往来物手習い

むかし寺子屋では師匠が書簡などを元に往来物とよばれる教科書をつくっていました。
寺子屋塾&プロジェクト・井上淳之典の日常と学びのプロセスを坦々と綴ります。





事実と認識と感情を分ける

事実と認識と感情


仕事柄、いろんな方からいろんな相談をいただきます。
 

そうしたときのわたしの基本スタンスは一定していて

対話をしながら、事実と認識と感情を分けて、

それを自ら整理できるようにしていくということです。

 

 

犹実瓩亙僂┐蕕譴覆い掘
一旦引き起こされてしまった犂蕎隲瓩鮓紊ら否定しようにも
問題はこじれるだけです。

変えられるのは自分自身の倏Ъ鵜瓩里澆任后
 

 

問題の根源にあるのは、
だれかの倏Ъ鵜瓩鵬瓩ない意見や評価を、
あたかも事実であるかのようにおもいこみ、
絶対化してしまう思考回路であると言えます。
 

 

結局わたしたちは、
そうした思考回路に知らず知らずはまってしまって
苦しんでいるわけですから、

自分を苦しめているのは他でもない自分自身でもあるわけです。
 

 

もし、そうした思考回路の組み換えをはかろうとするのであれば、
 

 

´犹実甅倏Ъ鵜甅犂蕎隲瓩鮑同しないで分離すること
↓倏Ъ鵜瓩録佑凌瑤世韻△襪海箸鮃く知ろうとすること
ひとつの事実に様々な角度から光を当てて観察すること
き犹実瓩鉢犂蕎隲瓩搬昭圓劉倏Ъ鵜瓩鯤僂┐茲Δ箸靴覆い海
ヂ昭圓劉倏Ъ鵜瓩某兇蟆鵑気譴襪海箸覆犹実瓩鬚發箸鉾獣任垢襪海

 

が大事になります。
 

 

よって、寺子屋塾の学習は、
そうした思考を計算プリントや経営ゲームのワークショップ、

ファシリテーション講座などで狷常化瓩垢襪海箸鮨篆覆垢覲惱
といえるでしょう。

たぶん、このようにコトバで説明すれば
大方の人は、大脳次元では理解できるのでしょうが、
それが実践できているかどうかは別の話なので、

アタマだけの理解にとどめず、
カラダに染みこませるプロセスが必要なんですね。
 

 

よって、皆さんが日常生活されている場や仕事の現場が
大事な猊饌罩瓩如教室は牾擴悪瓩鵬瓩ませんから、

寺子屋塾の教室が犇気┐覆ざ軌薛瓩両譴箸覆襪里蓮⊆明の理ともいえますね。

posted by Akinosuke Inoue 23:58comments(0)trackbacks(0)pookmark





四則演算には日常の思考や発想の基本となるエッセンスが詰まっている

ある人がツイッターで、「四則演算とは、アイデア生成に当てはめて考える発想のフレームワークであり、1つのフレームワークの中に、問題分析、現状改善、理想追求という異なる発想のフレームワークを包含しています」「わり算とは、大きすぎる問題をコントロール可能な大きさまでドリルダウンする、問題点の発見のためのフレームワークです。切り口として目的軸、機能軸、時間軸、空間軸、人間軸、手段軸、経済軸で問題を捉え直す5W2Hを推奨しています」と書いていました。

 

らくだメソッドでの指導をこれまで続けてきた中でわたしが気づいたことは山ほどあるのですが、その中にはこのツイッターに書かれている内容にかなり近いことがあると気づいたので、そのことについてすこし丁寧に書いてみようと思います。
 

 

その結論だけを端的に表現するなら、「算数で学習するたし算・ひき算・かけ算・わり算という四則演算には、単に計算することのみに終わらない、日常の思考や発想の基本となる大切なエッセンスが詰まっている」「その四則計算について狠韻砲笋衒を知っているレベル瓩鮹Δ靴騰犲分の技術として自由自在に使いこなせるレベル瓩泙能熟することが、日常生活における発想や思考等にも変革をもたらす可能性がある」となります。
 

 

たとえば、2×4=2+2+2+2 であり、8÷2は、「8から2を何回引いたら0になるか?」を示しているように、「かけ算」は「たし算」の拡張であり、「わり算」は「ひき算」の拡張演算でもあります。また、87−23=64 → 64+23=87となるように、「たし算」と「ひき算」とは逆演算の関係にあると言えるのですが、このように四則演算とは個々に別個のものでなく、相互に密接な関連があります。
 

 

また、多くの人が小学校で、たし算→ひき算→かけ算→わり算の順番で学習してきたと思うのですが、この四則演算の中でもっとも難しいのは「わり算」です。たとえば、77÷9という計算をするとき、 9×8=72、77−72=5なので、答えは8あまり5となるわけですが、わり算は「ひき算」と「かけ算」の両方を使えないと解くことができません。前にも書いたように、「かけ算」は「たし算」の拡張演算でもあるわけですから、「たし算」「ひき算」「かけ算」の3つの要素がすべて含まれる「わり算」が四則演算でもっとも難しいというのは、至極当然といえるでしょう。
 

 

さらに、わり算を解く際の思考プロセスにおいては、比較照合する発想も欠かせません。たとえば、前の「77を9で割るとき、いくつの商が立つのか?」で説明すると、9×9=81、9×8=72、9×7=63だから、81だと大きすぎ、63だと小さすぎる・・よって77は81と63の間にあると言えるわけですが、こうした問題を解くときに「三者を比較照合する」発想が活用できるのです。
 

