往来物手習い

むかし寺子屋では師匠が書簡などを元に往来物とよばれる教科書をつくっていました。
寺子屋塾&プロジェクト・井上淳之典の日常と学びのプロセスを坦々と綴ります。





「ふみ便り」から25年、「楽々かわらばん」から23年

ふみ便り&楽々かわらばん.jpg

7月は「文月」で、23という数字は「ふみ」と読めますね。

きょう7月23日は、「ふみの日」なんですが、知っていますか?

1979年にはまだ郵便局は国営企業で、当時の郵政省が郵便物の利用促進を目的に制定した記念日なんです。

1992年3月に進学塾を退職し、その春から単身上京して日本CI協会の研修生となったわたしは、その年の「ふみの日」7月23日に出し始めた月刊のハガキ大通信が写真の「ふみ便り」でした。

「ふみ便り」は、わたしの戸籍名(雅文・まさふみ)の発信する個人通信という意味合いを載せてのネーミングだったんですが、ちょうどその日から今日は25年めにあたります。
 

最初「ふみ便り」は進学塾時代の教え子や知人など100人ほどに出していたんですが、CI協会という場所はとても人の出入りの多い場所でしたし、新たに出会う人がどんどん増えていって、翌年の秋ころには400枚近くになっていました。

 
その後、妻と出会い、寺子屋塾の起業は、妻との結婚生活と同時スタートだったんですが、1994年7月には、このハガキ通信の拡大版として、月刊通信「楽々かわらばん」を創刊します。
 
妻とお見合いした日が10月24日、挙式が3ヶ月後の1月24日だったことから、「楽々かわらばん」の発行日は毎月24日としました。

「楽々かわらばん」は、郵送費と印刷代の実費として年間2,400円を頂戴する有料通信でしたが、最初の年には150名ほどの方から申込を頂きました。

月刊通信の発行は若干スタイルを変更しながら結局2001年の春まで続け、公開することを前提に毎日書いて週3回発信するという作業を、1992年12月1日より約7年間続け、多少入れ替わりがあっても毎年大体100〜150名の方が読んで下さっていました。

当時はまだインターネットがほとんど普及していなくて、紙ベースの情報媒体がまだ大きな価値をもっている時代だったとおもいます。

宛名の管理や印刷など、タイヘンな面もいろいろありましたが、自ら発信することの意義や、自前のメディアを持つことの大事さなど、こうした個人通信を出すことから学んだことはとても大きいものがありました。
blogやSNSという風に形は変わっても、基本的ところは変わっていなくて、そうした地道な情報発信の結果として生まれたネットワークやつながりが、いまのわたしを支えているようにおもうのです。深謝<(_ _)>
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きぼう新聞にインタビュー記事を掲載いただきました

きぼう新聞NO.69表紙.jpg

7月10日発行「きぼう新聞・第69号」にインタビュー記事を掲載いただきました。


きぼう新聞とは、愛知県刈谷市にある株式会社KIBOUが発行する名の通り、「たくさんの方に希望を届けたい」想いがいっぱいつまった、インディペンデントなパーソナルメディアです。

 


塾生の安永太地くんが、きぼう新聞の特派員をしているご縁で、彼が「記事のコンテンツとしてわたしを紹介したい」と推薦してくれました。


太地くんのblogに、きぼう新聞編集長・細川健一さんについて書かれた文章がありましたのでこちらをどうぞ。



掲載された記事は彼が3月にわたしに行ったインタビューがもとになっているんですが、今回を第1回として、6回の連載記事となる予定です。


細川さんによる編集後記で、このような過分なるお言葉を頂戴しました。ありがとうございます。<(_ _)>
 

 

きぼう新聞NO.69編集後記.jpg


2016年7月に名古屋大学で行われたTEDでプレゼンされた細川さんのビデオがYouTubeに上がってました。
なぜこのような新聞の発行を生業とするに至ったかが語られています。
 

きぼう新聞は月2回(10日・25日)の発行で、定期購読のお申込はこちらのwebsiteからできます。

購読は2ヶ月単位で申し込めるようですから、関心を持たれた方はこの機会にぜひどうぞ!(^^)/

 

 

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詞「人目を気にしすぎる人は・・」をめぐってのやりとり

5/11の記事で書いた詞「人目を気にしすぎる人は・・」
facebook上でいくつかのコメントを頂いたんですが、
そのやりとりがfacebookの記事として流れて行ってしまうのが
もったいない内容だったと感じたところがあり、
その部分を記事として再録しておこうとおもいます。

わかりやすいように後から言葉を補足したり、
書き換えた部分が若干ありますが、
話の骨子というか、大きな流れは変えていません。

コメントを下さった方に
こういう形でblogで再録することへの了解は得ていますが、
もともと公開を前提にやりとりしたわけではなく、
あくまでわたしと個人的というか
プライベートな一対一のやりとりのつもりで行われたものなので、
実名は記さずにKさんとさせて頂きました。
 
  ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪  

Kさん:自分が恥かいたー!なんて思ってても、人ってそんなこと覚えてもないですもんね。それが救い?(笑)

井上:極端に恥ずかしがる人ってときどきであうんですが、たぶんおもいこみが激しいというか、自意識過剰なんでしょうね〜笑

Kさん:そうだと思います(笑)。人は良くも悪くもそんなに他人のことに興味ないんですよね(笑)。でも、極端に恥ずかしがる人って、良い意味で自分に注目されたい気持ちが強い人なのかなと思います。

井上:あがり症っていうのもそうで、「人はそんなに他人のことに興味ない」って事実を認めたくないってところはあるんじゃないでしょうか。実を言うと、わたしもつい最近までけっこうあがり症だったんですが、一昨年の春ぐらいから人前へ出てしゃべったり講座の案内役をしたりするのが、あまり気にならなくなりました。ただ面の皮が厚くなっただけかもしれませんが・・・笑

Kさん:わたし、自分ではあがる方だと思ってますが、人からは全然そう見られてないみたいです。「誰かぁー、わかってぇー!」(笑)

井上:そうですね〜 人は心の動きや内面が表情やしぐさとなって外に出ることもありますが、そうばかりとも言えず、ほんとうのところは人にはよくわからないものなんですよね。わたしも「3年前ぐらいまではあがり症だったんです」って話して、「全然そんなふうに見えませんでした」ってよく言われます(苦笑)。どうやら、あがり症でないフリをするのは上手くなってたみたいです。笑

Kさん:周りの人が、私があがってるの気がつかないって、わたし、信じられません。あがってないフリも下手(笑)。でも、あがってないフリができるって、それだけ余裕があるってことで、つまり、ホントにあがってないってことなんでは?(笑)

井上:本人は、あがってないフリをしていたつもりなんて全くないんです。「井上さんがあがっているなんて全然みえませんでした」と言われたとき、「本当はあがっているんだけど、あがっていないようなフリはできてたかも」っておもったわけでして。だから内心は、全然余裕なんてないんです。でも、そういう脳内パニクったような状態であっても、余裕があるようにまわりに見せることは可能なんだって気づいたというか・・・つまり、自分が想像しているようには、まわりの人は自分のことを見てはくれない、ということでもあるんだと。だから、Kさんがどんなにあがっていても、まわりの人が気がつかないっていうのも、やっぱりそういうものだとおもうわけです。

Kさん:なるほど、フリじゃないんですね(笑)。自分が想像しているようには人は見てくれないし、自分が見てほしいようにまわりをコントロールしようと思っても多分無理なんですよね。そもそも、自分が思う「まわりの人はこう思っている」っていうのが怪しいし(笑)。わたし、自分があがってたのか、あがってなかったのかも、なんか自信なくなってきました(笑)。
余裕があるように見せかけることも可能と言えば可能で、幻想といえば幻想? あがっているということについてもそうなのかもしれず、結局自分が、今の現実はこうだと認識したことを、自分にとっての事実と受け止めるしかないのかもしれませんね。

井上:そうなんです。あがっているか、あがっていないかを判断しているのは、結局は自分の主観なんですが、その主観的判断ってヤツが甚だアヤシイわけで。判断する基準が人によっては結構ずれていて、全然客観的なんかじゃないのに、いつのまにかみんながそうだとおもいこんでしまっている。だから、良し悪しも含め、その判断を絶対化しない姿勢が賢明ではないかと。
勉強ができるかできないか、わかっているかわかっていないか、というのも、これと似たようなところがありますね。まさに観念の世界でのできごとというか、所詮幻想にすぎないわけで。
事実をどのように認識しているか、その認識を生み出しているのは自分であって、他者の認識は自分と同じではないこともあると気づいていれば、自分の認識に執着することが自分を苦しめてしまうとわかるし、手放せるんじゃないかと。

Kさん:どう思うのも自分の自由なんですもんね(笑)。
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facebookの「いいね!」は 評価ではない

いいね!.jpg


facebookの「いいね!」は
「良し悪し」の評価なんかではありません。

本家本元アメリカ版のfacebookでは
「いいね!」はlike瓩
あくまで「好き嫌い」という次元の話です。

like facebook.jpg
 
もちろん、こうしたメディアはあくまで
ひとつのツール、道具なので、
どんな意味合いでどう使うかについては、
基本的に使う側に委ねられていることですし、
一律には決められないでしょう。
 
でも、「良し悪し」の評価と勘違いすることは、
表現する人の承認欲求を不自然に
肥大させてしまいかねない怖れはありますから、
ボタンを押す側もそれを受け取る方も、
双方が気をつける必要があるようにおもいます。
 
それで、わたしの場合ですが、
「嫌い」っておもうことがあまりないので、
基本的に「読みました」という確認の意味で
「いいね!」を使っていますので、
よろしくおねがいします。(^^)/

