊しているかもしれない。
子どもたちを教育しようとする人が
子どもたちをいちばん窮地に追い込んでいるかもしれない。
平和を声高に叫んで運動する人が、
戦争にいちばん加担しているかもしれない。
なぜなら、何かを目指すことは、
いまあるものを否定し破壊するからだ。


遠い未来に幸福をもとめるよりは、
いま、ここに幸福が感じられるほうがいい。

平和に至る道をつくろうとするよりは、
道そのものが平和なんだと気づいたほうがいい。(1998.7.23)

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治さない医療とは?

病気になると誰もが治そうとするが、
自然治癒力は誰の身体にも例外なく備わっているのだから
その自然治癒力が働くようにするだけで、

病気は自然に治っていくはずなのに

現実には治る病気と治らない病気があるのは、

いったいどうしてだろう?

病気を嫌がる人は多いけれど、
その人がどんな病気になり、

その病気が治るか治らないかは
まわりの人との関係や

その人自身の心の持ち方、考え方と

無関係でないように思えるし、

まさに病気とはその人の人生そのものともいえる。


そうであるなら、たぶんどのような病気であっても、

その人にとってその病気が必要だったからで
病気のままでいるのも病気が治っていくのも、

その人自身の選択だと考えると
病気をいかに治すかということよりも、

病気になったこと自体の方に

意味があるように思えてくる。


よって、その病気をまわりの人間が治してしまうことは
せっかくなった病気をとりあげてしまうことになるわけで、
病気になったことの意味がなくなってしまうのかもしれない。


病気になるのもその人自身の選択で、

病気を治すのもその人自身で選択であるとするなら、
医師の役割は病気を治すことにはなく、
どうしてその病気になったかをその人が自分で気づき
その人自身の中に病気を治す力があることに
気づくように援助することではないだろうか。

そうすると、病気にならないように注意を払うことよりも
いつ病気になっても大丈夫と思えるように日々を過ごし
病気とどう付き合って行くかを工夫することの方が
大事なことのように思えてきた。(2000.7.10)

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おもい通りに行かないから面白い

体験するためにこの世に生まれてきたのなら

自分のおもい通りに行かないからこそ、
生きていて面白いのだ。


もし、すべてのことが予定通り
おもい通りに運ぶのならば、
生きてみるだけの価値などない。(2000.6.11)
            

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むかし書いたコラム記事から(その32)

第32回「おいしく、たのしく、ありがたく」

先週の水曜日、桑名市コミュニティプラザで、自然食料理研究家・船越康弘さんのお話を伺う機会がありました。

船越さんは1986年に岡山県川上町に民宿「百姓屋敷わら」を開業。

岡山駅から車で1時間以上かかる山奥にもかかわらず、自然食でもてなす数少ない民宿として全国からファンが訪れ、最盛時その数は年間3000人を超えていました。

しかし、船越さんは、そこに甘んじることなく新たなステージへと、民宿の経営を他の人に預けて2年前にニュージーランドに移住。

年に2度ほどは日本に帰って各地をまわり、講演されています。

船越さんの話はとてもわかりやすく、単純明快です。

ご飯をたべよう、食べ物に感謝しよう、よく噛んでたべよう、おなかがすいたらたべよう、朝は早く起きよう、笑顔を絶やさないようにしよう・・・いずれもお金がかからず、誰でもすぐに実践できることばかりです。

眉間にしわを寄せ、「玄米」「無農薬」とシャカリキになるのはやめよう。

お昼のTV番組司会者Mさんにそそのかされ、次々と宣伝されるものを買い求め、やれ、「クロレラ」だの「朝鮮人参」だの「酵素」だのと健康食品を追いかけるのはやめよう。

健康になるためにたくさんのお金は必要ない、「自然食」というのは、玄米や無農薬、無添加のものを追い求めることではないし、何よりおいしくなければいけない、というのが船越さんの持論です。

おいしさや外見を犠牲にしている自然食や健康食が多い中で、船越さんが作られる料理はおいしいだけでなく、器選びや盛りつけなどに細かい配慮がなされています。

何事もやっていてたのしいことでなければ続きません。

私が船越さんと初めてお会いしたのは9年前のことでした。

以来何度もお話を伺う機会がありましたが、いつも感心し共感するのは、狭い世界に安住せずに常に外側に視点を向け新しいチャレンジをされていることです。

そして、何よりも船越さん自身が毎日を本当に楽しく生きているんだ、ということが実感として伝わってくることです。

また、船越さんのお話には「こうすれば必ず幸せになる」「私を信じれば救われる」といった押しつけがましいところがほとんどなく、私自身も大事にしたいと思うことです。

今までの体験や経験から得た確信を語りはしても、それを聞いた人々がどう受け止め、どう役立たせるかは自由で、「結局はあなた次第なんですよ」という姿勢を崩しません。

おいしく、たのしく、ありがたく・・・あれやこれやと考えすぎるのはやめにして、これからはシンプルに生きてみませんか?

※今回の記事で「むかし書いたコラム記事から」シリーズは終了です
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むかし書いたコラム記事から(その31)

第31回「地域の学校“コミュニティスクール”」

学校5日制が始まって半年たちましたが、皆さんは土日をどのようにお過ごしですか?
 