 

もちろん、前の例はわる数が1けたですし、多くの人のとって無意識にできてしまうほど簡単なので、「三者を比較照合する」という表現がやや大げさに感じられるかもしれません。ところが、537÷29、7653÷172など、わる数が大きくなってくると、よほど計算に長けた人でないと、適切な商がすぐには思い浮かばなくなり、あまりもスグには出て来なくなります。
 

 

このように、「わり算」の計算問題を解くというのは、一見単純そうに見えて実は非常に高度な思考を駆使している・・・つまり、わり算で最初にいくつの商が立つかを考えることは、「仮説を自分で立て検証をする練習」「未来への見通しを立てる練習」につながっていると言えるし、さらには、ある数を別のある数でわるという演算には、「大きすぎる問題をどこまでブレークダウンすれば自分にアプローチ可能な大きさになるかを考える」という意味合いが含まれているように思うのです。
 

 

ところで、らくだメソッドでは、小学校4年生相当の教材に、「2桁以上のわり算」が組み込まれているんですが、この単元だけで16枚もあります。もし、単に計算のやり方を学ぶことだけが目的であるなら、16枚もの分量は必要ありません。わり算の計算問題について、やり方を知らない人はほとんどいないのですから、「やり方を頭で理解している」レベルから、「そのやり方を自分の技術として自由自在に使いこなせる」レベルにまで習熟することを課題としているわけです。
 

 

そして、もうひとつ言えることは、「自由自在に使いこなせるレベルまで習熟する」ために、教師が生徒に「教える」行為はさほど重要でなく、どうしても必要な要素ではないことです。つまりそこでは、教師が懇切丁寧に教えることよりも、「学習者が自分に必要な課題を自ら探し当てられるようにすること」や、「必要な課題を日々淡々と反復して学習できる環境を提供すること」「行き詰まったときにもネガティブに考えず現状を受容していく大事さを伝えること」等々が必要になってくるわけで、このことが、寺子屋塾が犇気┐覆ざ軌薛瓩鬟ャッチフレーズとしている理由の一つです。
 

 

この19年で300人を超える生徒を見てきましたが、この2桁以上のわり算の単元がらくだメソッドの最初の峠です。ここをスンナリ通過できる人は少なく、大人であっても16枚の教材すべてマスターするのに半年以上かかるケースも珍しくありません。
 

 

また、この2桁以上のわり算の単元は、次の重要単元「分数の約分」の予備練習にもなっているんですが、俗に「小4の壁」と言われるのは、まさにここのことです。算数が苦手、数学ができないと思っている人の99%がほぼ例外なくこの「2けたのわり算」「分数の約分」単元で躓いているからです。
 

 

らくだメソッドの学習において、この小学4年教材を通過する頃になってくると、子どもも大人も年齢問わず、いろいろなことに積極的にチャレンジするようになったり、多くの活動を同時並行的に行うようになったりするなど、日常生活の面でもさまざまな変化が現れてくることが多いのですが、なぜそうなるのか・・ここに書いてきたようなことを考え合わせれば、何ら不思議なことではありません。
 

 

たとえば、最近ビジネスの世界においても、「ロジカル・シンキング(論理的思考)が大事」ということが言われているのですが、このロジカル・シンキングの基礎が学べる最も身近なメソッドとは、誰もが過去に体験してきた「小学校の算数」ではないかと思うのです。
 

日常の思考や発想をもっと鍛えたいと思われている方に対し、「狠辰┐燭き瓩箸いΔ気持ちはよくわかるし、それも大事なことの1つだとは思うんですが、もっと大事なことがあると思うんですよ。もちろん、いろいろなアプローチが可能かと思いますが、まずは、小4〜5年生の算数教材がスラスラ解けるようになるところまで学習してみてはいかがですか?」と提案させてもらっている理由のひとつがこのようなことなんですが、いかがでしょうか。(2013.8.19)

COMMENT:4年ほど前にfacebookノートで公開した文章ですが、こちらのblogには投稿していなかったことに気づいたので改めてご紹介。
posted by Akinosuke Inoue 23:20comments(0)trackbacks(0)pookmark





「明確なできない状況」と出会う

算数_小4-22の一部.jpg

昨日書いた記事の続きです。
 
太郎ちゃんがblogに昨日ご紹介した記事の続編のような
記事「『明確なできない状況』と出会う」を書いていましたので、
まずは以下に全文ご紹介します。

 
なぜこのらくだメソッドだと、
「できない」ということに出会い、
その「できない」という自覚が生まれるのか?ということが
とっても不思議だなと思っています。
 
今までの経験でも、
「できない」ということには、たくさん出会ってきたわけだけど、
その「できない」ということからなぜか目を背けたくなったり、
できるふりをしてきました。
 
そして、「できない」ということが原動力になったとしても、
そこには必ず自分以外の誰かの存在があり、
あいつには負けないように、、、とか、
誰かに褒めてもらったり、
あるいは怒られないように、、、など、
 そんな形でしか「できない」を原動力にできずにいました。
 
だけど、 この1日1枚の計算プリントで、
 「できない」ということに出会えること、
そして、その体験からの気づきや発見を通して、
「できない」ということとの向き合い方が少しずつ変わってきたように思います。
 