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寺子屋デイ2017,鮟えて・・皆さんの感想文

昨日投稿した記事はとりいそぎでしたので、
続いて寺子屋デイ2017,里簡鷙陲髻

イベント終了時にはだいたいいつも全体をふりかえって
感想をB6カードに記入し会を閉じるようにしています。

寺子屋デイのイベントそのものが半年間をふりかえることを
テーマにしているんですが、
その場でひとり一人のなかで何が起きていたかをふりかえり、
それを言語化し共有することで、
各々の気づきがさらに深くより多面的に展開可能になるためです。


皆さんの感想文を以下にご紹介します。
ひとりは図を書いていましたので、現物をそのまま載せます。


●インタビューゲームは初めてでしたが、思った以上の収穫もあって、何よりも聞いてもらう心地よさを強く感じた体験でした。インタビューをうけているときには、話している自分の中で、思ってもみない言葉を口にしている自分を発見しおどろきました。
一方、話を聴いているときには、相手の方の体験を一緒に体験し、味わっているような思いになりました。その他、世代は違っていても、共通する視点(それゆえ抱える悩み、誤解)もあるんだなと。当然ながら他人との視点は異なるのですが、わかっていることがそのままインタビューゲームで体験できると、「自分の思うとおりに伝わるはず」との幻想が一層くっきりと意識化されるのも、インタビューゲームのよさの一つかなと感じました。
他人と出会いつつ、自分のいろんな面とも出会えるし、多角的客観的に(他人の視点をも借りて)自分をみることができるのもおもしろいですね。普段陥りがちな相手も自分と同じハズという誤解をリセットする機会としても、このゲームは活かせるなと感じました。


●ほとんどの方が初めましての方でした。やっぱり緊張しますが、最後には程よいキョリ感で打ち解け合えたような、不思議な感覚におそわれます。人の会話の輪に入るのが苦手というか、埋もれてしまったり、カヤの外になってしまうことが昔からよくあるのですが、この場ではそういったことは起こらず、むしろそれぞれに互いに受け入れ合える環境が整っていることがすごく心地よいなぁと、温かい気持ちになります。
次回への課題は、……他己紹介文をもう少し簡潔にまとめられるようになること、そして、次回までに少しでも自分の劣等感や思い込みを払拭できたらいいなと…。とり払おうとすることもまた妙なあらがいなのでしょうか…?? ムダな抵抗はよせということになるのか、なんだかよくわからなくなってしまいました(泣)。あまりとらわれないように、なるようにしかならないから、肩の力を抜いていきたいと思います。ワクにはめずに、多様性、コミュニケーションのズレを許容し、楽しめたら更にいいなぁと思いました。自分のことばかりじゃなくて、相手を引き出せるようになりたい!!


●今回は「この半年をふり返って」というテーマをいただいて、はじめて井上淳之典さんとインタビューゲームをして頂きました。これまでとだいぶ関係性が異なる方でしたので、いつもとは違った自分のなかにあるクセが見えたのが興味深かったです。また、他の参加者の方々のまとめがそれぞれ人となりを出してきていて、聞きながら「いろんな人がいるなぁ」と深く感じました。これまでにやったインタビューゲームのなかでも、もっとも充実した回のひとつだったと思います。またやってみたいです。


●今、書き出してみようとしたら、いろいろ感じたこと、考えさせられたことがたくさんあったのに、全然書き出せませんでした。これが振り返りのときに出てきた、「自分のこととなるとなかなか文章にできない」ということでしょうか? 今現在ありのままに書いています(笑)。今日は前回Mさんとやったときに考えたことで、あらかじめ話すことを考えることはせず、自由に文章を書くことを目標にしていました。それでやっていると、今日Yさんとやって聞く時も話す時も自然体でやれました。すっと言葉が出てきました。そして他己紹介の時も、自然に文章構成が見えて、ありのままに自由に書けました。言葉選びについても、聞いている時に相手から出た言葉を自然に抵抗なく使うことができました。
そして、振り返りのときに出てきた、言葉のズレだとかコミュニケーションだとかについて、分かっていたはずですが、改めて深く答えのない永遠にネットワークのように続いていくものだと思いました。ファシリテーションに関しても同じだとおもいます。アクティブラーニングもそうですが、言葉として定義しようとするから、そのずれからいざこざが生じると思いました。自然体でいたいですし、そんな場を生み出したいと思っています。
それから、文章を読み解くためには、相手の方に近づこうとしなければ理解は深まらないということにビビッときました。自分の尺度で考えてしまう癖があるので努力したいです。そして、次回インタビューゲームをやる時には、振り返りを重点的に頑張ろうと思います。思ったことがあったらそれを今回の話した時、聞いた時と同じように自然体でやろうとおもいます!それから学校でも子どもたちと共にインタビューゲームをやってみたい!