この学校5日制は、文部科学省としては、「子どもたちが地域、家庭で過ごす時間を増やすことで、“生きる力”を身につけさせたい」という目的があるようですが、その一方で学力の低下が懸念されるなど、親も子も学校現場の先生方にもとまどいが感じられます。

 

昔は子どもたちを受け入れ育んでいこうという風土が地域社会にありました。

ところが、今日ではあちこちでそうしたコミュニティが崩壊の危機に瀕していて、居場所、行き場所のない子どもたちが、コンビニにたむろすることになってしまうわけです。

しかし、崩壊した地域コミュニティを一朝一夕でつくり直すなんてことは到底できませんから、混乱はまだまだしばらく続くことでしょう。

私も7才と5才の男子の親なので、学校週5日制は切実な問題でもあるのですが、土日を安心して過ごせるような子どもたちの居場所づくりを実践しようと、全国でいろんな動きが始まっています。
たとえば、員弁町では「コミュニティスクール」という名前で、地域の大人たちが地域の子どもたちを育てていこうという実践が今年度から始まりました。

 

具体的には、自然体験や和太鼓、歴史発見、親子創作という4つの教室が地域の人たちを中心に運営されています。
今は教育委員会が企画の大枠をつくり、国の予算を使って運営されているのですが、将来的には地元の人たちが自前で企画を立て運営できるようにしていきたいということで、私も今年の夏からそうした動きのお手伝いをさせてもらっています。

子どもたちにとって、学校や家庭が大事な場所であることは言うまでもありません。

しかし、今ある教育の問題が、家庭だけ、学校だけでは解決できなくなっているのは確かです。

「地域の教育力が低下した」と言われて久しいのですが、地域コミュニティには異世代の人々がふれあうチャンスが多く、家庭でも学校でもできないことを実現できる可能性があるといえるでしょう。

超高齢化社会がやってきつつある今日、お互いに助け合い支え合えるような地域コミュニティの存在如何で、その地域が暮らしやすいかどうかが決まると言っても過言でありません。

でも、だからといって、あせっても仕方ないでしょう。

みんなでいっしょにつくっていくことが大事ですから、一人だけが無理して頑張る必要はなく、それぞれ一人ひとりが自分のできることを持ち寄ればいいのです。

子どもたちの居場所づくりに参加するところから、地域コミュニティを見直してみませんか?

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むかし書いたコラム記事から(その30)

第30回「病を愛する、癌を愛する」

10月10〜13日と南勢地方の海山町に行って来ました。

「環境教育ミーティング中部2002 in みえ」という環境教育に関心のある人たちの研究集会で、年に1回中部7県で持ち回りで開催されています。その集まりで、腎臓癌を食事療法で克服されたという寺山心一翁さんのお話を聞く時間がありました。
寺山さんは今から18年前に癌になり、癌に気づいたときには肺や直腸にも転移していていました。

医師から「余命あと数ヶ月」と宣告されたのですが、色んなご縁があって、マクロビオティックとであい、その考え方に基づく食養生法をすぐに実践されました。
腎臓摘出手術を受けた後、寺山さんは放射線と抗ガン剤治療の副作用で髪の毛は抜け落ち、髭は真っ白、立って歩くのがやっとという状態だったそうです。
しかし、そうした西洋医学の治療をやめ、日常の食事を玄米菜食に切り替えたことでみるみる良くなっていき、2年半後には、何と肺や直腸にあった影も消えてしまっていました。

寺山さんのお話の中で最も印象的だったのは、「今までに得た知識を捨て、『病を愛する』『癌を愛する』という気持ちになれたときから、自分の身体が快復していったように思う」と言われたことでした。
人間には自然治癒力というものが誰にでも備わっています。

身体を作るのは食べ物であって、確かに食は生活の基本です。

寺山さんにとっては玄米食や絶食療法も良かったのでしょう。

でも、現実には、西洋医学に見放され、食事療法のような代替療法とよばれる治療を受けても、良くなる人と良くならない人がいます。

その違いは、寺山さんのように、「病(癌)は他でもない自分が作ったんだ」と気づいたかどうかによるのではないかと思いました。
近年の西洋医学の進歩にはめざましいものがあり、癌も早期に発見すれば、かなり治癒率が高くなっています。

私は西洋医学を決して全否定しているわけではなく、自分にとって納得でき、自分に合った治療法を選ぶことが大事なことだと考えています。
科学の発達した今日でもなお、西洋医学において癌の治療法は確立しておらず、「死の病」と言われているのはなぜでしょうか?
ある人から「癌は、身体中の毒素がまわり散らないように一所に集めたもので、身体にとって必要だからできたものだ」という話を聞いたことがあります。
また、「人は癌では死なない。『癌になると死ぬ』という恐怖心で死んでしまう」という人がいて、私は目からからウロコが落ちる思いをしました。

癌を切除したり、抗ガン剤を入れたり、放射線でもって叩いたりするという西洋医学の治療法は、病を悪とし、癌を敵視する考え方が基本です。

人類が癌という病をのりこえるためには、こうした発想を根底から転換することが必要なのかもしれません。

寺山心一翁オフィス公式website

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