でもなぜ、このプリントだと、
「できない」ということに出会い、
その「できない」という自覚が生まれ、
「できない」と向き合うことができるのか?
という問いがいつも生まれてきます。
 
*** *** ***
 
学校の勉強で「できない」ということに直面したことは、幾度となくありました。
そんな「わからない=できない」体験を振り返ってみると、
さまざまな「わからない」という状況があるように思います。
 
たとえば、ある問題が解けず、
なにが「わからないか?」と聞かれた時に、
自分が「わからない」と思っていることも、
そのことを理解するために、
分かっていないといけないことが、
 「わかっていない」ことだってあるし、
自分では、どこが分からないのか「わからない」ということだってあります。
 
そんな時、まわりの先生だって、親だって、本人がどこでつまづいているのかがわからない。。。。
 
「わからない」という体験を振り返ってみると、
「わからない」状況がかなり曖昧な状況にあったように思います。
 
一体自分はどこで、何につまづいているのか、、、と。
「できない」体験って、意外と曖昧だったのかも!と思います。。。
 
この点から考えてみると、
 らくだメソッドでは、
 自分がどこでつまづいているのか?
どこに自分がいるのか?
目の前の学習者が、どこでつまづいているのか、
どこから分かっていないのか?
ということがとてもわかりやすくできているのです。
 
プリントを通して出会う「できない」という状況は、
かなり「明確なできない状況」のように思います。
 
「できない」が明確であるからこそ、
「できる」ことも明確になってくるのだと思います。
 
*** *** ***
 
明確な「できない」状況を作るために。
 
この明確な「できない」という状況はどのようにしたら作ることができるのか?
このプリントを初めてやったとき、
かなりスモールステップで、ゆっくり進んでいくなと思いました。
 
1枚のプリントの中で、おさえなければいけないポイントは
ほぼ1つにまとめられていると思います。
 
初めてやったときにそのような実感があったのだけれど、
この実感こそ、明確に「できない」状況を作ってくれているのだと思います。
 
それは、このプリントが、
1つの領域を(たとえば約分とか)を徹底的に分解して、
1つ1つの要素を、丁寧に順序よくまとめてあるからだと思います。
 
そして、学習者がどんな状況にあり、どんなところでつまづくのか?
ということをみっちり考えられて作られていると思います。…ヒントの出し方が絶妙だったりします。
(平井さんは息子さんのためにこの教材を作られたというエピソードがありますが、
 まさに学習者が我が息子であったからこそ、ここまで考えられたのでは!と思っています。)
 
その点から考えても、
明確な「できない」状況を作るためには、
物事をあらゆる角度から見つめ、考えること。
 
物事を分解するということは、
身のまわりに起きている、「小さなこと」を大切にしていくということにも繋がるように思います。
 
明確な「できない」状況に出会えることができれば、
「できない」という自覚が芽生え、
明確な「できる」自分と出会える。
 
だからこそ、明確な「できない」状況はどのようにして生まれるのか、
ということを問い続けたいと思いました。
 
※引用ここまで

 
プロセスが丁寧に書かれていて、とってもわかりやすいですよね?
 
ひとつのポイントは、太郎ちゃんが今までのことをふりかえって、
 
「わからない」という体験を振り返ってみると、
「わからない」状況がかなり曖昧な状況にあったように思います。
 
一体自分はどこで、何につまづいているのか、、、と。
「できない」体験って、意外と曖昧だったのかも!と思います。。。

と書いているとおり、
わたしたちは、明確な定義もないのに
「できない」「わからない」とおもいこみがちで、
この逆パターン・・・つまり、「できる」「わかっている」というのも何ら根拠がなく、
勝手なおもいこみにすぎなかったりすることも往々にしてあります。
 
それで、太郎ちゃんは、らくだメソッドについて、
 
自分がどこでつまづいているのか?
どこに自分がいるのか?
目の前の学習者が、どこでつまづいているのか、
どこから分かっていないのか?
ということがとてもわかりやすくできているのです。
 
と書いているんですが、
太郎ちゃんのこの表現には若干正確さを欠く部分もあるので、
以下、このことについてちょっとだけ補足しておきます。

 
らくだメソッドを開発された平井さんは、
らくだメソッドを開発する前に、
「さえら塾」という個人塾を開いて、
分数のわり算は、
なぜ分母と分子を反対にして掛け算すればいいのかとか、
円の面積はなぜ「半径×半径×π」なのか、ということなど、
おもしろい授業、わかりやすい授業をおこなって
子どもたちに理解させようとしていた時代が3年ほどありました。

平井さんは、勉強に興味の持てない子どもたちでも、
内容が理解でき、楽しく学べるようにさえなれば、
勉強ができるようになって、
成績も上がるんじゃないかと考えたわけです。
 
でも、そうなったのはごく一部の限られた子どもだけで、
実際には多くの子どもたちがそうはならず、
「楽しい授業をしないと学ばない」というように
塾に対して依存的になっていく子どもまでが現れたことに
愕然としてしまうんですね。

また、学校ではテストということが日常的に行われていますが、
そのテストが、子どもたち自身にとって、
自分が学んだ内容をほんとうに「わかっているかどうか」について
客観的、総合的に確認する手段になり得ているかどうか疑問がありますし、
テストによって評価されるのは、子どもたちだけではなく、
指導する側の人間の指導力でもあるのではないかと。