●安定の遅刻をしたことで、落ち着いて参加することができました(笑)。インタビューゲームでは、やはり聞くことが難しいと感じる。むしろ、聞くことに難しさを感じなくなることはないのだろうと思うようになってきています。いつも聞くことって難しいことだよなぁと思っているからこそ、少しでも話が拡がったり、盛り上がったりすることに喜びを感じられるのではないかと思います。そう思うと、難しさを感じながらも、リラックスして人と関わっていけるのではないかと思うインタビューゲームでした。


●初参加、楽しかったです!
この半年間、何もなかったようで、色々なできごとがあって…。慌ただしい日々を振り返ってみる良い機会になりました。爐舛腓辰箸靴織押璽爿瓩忙伽錙△箸いΔる〜い気持ちで今日は臨んだのですが、自分自身の悩みのひとつとなっている、狢昭圓箸龍貅蠅淵灰潺絅縫院璽轡腑鵝対人関係瓩砲弔い董△舛腓辰反兇衒屬襪海箸できました。参考図書に興味を持ちましたので、時間のあるときに手に取って読んでみたいと思います。本日は有り難うございました。


●今回4回目のインタビューゲームでしたが、やはり即興の楽しさを味わえました。いつもちゃんと質問ができるかな〜とか、うまくまとめられるのかな〜とか、頭の中でごちゃごちゃ考えてますが、やってみるとノリにノッてきてこのライブ感がたまらないです。しぜんと質問が出てきたり、なんだかんだいってまとめられたりできます。あと、思ってもみなかったことを話したり、アタマの中ではぼや〜っとしていたことが、言語化される喜びがあります。今回の相手の方は教師で、ぼくも「子ども」に関心があるので、自分自身も大きな気づきをもらって、すごく良かったです。あと、今、自分がしている活動のことをいろいろと質問してもらって次に活かせるヒントをもらいました。ぼくはシャイなので、自分からアピールするのには躊躇したり、押し売り業者みたいで気が引けてしまうところがあるんですが、インタビューゲームのように、質問される側になると遠慮なくアピールできてしまうのが面白いです。他の方のインタビューゲームの内容も共有でき、異文化が交わるような刺激的な場だと思いました。次にインタビューゲームをするときにどう展開するか、今からドキドキワクワクします。



●インタビュー以外の場面でハッとさせられることの多かった時間でした。今回の中で最も重大な気づきは、インタビューゲームのルールの中で、「なぜ聴かない自由は保障されていないのか?」ということでした。それはおそらく、僕たちが知らない間に行使してしまっているからなのでしょう。「無関心」によって、人の話を聴かないことを普段自分がしている。それを知れたことで、大きなブレイクスルーとなりそうな予感がします。




 
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寺子屋デイ2017,鮟えて・・とりいそぎ

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今日5/3は、半年に1回のインターバルで開催している

寺子屋デイと称した集まりでした。
 

 

13:30〜17:30のメインプログラムでは、

インタビューゲームでこれまでの半年をふりかえり、

気づきや感想をシェアしあったんですが、

今日はメインプログラムに9名が参加。
 

 

奇数になったので、わたしもインタビューゲームでは

プレイヤーとして参加したので、

冒頭の写真は、塾生の前山さんがわたしの話をまとめてくださった

インタビューカードです。
 

あとのふりかえりのファシリテートを担当したんですが、

付箋に書いた気づきメモのほんの一部をご紹介。
 

 

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このふりかえりはいつもながらぜんぜん時間が足らないですね〜

時間がありさえすれば、まだ1〜2時間はゆうに
濃密なセッションで行けそうな感じでした。

 

メインプログラム終了後、

18:30頃から3F中村教室で行った打ち上げには6名が残り、

メインプログラムに参加して居ないメンバー2名も途中から合流。
 

 

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今日の打ち上げのために、
プレミアムモルツの5種類などを事前に買い込んであり、
ビールの飲み比べをやろう!と事前告知していたので、
ベルギービールの差し入れも嬉しいサプライズでした。
 
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ビールの話から動物の生命倫理、性のモラルについてまで、

あれやこれやと話はとめどなく盛り上がり、

片付けて教室をあとにしたのは、22:00を回っていました。
 

 

・・・ってことで、わたしもかなり酔っ払ってしまったため、

詳しい報告については、追ってゆっくり書きます。(^^;)
 

 

今日の記事はざっくりアウトラインのご報告のみということで

とりいそぎお許しを! <(_ _)> <(_ _)>

 

 

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つんどくらぶ 第10回のご報告

風邪の効用


昨日4/20夜に開催したつんどくらぶ第10回のご報告を。
 

今回のお題本は野口晴哉さんの『風邪の効用』でした。

写真は1962年に全生社から出された単行本です。
 

この本については、以前にも何度かこのblogでは紹介しているので、
本の概要についてはこちらの記事こちらの記事をご覧ください。
 
今回は5名の申込者のうち3名が直前にキャンセルとなり
前回、前々回が満席(8名)だったため、
参加2名というやや淋しい集まりとなりましたが、
そのぶん少ない人数でじっくり本を読み込んで、
濃密なやりとりができた感じがしています。
 
わたしが最初にこの本を読んだのはもう20年以上も前のことですが、
今回再読してみて、
人間の身体や心の性質や仕組みをきちんと把握することや
タイミングを見計らって対処することの大事さを改めておもいました。