でも、たとえば、分数の約分の単元でいうなら、
子どもがどういう状態になったら
「分数の約分がわかっている」といえるのかを
一律に定義づけしようとすること自体
そもそも無理な相談ではないかとおもうのです。
 
つまり、「わかる」というプロセスには、
一人ひとり異なる個別固有の内面的な部分を含んでいて、
そうした多様性や曖昧な要素をすべて排除したうえで、
客観的な指標を設け、機械的に確認しようとすること自体が、
不可能なアプローチだと言ってもいいでしょう。
 
平井さんは、このような体験から、
わかっているかどうかを外部の人間が数値的に評価したり、
「わかる」ことと「できる」こととを
因果関係で結びつけようとすること自体に無理があることに気づいて、
子どもを「わからせようとする」行為を無条件に良しとする
教育のあり方自体にも疑問を持つようになります。
 
そして、「わかっているかどうか」については定義できなくても、

「できているかどうか」については、明確に定義できると気づいて、
「わからせようとする」行為に対して必要以上に重きを置かず

「ミスが3つ以内で、めやす時間台にできる」

というように、
「できているかどうか」に着目して生まれた教材が
爐蕕だメソッド瓩箸いΔ錣韻任后

 

つまり、言い換えれば、できているかどうかの定義づけが

1枚1枚のプリントに明確に設定されているということが、

このらくだメソッドの、他の教材にはない際だった特徴といえ、

そのことによって、

セルフラーニング(自分ができているかどうかを自分で判断でき、

自分で学習をすすめていけること)

という学習スタイルを可能にしているんですね。

この「わかるーできる」の関係を含めた周辺テーマについては、
林修さんがテレビで「数学ができない人はものを教えるべきではない」と発言したことに触れて
2014年の夏頃にfacebook上で記事を書き、
その記事をめぐって3人の方とかなりディープなやりとりをしたことがあるんですが、
2015年の暮れに書いた
らくだメソッドでなぜ算数(数学)が重要なのかという記事に

そのプロセスの全てをまとめてありますので、

さらに深く考えてみたい方は、併せてご覧下さい。


また、太郎ちゃんが書いている、
 

でもなぜ、このプリントだと、
「できない」ということに出会い、
その「できない」という自覚が生まれ、
「できない」と向き合うことができるのか?
 
という問いについては、これからも太郎ちゃんに引き続き
問い続けていってほしいとおもいますが、
それについて、わたしの考えをひとつだけ書いてみようとおもいます。


なぜ、らくだメソッドの場合、
「できない自覚」が生まれ
「できない自分」と向き合うことができるのかは、
「できない」ということに対して評価を下すのではなく
そのまま受けとめられる場があること、
つまり、わたしという評価しない指導者がいることはもちろんなんですが、
わたし一人の力にはおのずと限界があり、
わたしだけでなく、多様な人がごちゃまぜにいる場の在り方自体が
とても大事だと考えています。

そして、さらに言うなら、
わたしがこのことの大切さについて一番学んだのは、
べてるの家という存在からで、
わたしがこの寺子屋塾を始める前の1992年の時点で
べてるの家の人々と出会っていたことは、
とても大きなことだったと改めて気づかされたのでした。



・・・ということで、4/22はこちらのイベントページにあるように、
太郎ちゃんが企画している
べてるの家のドキュメンタリー映画
「ベリーオーディナリーピープル」連続上映会の三回目を予定しています。

べてるの家については、
太郎ちゃんのこちらのblog記事でも紹介されているように、
今回は予告編4「安心してサボれる会社づくり」を観るんですが、
1/28に行った前回につづいて今回も満員御礼となり有り難いことです。
 
4/22の上映会は満席になってしまったので、
参加のお申し込みをお受けできないんですが、
べてるの家のビデオ上映会は今後も続けていく予定なので、
関心ある方は塩坂太郎さんまたは井上までメッセージ等にてお知らせ下さい。
posted by Akinosuke Inoue 19:37comments(0)trackbacks(0)pookmark





なるべく1度で約分しなさい

3/31は金曜日だったので、19:00頃は中村教室にいたんですが、

facebookを覗いていたら、

塾生の太郎ちゃんこと塩坂太郎さんのblogの更新記事が流れてきました。
 

 

らくだメソッドの学習についてのふりかえり文なので、

たぶん、学習されていない人が読んでもピンと来ないでしょうが、

面白い内容だったので、
わたしの方で若干内容を補足してご紹介します。
 

 

4年生のプリントは全部で41枚あり、

小4-33から41までのプリントは分数の約分を学習する単元です。


 

彼がこの記事で言及している小4-36のプリントは
次の写真のように、
約分の問題ばかり全部で99問ならんでいるんですが、
前半の54番までの問題は
「わけてしても、1度でしてもよい」という指示があり、
55番から99番までの後半の問題は、
「なるべく1度で約分しなさい」という指示があります。
 
算数_小4-36.jpg

こちらに太郎ちゃんのblog記事の原文はあるんですが、
以下に全文をそのまま引用します。
 
小4-36は、もうすでに2回やっていて、
2回とも目安の時間内に解けていました。
 
けれど、自分の中でズルしているわけではないのだけれど、
時間内に「できる」ことを意識しすぎて、
問題の中にある一つの言葉を、素直に聞いていないなという自分に
違和感を感じ、今日はその言葉を忠実にきいてもう一度やってみました。
 
その言葉というのは、
 
「*なるべく1度で約分しなさい」 という言葉です。
 
約分自体はできるのですが、
「約分がどうできるか?」ということを、
 このメッセージは僕に伝えてくれていたのだと思います。
 
たとえば、12/32。
 
1度で約分しなければ、まずは「2」で割って
6/16 … 3/8 と解いていけばよくて、
それなら時間内に「できる」のです。
 
でも、「*なるべく1度で約分しなさい」 という言葉の通りにやると、
最大公約数の「4」を瞬時に見つけることがまだ「できない」わけです。
 
そんなわけで、今日は以前合格できたプリントが不合格になりました。
(目安の時間内に終わりませんでした)
 
「できた」プリントが、自分の意識を変えたら「できない」プリントになるわけだから、
普段の自分は、「できない」よりも、
「できる」方向へ自然と流れてしまっていることがあるように思います。
 
でも、この段階で一度で最大位公約数を見つけることが「できる」ようになることが、
この先のプリントの課題を1つずつクリアしていくためには絶対に必要になることだと思いますし、
いつか必ず「*なるべく1度で約分しなさい」 という言葉をなかったことにし、
 「できる」ことを優先させたことで壁にぶつかる時がくるのだと思います。
 
自分をみつめるというのは、改めて難しいことだと思います。
いつも自然と「できる」方向へ流れてしまう。
 
自分が気づかぬうちに。
それがいいことで、順調なことのように思ってしまいます。
 
でも本当は、その「できる」ことが、
 自分を見えなくしていることがあるのです。
 
「できない」体験から、自分に気づいていくことは、
とっても楽しいことです。
新しい自分に気づけるわけだから。
 
それは「できた」経験からは得られない「新しい自分」であり、
自分の中にいた、けど気づいていなかった「新しい自分」です。
 
その自分に気づけるのは「できない」という体験からだと思います。
 
日常の中をよ〜くみれば、きっと「できない自分」に
たくさん出会えると思うけれど、
自然と「できる」方向へ流れてしまっているのだと思います。
 
なので、まずは1枚のプリントを通して「できない体験」を大切にする。
 
その体験の中で「できない」ことを通して見えてくることへの実感、
そして、その楽しさを感じ、日常の「実はできてない」体験に少しでも目をむけて、
今の自分の中にいる、「新しい自分」「気づいていない自分」を感じていきたいと思っています。
 
小4-36_塩坂太郎.jpg

この記事を読んだわたしは、
すぐにプリントアウトして、その時に教室にいた塾生たちに配り、
各々感じたことをシェアし合いました。

ちょうど先週は、こちらのblog記事でご紹介した
為末大さんの「マインドセット」について話していたこともあり、
「爐任ることは良いことで、できないことは良くないこと瓩箸い
 マインドセットにはまっている人は少なくないよなぁ・・」という意見、
「できるーできないを判断するモノサシは一律で無く、
 それぞれが勝手に決めてるだけというところに気づいて、
 そのモノサシを自分で自由にスライドできるようになったら、
 人間の可能性はもっと開かれていくんじゃないか?」とか、
彼のこの記事のお陰で
他の塾生ともなかなか有意義な意見交換ができました。

わたしが、この太郎ちゃんの記事で面白いとおもったのは、
「できない」自覚から「できる」に向かっていくことに納得しつつも
「できる」方向へ自然に流れていってしまっていいものか?
という問いが浮かんで、
それって、結局はまだ、
「できることが良いことで、できないことが良くないこと」
っていうマインドセットにはまっているんじゃないかと
気がついているところです。

つまり、順調で良いことだとおもっていた「できる」ことが
自分を見えなくしていることもあるんだと気がついたからこそ、
「なるべく1度で約分しなさい」という指示文が
いったい何を自分に伝えようとしているのか?という問いが浮かんで、
これから先の課題を見据えつつ
「ただ約分すればいいんじゃなくて、
 1度で(分母と分子の最大公約数で)約分できるようになることも
 これから先の課題のことを考えると大事なんだ」
と気がついたわけですね。

それにしても、痛感するのは、
つくづくこのらくだメソッドがよくできている教材だということで、
とりわけ、自ら学ぶ姿勢が大事だということだけでなく、
学習者自身が「学力を身につけたい」とおもったときに、
ちゃんとその気持ちに応えてくれる内容になっているところです。


・・・って記事を書いていたら、
太郎ちゃんのblog記事の新しいエントリーが届いたんですが、
今日ご紹介した記事の続編のような中身だったので、
明日もまた彼のblog記事をご紹介することになるかもしれません。
posted by Akinosuke Inoue 23:39comments(0)trackbacks(0)pookmark





最近の中村教室 〜小学生と大人でインタビューゲーム〜

今日の話題は、最近の中村教室のようすをちょっと書いてみようかと。
 
塾生数は2017年3月末現在で38名となりました。
最年少の塾生は5歳、最年長は60代です。
 
15:00から教室を開けているんですが、
一斉授業のスタイルではないので、
各々五月雨式にやってきて、
持ち帰って学習した課題プリントの確認後は、
自分でプリントを棚から出し、その日の学習を行い、
それが終わったあとは、次回の予定を確認し
次回までの課題プリントを棚から持ち帰る・・・というのが基本スタイルです。
 