 
以下、ご参加くださったお二人の感想文です。
 

●今回初参加で、本を読んでなくても良いということで、読まずに参加させて頂きましたが、やはり読んでおいた方がもっと深く考察できたかな、意見交換できたんじゃないかなと思いました。それでも楽しませていただきましたし、発見やなるほど!と思うことが沢山あったなと感じることができ良かったです。潜在意識や空想の方向づけによって風邪の活用というか、良くも悪くもするという考え方が非常に興味深く、もっと掘り下げて知っていきたいお話、考え方だなと思いました。猊邪瓩箸い症状から普段の生活、しいては人生への影響につながっていく感覚は、なんだかスリリングだなと感じました。これからの日々にどう活用していくのか、自分なりに考えて、自覚をもって行動していきたいと思います。

 

●今回は参加者が少なかったこともあり、個々人の意見をよく聴くことができたかと思います。お題となった『風邪の効用』は、何となくつかみどころが得られず、一人で読んでいた時は、なかなか心に落ちてみませんでした。ですが、一人ひとりが声にして読み、それを聴くことで、何気なく読み飛ばして居た部分に実は大きな意味があり、「風邪」だけに必ず生活全般に通じるものがあることがよくわかりました。なかでも「空想の方向付け」は目からウロコが落ちた感がしました。他人から自分に対して及ぼされる影響、また逆に自分から人に対して及ばせる影響。一度方向付けられてしまうと、自分の意志ではなかなか訂正できないという、なんとももっともだと思いました。
 心と体の相互関係は、思いあたることはありましたが、改めて考えてみると全くその通りであります。心が健康であれば、すなわち体も健康であるにちがいない、これからは「ただの風邪だ」と思い流すのではなく、そこから導き出されるモノをじっくり見つめてみたいと思いました。



 
次の写真は意見交換時のメモです。

 
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ご参加ありがとうございました。<(_ _)>

次回の読書会つんどくらぶは7月の予定です。
開催日とお題本が決まり次第お知らせしますね。(^^)/
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つんどくらぶ 第9回のご報告

つんどくらぶ9

今日は、2/16に開催したつんどくらぶ 第9回のご報告記事を。

 

この読書会「つんどくらぶ」の名付け親はにんげん図書館館長の山本茜さんです。

ときおり「積ん読くらぶ(つんどくくらぶ)」と言われる方があるんですが、
もともと、積ん読本を愛する人の集まり(狎僂麁LOVE瓠砲らおもいついたそうなので、
「く」はひとつだけなんですね〜

 

ちなみに、過去8回お題本としてとりあげたつんどく本は以下の通りです。
 

第1回 平田オリザ『わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か』
第2回 平井雷太&山下剛『教えない教育、治さない医療
第3回 内田樹『先生はえらい』
第4回 小野美由紀『傷口から人生。メンヘラが就活に失敗したら生きるのが面白くなった』
第5回 阿部謹也『自分のなかに歴史をよむ』
第6回 泉谷閑示『「普通がいい」という病 自分をとりもどすための10講』
第7回 橋本治『「わからない」という方法』
第8回 吉本隆明『ひとり 15歳の寺子屋』


このblogには過去の回についてご報告の記事を書いています。
・・・といっても全部書いているわけではありません。
とくに去年は自宅のリフォームと東員教室の片付けでてんやわんや状態で、
blogの毎日更新も6月下旬で止まってしまい、
6〜8回の報告記事は書けず仕舞いでした。(>_<)


内容といっても、参加された皆さんの感想文を
並べてご紹介しているだけなんですが・・(^^;)
 

つんどくらぶ第1回を終えて



いままでのつんどくらぶでは、参加人数が少ない回もありましたが、
最近では
第8回、第9回ともに8名の定員が事前に満席となっていて、
地味な集まりで、さほど積極的に宣伝もしていないんですが、
ほんとうに有り難いことです。<(_ _)><(_ _)>

また、こうした集まりは常連メンバーばかりになって
参加者が固定化しがちな傾向はあるのですが、
毎回初めてされる方がある状態で続けられていることも嬉しいことです。


 
2013年秋にわたしは犧欧涼植民地化瓩箸いΕ董璽泙箸両弖眦な出会いをして、
青灯社から出版されている叢書・魂の脱植民地化シリーズ
安冨さんの著書を続けざまに読んでいたんですが、
『生きるための論語』は、その年に読んだ本ベスト1にランクしたものです。

会の冒頭、なぜ安冨さんの本なのか、今回のお題本を採りあげた経緯について
わたしの方からすこし長めの前口上を。

 
お題本の第8章で犧欧涼植民地化瓩箸いΕ董璽泙砲弔い匿┐譴蕕譴討い襪發里
記述が簡潔すぎて若干解りにくいように感じたので
補足資料として、東京大学東洋文化研究所のwebsiteにアップされている
安冨歩さんへのインタビュー記事をプリントして配布しました。