らくだメソッドを基本教材として位置づけていますが、
それ以外にもオプションメニューとして、
経営ゲームやインタビューゲーム、未来デザイン技法に取り組んだり、
教室内の本や資料などを読んだりしている塾生もいます。

また、学習をふりかえることが重要なので、
日々の気づきを自主的にblog等に書く塾生も増えてきました。
現在は、社会人の塾生が8割以上を占め
仕事帰りにやってくる人の割合が高いので、
19:00以後が賑やかになってきます。
 
教室に在室する時間についても一切強制はなく、
各々でまちまち、三々五々帰ってゆく感じなんですが、
お陰さまで最近は教室がいっぱいになる瞬間も時折でてきました。
 
中村教室のスペース自体の物理的な広さと
わたし自身のキャパシティもあるので、
そろそろ塾生数に上限を設けることも検討しています(48名ぐらい)。
さて、そろそろ本題へと
わたし自身は、対話力(質問力+傾聴力)が
学習の成果を左右する大きなポイントだと考えていることもあって
当初らくだメソッドの指導者養成プログラムとして考案された
インタビューゲームを寺子屋塾で最も重要なプログラムと位置づけています。
 
このインタビューゲームとは
上のフリップにあるように2人一組になって
20分ずつ聞き合い、聞いた話をカードにまとめるという
至ってシンプルなプログラムですが、
これで何が学べるか、その時々で人によって異なり、
それこそ、出たとこ勝負というか
コトバで説明しようとしてもできないのが悩ましいのですが・・
 
寺子屋塾では、毎年5/3と11/3に
塾生+モト塾生+アルファで寺子屋デイと称した集まりをもっていて、
ここ数年は参加メンバー同士で2人組になりインタビューゲームをやって
半年間を振り返るという過ごし方をしています。
 
体験された方がどんな感想を持たれるかについては、
2016年の5月の寺子屋デイのことを書いたこちらの記事など参考にしてください。
教室内で他の塾生やわたしコミュニケーションにおいても、
このインタビューゲームの3つのルール
 
 1.何を聞いてもいい(聞く自由)
 2.話したくないことは話さなくていい(話さない自由)
 3.聞かれていなくても話していい(話す自由)
 

を適用していくことを推奨していることもあり、

塾生のなかには、たくさんの人とインタビューゲームをやることを目的にして

インタビューゲーム会を自ら主催したり、

教室外でも相手を見つけて取り組んでいる人が複数名出てきています。
 

 

こちらの記事にあるように

一昨年11月から学習されている本田信英さん(オンラインヨガ主宰)は、

インタビューゲーム、目指せ100人!と意気込んでいる1人ですが、
2月末に中村教室でその本田さんが小学2年生の塾生ゆうきくんと
このインタビューゲームをやりました。
 

それで、そのときのスナップ写真2枚と、

インタビューゲームを終えた直後に

本田さんとゆうきくんのお母さんAさんがfacebookに投稿された記事をご紹介。
 

 

Aさんは、インタビューゲームについてのコメントのみならず、

中村教室やらくだメソッドについての紹介もして下さっています。
 


まず、本田さんの記事から
 

【小学2年生とインタビューゲーム!?】

インタビューゲーム番外編。

ふとした流れで、

僕がライバル視している小学2年生の男の子と

インタビューゲームもどきをやることに。
いきなり20分は難しいだろうから、10分交代でやりました。


メチャクチャ面白かった。

いやあ、子どもの考えていることなんて、

良い意味でわからないと思ってたけど、

ちゃんと話を聴いてみるとちゃんと理由があるもんです。
上手く言語化できなかったとしても、

なにもなく「やりたくない」のではなくて、

本人なりの通った筋があるものです。
そして、「やりたくないこと」以外は

基本的に前向きに取り組もうとする姿勢がある。


年齢を重ねてくると、

どこかで逆転してしまうのか

「やらないこと」が基本姿勢になってしまい、

「やらなければいけない理由」を求めがちだ。

だから、なんでもかんでも期限を設けたがるかもしれません。
なんとなくやりたくない。

そうじゃなくて、「これだけはやりたくないこと」を

もっと明らかにすればいいんだな。
そこがはっきりすれば、

あとはとりあえずやってみるかと思えるようになるはずだ。

本当にタメになりました。

ありがとうございます。


年齢関係なくできるインタビューゲームって

やっぱり凄いなと改めて思いました。

まだまだお相手募集中なので、やってみたい方はお声掛け下さい!

 

 

 

つぎは、ゆうきくんのお母さんです。
 

 

 

昨日は一昨年冬から三男とお世話になっている寺子屋塾中村教室へ。
こちらの塾は、

塾生が子供〜大人まで(私が行く時間は、三男以外は皆大人)おり、

算数のプリントを一日一枚取り組むことをベースに、

それぞれが自分と向き合い学ぶ教室です。

とはいっても、何を学ぶかはそれぞれ違うので、

なかなか説明しにくいのですが。
ちなみに私も1年たっても、まだこの塾の正体がわかりません(笑)。

特に興味もない算数を、なぜ今更やってるのか。

でもいろんな気づきがある。


昨日は塾生さんと息子が、

インタビューゲームというものをしました。

小2と大人でやり取りができるのか?

母は聞いていないフリをしながらも、耳をダ〜ンボにして聞いてましたが、

子どもも子どもなりに、いろんなことを考えているんですね。

何気ないことに理由があったりして、驚きました。


自分で学ぶことを決めていく場なので、

息子がどういう風に学んでいくかは

口出しせず見守るしかない(これがまた難しい)のですが、

こんな風に大人と子どもが向き合って会話ができる場って貴重でありがたいです。

 

 

 

 


ゆうきくん、Aさん、本田さん、おつかれさま〜

ありがとうございました。<(_ _)>

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「ほめない」ことの意味

朝日新聞朝刊に連載されている鷲田清一さんの「折々のことば」3/20は
能楽師・安田登さんの言葉でした。
「よし」と言うこともしなければ、ほめることもしない・・・
寺子屋塾でわたしが塾生と接する際の姿勢も、基本これと同じです。
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マインドセット(為末大さんのblog記事より)

為末大さんのblogTAMESUEが更新され、本日3/24付けで新しくアップされていた記事のテーマは「マインドセット」でした。
為末さんの著書『諦める力 勝てないのは努力が足りないからではない』のことをこちらの記事で採りあげたこともありましたし、unlearningと題されたblog記事についてこちらでご紹介したことがあります。
 
いま寺子屋塾で学んでいる塾生たちがこの記事を読めば、なぜわたしがこの記事をこ紹介しようとおもったかがすぐにわかる人が多いとおもいます。
塾生たちは「ここの塾でやっていることは、ここに来ていない人には説明不可能です」と口を揃えて言っているんですが、それは、まさにここに書かれているマインドセットの為せる技でもあるのです。
つまり、教室を訪れたことが無い方、実際に学習を体験されていない方にとっては、そうした「マインドセット」が存在すること自体が想像できないので、当塾でどんな学習をしているのかについては、想定外の世界にあるというか、どんなに言葉を尽くして説明しようとしても残念ながらサッパリ伝わらないんですね。笑
 
よって、為末さんがこの記事に書かれている言葉を使って当塾の学習を説明するなら、「自分が現実だとおもって見ている世界は、実はそうではなく、自分がそのように見ているからそうなんだ、というマインドセットに自ら気づき、それを変えていくことができるという学習を、算数などのプリントや経営ゲーム、未来デザイン手法等のツールを通じて行っている場」と言えるようにおもったんですが、それでもこれだけではやっぱり伝えるのは無理ですよね。笑
 
為末さんのblog記事の全文を以下にご紹介します。
 
野茂英雄さんが1995年にメジャーリーグに挑戦されました。それまでは日本人がメジャーで活躍するのは難しいだろうという意見がありましたが、実際に活躍されると同時に、日本人メジャーリーガーが少しずつ増え、今ではもうたくさんの選手がメジャーリーガーになりました。
 
野茂さん以前と以後では一体何が変わったのでしょうか?おそらくは技術的に変化があったわけでしょうし、システムが変わったわけでもないと思います。一番大きく変わったのは、野茂さんの事例を見てそれは可能なことなのだというマインドセットが変わったのだろうと思います。
常に全力を出しているスポーツの世界ですら、マインドセットが変わると前提が変わり、行動が変わり、結果に差が出ることの一例ではないかと思います。
マインドセットを日本語で訳しているものを見ると、思い込み、先入観、刷り込み、などがあります。要は自分が判断をしたり行動をすることの前提になっている(おそらくは無意識の領域で)考え方や見方の癖と言えるのではないかと思います。
例えていうならば、テレビでニュースを見ている時に、現場で起きているそのものを写していても、どの画角を切り取るか、またカメラのレンズや色の違い、などを介して私たちはそれを見ているわけです。この編集の仕方の癖や、カメラのレンズそのものの偏りで、いくらでも現実は変わって見えます。このカメラや編集の癖にあたるものがマインドセットになろうかと思います。
実際に人間は見ているものすべてが意識に上っているわけではなく、無意識に編集し選択されたものを見ているというのを示した実験もあります。私たちは編集済みの世界を既に生きているわけです。
じゃあ、そのマインドセットを変えればいいじゃないかと思うのですが、マインドセットが変わるということはまさに自分にとっては世界が変わるということですから、なかなか簡単ではありません。難しいのは承知の上で、マインドセットはどんなプロセスを経て変わっていくのか、現役時代の経験から、どういうプロセスだったかをまとめてみました。
 
1、マインドセットが存在することに気づく
ー 世の中がそうなのではなく私がそう見ているという発見。
 
2、どんなマインドセットを持っているかを把握する
ー 課題が難しいかどうかではなく、課題を難しいと感じる傾向にあるマインドセットを持っているなど。
 
3、マインドセットは選べることを認識し、選ぶ
ー 見方を変えることはできる。ただし、マインドセットはそう簡単には切り替わらない。
 
4、兆しを見て、マインドセットが変わり始める
ー 人は兆しがなければそれを信じることはできない。いきなり変えるのではなくまず現実は変えることができるという証拠を見せる。
 