 
このインタビュー記事は
とても重要な指摘がいくつもなされていて、
ぜひとも読んで頂きたいものです。


また、なぜ安冨さんの数ある著書の中から、なぜ論語なのか・・・
孔子の思想が犧欧涼植民地化瓩箸いΩΦ罐董璽泙
どのような影響を及ぼしたかについての参考資料として、
『合理的な神秘主義 生きるための思想史』(青灯社
から
孔子の章にある次のチャート図を拝借して紹介しました。


 
わたし自身、高校時代に漢文で学んだ論語は、
古くさい教条主義や道徳倫理を振り回している感じがして
まったく好きにはなれなかったのですが、
安冨さんの自由な解釈に触れたおかげで
目からウロコがたくさん落ちただけでなく、
老子荘子と同じぐらい、いやそれ以上に
大事な思想家だと認識するに至ったからです。

孔子のフローチャート


今回、皆さんで音読した箇所は、
北京大学教授・橋本秀美さんから寄せられた序文と、
第1章 学而時習之ーー学習とは の全文です。
それを2回に分けて読み、4人ずつ2グループに分かれて意見交換し、
全員でシェアするといういつものスタイルで進行しました。
次の写真は意見交換の場面です。


 
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今回のお題本は、
そもそも「学習する」とはどういうことなのか?
「学」と「習」はどう違うのか?・・・・

そういう本質的な問いを発しながらも
すこしずつ読み解くにつれ、
この小さな一冊がとてつもなく過激な本であることが
じんわりと伝わっていったようです。

また、このつんどくらぶでは、
ひとつの正解にたどり着くことを目的としておらず、
それぞれの解釈や考えを出し合って
意見交換すること自体が大事だと考えているのですが、
そうした機会は日常なかなかありません。
わたしにとっても貴重な時間となりました。

ご参加ありがとうございました。<(_ _)>

以下は参加された皆さんの感想文です。

 

・『論語』をまともに読むのはたぶん高校のとき以来のことです。中身のない、ただの権威ばかりある本(あるのだろうが自分には縁のない)だというんが、わたしが論語に持っていた印象でした。が、これが覆されました。安冨氏のかみくだいた、腹落ちする解釈にふれて、これは自分にとても関係することを言っているのだと感じられました。まだ初めの部分しか読んでいないので、そのような予感を持ったということです。人と一緒によむことで、まったく違う読書体験となりました。


・問うことの大切さ、そしてその問いを思いっきり考える、実証してみることの大切さを学びました。これからは問いを声に出せたらいいなと思います。学ぶことは楽しい。まずは自分が楽しむ、そしてそれは押しつけない。いい読書会でした。楽しかったー♡


・今回は自分が感じたことをきいてもらい、相手の感じたことをききながら、理解を深めるという体験が強かったのは初めてです。今までも会話が楽しかったし派生する話もおもしろかったけど、気づきあうことを実感するのは貴重ですね。


・「無知の知」ではありませんが、己が何を知り、何を表現してきたのかを問う、良い機会となりました。「学ぶ」だけではなく「習い」そして考える、問うことの大切さを改めて感じました。それが爐茲蹐海个靴い海鉢瓩箸覆譴襪茲Υ蠅い泙后


・自分一人では絶対に手にとらなかったたぐいの本。「全然わかんない〜」となげだして、今日のような学びを得られなかったかもしれません。つんどくらぶ爐蕕岫瓩任后3Г気鵑箸力辰傾腓い鬚弔Δ犬董∋廚辰燭海塙佑┐燭海箸魘νすることの重要さにあらためて気づくことができました。


・『生きるための論語』を読み進める中で、今までにないほどスピードが上がらなかった。難しい言葉が山のように使われていたからだ。一つ一つ意味を調べては読むということを行っていた。会の中で本を読むところはすごい緊張感だった。感じが読めなかったらどうしようというセンザイ意識がかなり刷り込まれている自分に気づいた。でも読んでみれば、誰もそこを気にはしていない。気づかないうちに自分の中に作ったハードルで学びの機会を失うのは悲しいことだ。これは子どもたちにも言えることだ。学びの機会を失わないような安心感のある場を作ることができる犒子瓩砲覆蠅燭ぁ笑  「魂の植民地化」からの脱却→「勉弱」なのかな?と思う。人が読んでいる音をききながら、自分でも黙読すると入ってくる。つんどくらぶが終わった今、読み進める自分がいるのが楽しみだ。


・あらあら、論語って「学習に基づいた社会秩序」という思想なんだって?。確かにそのように感じるところもあるな〜って思いました。


・小さい頃から学校や塾へ行き、勉強をして、社会人になってからも仕事のものや仕事のために勉強している。ただその中でそもそも「学習とは何か?」という問いを持ったり、検証したりすることはなかったと気づいた。普段自分がしていることや当たり前としていること、良いこととしていることに対して、自ら問いを投げかけ、自分にとっての答えを出していくのも楽しいかなと思った。



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ご参加ありがとうございました。<(_ _)>



さてさて次回4/20(木)19:30〜第10回つんどくらぶのお題本は、
野口晴哉『風邪の効用』(ちくま文庫)です。

また、これまでつんどくらぶは偶数月の平日夜に隔月開催でやってしたが、
平成29年度から平日夜の部は3ヶ月に1回(4月,7月,10月、1月)とし、
その他に休日の昼間開催が加わります。
また、「平日昼間に開催してほしい」という声も頂いており、
ただいま検討&調整中です。
つんどくらぶの今後の展開にご期待くださいね〜 (^o^)/
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第5回つんどくらぶをふりかえって

今日は19:30から、昨年10月からスタートした、本を読んでなくても参加できる読書会「つんどくらぶ」第5回があり、5名の方が参加くださいました。

こうした会はメンバーが固定しがちですが、先回も今回も初めての方の参加があったのはうれしくおもいました。

 

つんどくらぶは、にんげん図書館と寺子屋塾の共催イベントで、お題本はにんげん図書館の館長であり寺子屋塾生でもある山本茜さんと相談して決めているんですが、これまで4回のお題本は以下の通りです。

 

第1回 平田オリザ『わかり合あえないことから』

第2回 平井雷太&山下剛『教えない教育、治さない医療』

第3回 内田樹『先生はえらい』

第4回 小野美由紀『傷口から人生。メンヘラが就活に失敗したら生きるのが面白くなった』

 

 

今回のお題本、阿部謹也『自分のなかに歴史を読む』は、四年ほどまえに茜さんから教えてもらって読んでわたしの愛読書となり、塾生など若い人たちに積極的に薦めている1冊。

 

いつものように予めセレクトしておいた、お題本のハイライトとおもえる箇所を3箇所ほど声に出して皆さんで読み、感想をシェアしました。

皆さんが終了時に書いて下さった感想文をご紹介することで報告に代えます。


●もやもやとしています。。。1度読むだけでは足りない、何度かじっくり読みたい、と思える本に出会いました。考えること、感じること、積み重ねの中で「今」の自分ができること、未来を感じることで、「今」の自分ができること。過去、未来の中にある今、という感覚が、今まで「今」を点としてとらえていたので、新しい感覚でした。「それをやらないと生きられないテーマ」という言葉から、もっともっと気づけることがありそうです。



●「わかる」ということから自分の変化につなげて考えたのは、はじめてだった。何かまた自分を見つめ直すことができたと思う。「今」を考えるってどういうことか、わからなかったが、過去と未来と今がつながっている・・・簡単に切り離せないと感じていたことが、言葉にできるようになって、またひとつ分かった気がした。



●つんどくらぶは全部本を読まなくてもいいので、参加するハードルが低く、少人数で深く語り合って、とても濃い時間を過ごしました。一人だと考えが偏ってしまいますが、みんなと対話することによって、共感したり、こんな考えがあるのだなぁとアタマがほぐれます。今回の『自分のなかに歴史をよむ』は読めば読むほど、すごい発見がある深い本で、とても楽しい読書会でした。まだ70ページしか読んでなかったのですが、つんどくらぶは安心して参加でき、これからまだ読んでいないページを読むのが楽しみです。



●今回は2回目の参加で一通りテーマ本を読んで来ました。結構難解な内容のため、忘れてしまった部分もありましたが、皆で共有した部分については、理解が深まったような気がしました。



●今回はばっちり読んで、付箋まで貼って読みましたが、読めば読むほど考えさせられてしまう1冊でした。過去と現在、そして未来。だれにとっても同じ言葉でも一つとして同じものはない。皆さんの意見も考え深く聞かせて頂きました。また機会を見て読み返してみたいと思います。
ただ、私の悪いクセで、今回もしゃべりすぎてしまいました。その点は申し訳けございません。次回もまた参加できれば良いと思います。ありがとうございました。

 

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つんどくらぶは当面偶数月の第3木曜に定期開催していきますので、第6回は8/18(木)19:30〜21:30です。
定員8名と少ないので早めにお申し込み下さい。(^^)/
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さをり織りのウエスト・ポシェット

さをりのウェストポシェット
いま使っているウェスト・ポシェットに穴があいてほころびかけてきているので、妻が新しいのを買って来てくれました。

わたしが愛用しているウェスト・ポシェットは、寺子屋塾の東員教室がある東員町の社会福祉施設・TOINいずみ作業所でつくられているものなんですが、城みさをさんが始められた爐気鬚蠖イ雖瓩箸いΝ犇気┐覆たイ衒瓩任弔られたもので、ひとつとして同じものがありません。

いま使っているのは、黄色やオレンジなどの暖色系のものなんですが、この新しいポシェットは紺色のシックな感じですね。

穴があくのは、わたしがついいろいろ物を入れすぎてしまうからで、いつも妻から叱られているんですが。(^_^;)

最初に使い始めてからかれこれ10年ほどになるんですが、2〜3年で穴をあけてしまうので、これがたぶん5代目ぐらいです。

時折、「それってさをり織りですよね?」と言って下さる方はありますが、さをり織りがどういう織り方なのか詳しく知ってる方とお目に掛かることはあまりありません。
 
こちらのページにある城さんの文章などをご覧いただければ、さをり織りの作品に一つとして同じ物がない理由や、フィールドは異なっても寺子屋塾で実践していることと共通するものを感じていただけるのではないかと。


以下の文章は、SAORI織りのwebsiteにも紹介されている城みさをさんの講演をまとめた小冊子『こころの恋人爐気鬚雖瓠戮ら引用です。

近年、電子顕微鏡の発明によって人間の脳の組織が解明されたと解剖学者、養老孟司教授が『NHK人間大学』で発表されました。

すべての人間はDNAに組み込まれて、感性をもって生まれてくる。それは刺激によって増殖し自発性によってさらに成長する。しかも老いても衰えないという。

これをテレビの前で聞いた瞬間、私は跳び上がって喜びました。じっとしておれなくてひとりでに躍っていました。アルキメデス程ではないにしても。 よし、いいことを聞いた。これで安心して自分の思いを貫くことができる、と。

私は今から約45年前の35歳の頃、そのことを体験を通して知りました。
「生け花」の指導の中で…。彼女等は教える前から一人一人それなりの感性を持っているじゃないか。
教えることはむしろ罪悪だ。自分のコピーを作る行為だ、やってはならないことではないか、えらいものを見つけた、世の中どうかしているぞ…。
それが私の信念となって、深く心の中に住みついてしまったのであります。
けれどそれは突然見えたものではありません。
25歳の頃、目から鱗の落ちることに出くわしたのが始まりでした。
習った「生け花」は型を習ったに過ぎない、自然の美を活けるものではなかったと知ったことです。
そこから室町時代の世阿弥の頃の「原点」に戻ろうと、自分の中での格闘が始まりました。
そこで至った結論は「教えるのじゃない、引き出すのだ」ということでした。
余りの楽しさに我を忘れて取り組みましたが、多忙の余り遂に3年半で病を得て断念、それ以来17年間の専業主婦生活を…。
その後、3人の息子の独立を見て「第三の人生」とばかりに手織りを始めました。
ところが、趣味のつもりの手織りの中に再び同じものを見たのです。 深く埋めたはずの胸の火が再燃しました。
世の中これで良いものか、根本的な間違いを、黙って見ていることはできなかったのです。
そこに気付いて下さいよ、と一般女性に呼びかけました。

その時開いた「わたしの手織り」と題した講習会には、定員の10倍の申込みがあったのには驚きました。
講演では「見本通り」「先生の真似」の中からは、「自分」が見つかりっこないことを強調しました。
私はすでに「人々の中から引き出す・おびきだす」というテクニックを身につけていました。
それを織りに用いたのです。
その気にさせておびきだすという方法は、ものの見事に的中しました。
「自分の中にこんな能力があったとは!」と目を輝かせる人々が次々と現れました。
DNAの中の感性は、刺激によって増殖し、自発性によってさらに成長するという法則の通りのことを目の前で見ました。

「教わって知ったことよりも自ら発見したことの方が数倍も嬉しい」ことを一人一人が体験しました。
「人は感動することによって動く」、それはひとりでにエスカレートしていく…。
このようにして私の知らないところで、人々は勝手に自分を育てていました。 これ程凄いことってありますか?
くどいようですがもう一度繰り返します。
先天的感性を後天的知性と一緒くたにして習うもの、と思っていなかったかどうか。
その根本を踏まえた上で、刺激により、自発性により、さらに成長することを知っていたかどうか。

答えは自分が持っている、寄せ集めの知識に頼るものではない、ことに気付いたかどうか。
ここにきて、自分が自分を育てることの認識を持ちたいものです。
すでに内包されているもの、純粋の自分なのです。
刺激と自発性が人を育てる、その助けをすればよい、それを助ける仕事をするだけでよいのです。

私が手を下さないで、多くのすばらしい人々を見つけ得たのには、もう一つの要素がありました。
私が上手な織り手ではなかったこと。
つまり誰の作品を見ても、凄い凄いと思ったこと、自分よりはうまいと思えたこと、これがキーポイントでありました。
これが「さをり」の指導者としては、ふさわしかったと思います。
逆説のようですがそうではありません。
私の思いが即、相手に伝わる。
「アレッ私は考えずに織ったのに、苦労していないのに、何故?何故?何故いいの?」

「それは貴方のそのままが表現されているからです。下手な思惑やこだわりが出ていないからなのです。これが貴方なのに」「ヘエッ、そんなものなのか」と目を白黒する。
相手は自信を持つ、これでいいのだ…と。そこからの出発なのです。
案外、自分のことは見えないもの、鏡がなければ見えないもの。
その鏡になる、正しい鏡になること、それが「さをり」の指導者のキーポイントであります。
それには、美しいものを見る目だけあればよいのです。
技術は要らないのです。
だから、私は上手い織り手でなくて良かったのです。
posted by Akinosuke Inoue 22:56comments(0)trackbacks(0)pookmark