5、現実が変わる
ー マインドセットが変わるとほぼ必ず現実も変わる。信じようとしている状態と、信じるという意識もなく身についた状態では、相当差がある。
 
6、マインドセットが変わっていたことに気がつく
ー マインドセットが変わったことに気づくのはいつも振り返った時。最中は夢中で目の前に取り組む。

 
特に重要な点は、マインドセットに気づき選べるとわかること。兆しを作ることではないかと思います。人はいきなり勝てると言われても信じませんが、今までとは違う何か兆しを見た時に勝てると信じ始めます。チームが強くなる時に、だいたいまずはなんらかの結果で兆しを見ることで、チーム内の空気が変わり、大きな変化が起きていくように思います。
 
ドミノの一つ目を倒すように、ある一点に集中して兆しを作るというのが有効なのかもしれません。
 
マインドセットが変わったことがある人間は、それを変えられると信じますが、変わった経験がないとそもそもマインドセットというものが存在するとすら考えないのではないかと思います。心理学の認知療法でも、それがそうなのではなく、あなたがそう見ているという風に認識を持ってもらうのに時間がかかるようです。(websiteTAMESUE THINK 2017.3.24より)
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「仏教を学ぶ」とはどういうことか?

仏教をどんなに学んでも、
たぶん、それだけでは悟ることはできないでしょう。
 
そもそもまず、「なぜ自分は
仏教を学ぼうとしているのか?」という動機そのものや、
その動機を生み出している「自分」を観ることの方が
先なのではないかとおもうからです。
 
仏教はすばらしい教えではありますが
あくまで数多ある「教え」のひとつにすぎません。
 
言い換えれば、「仏教とは何か?」
「何のために仏教はあるのか?」という問いの本質について、
考えを自ら深めていくことではじめて、
仏教の世界に近づいていけるようにおもうのです。
 
あなたは「どういう状態になったら、
自分は『仏教がわかった』と言っていいのか?」
ということについて考えたことがありますか?
 
つまり、自分が仏教を学んで、
仏教の某かが「わかった」というのなら、
おそらく自分の何かが変化するのではないかとおもうのです。
 
もし、何も変わっていないというのなら、
そもそもあなたは
何のために仏教を学んだのでしょうか?
 
何も変わっていないというのに、
はたしてそれで「仏教を学んだ」「仏教が解った」と
言っていいのか?ということです。
 
ビフォーアフター・・仏教を学ぶ前と学んだ後で
自分のいったい何が変わるのか・・・
それを考えずして
人から聞いた仏教についての知識や情報を
ただアタマに詰め込むばかりでは、
悟るどころか、苦しくなるばかりではないでしょうか?
 
「仏教を学ぶということは、崇高な理想を持つことだ」
と考える人がいるかもしれません。
そして、崇高な理想を持つことは、
人間として立派なことだとおもうかもしれません。
 
でも、「崇高な理想のために生きる」というのは、
言い換えれば、
崇高な理想の奴隷になるということではないでしょうか。
 
なぜなら、どんなに立派な理想をもったとしても、
その理想が自分の中から生まれ出たものでなく、
自分にとって本当に必要なものでないのなら、
却って自分を苦しめてしまうのではないかとおもうのです。
 
ですから、「なぜ自分は、
お釈迦さまのように、崇高な理想が
放っておいても自ずと生まれてきてしまう人間ではないのか?」
と問うことが先で、
それを邪魔しているものは何か?を問う必要があるのです。
 
お釈迦さまのような覚者の言うことが
われわれのような凡夫になかなか理解できないのは、
そもそも視点が違うためではないかとおもうのです。
 
つまり、視点を変えることなく、
自分の視点、自分の思考回路でもって
彼らの言葉を理解しようとしたところで、
彼らの世界には一歩も近づけないのでしょう。
 
ですから、どうして彼らがその視点に立てたかを問い、
自分自身がその視点に立つことができたなら、
そこではじめて、仏教とは何かが
理解できるようになるのではないでしょうか?
 
COMMENT:先日教室で、仏教について塾生のひとりと対話していたとき、話していた内容や、後からおもい浮かんだことなどを整理して書いてみました。
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可能性を自ら拓く人間に不可欠な条件6つ

可能性を自ら拓く人間に不可欠な条件6つ
 
^嫐がないようなことでもまずやってみようとおもえる
 →学ぶ目的を狭く限定せずオープンマインド

∋纏(勉強)と遊びを分けていない
 →受け止め方は自分次第だとかんがえ
  どんなことでも楽しみながらやれる
 
m危阿擦困北笋ち蠎蠅力辰房を傾けられる
 →聞くことの大切さを常に念頭において実践し、
  自分が何を知っていて何を知らないかを自覚している

た佑らの提案にスッと乗れる
 →成り行き次第では出会いがチャンスを生むと捉え
  やることを自分ひとりだけで決めない
  
ジき不向きはないとおもっている
 →何ができて何ができないか自分で枠をつくらず
  苦手に感じることこそ伸びしろが大きいとおもっている

ι堙垤腓文充造砲弔あたっても落ち込まない
 →好ましい自分だけでなく、どんな自分も受容していて
  やり続けていさえすれば何とかなるとおもえる
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「らくだメソッドの手引き」無料で差し上げます


寺子屋塾では、1994年の開塾当初より
らくだメソッドを主軸教材として採用しています。
 
らくだメソッドを開発された平井雷太氏によって
2014年に制作された
らくだメソッドで学習する上でのポイントとエッセンスをまとめた小冊子
「らくだメソッドの手引き」(36ページ)を無料で差し上げています。
 
1週間のおためし学習もいつでも無料で体験していただけます。
 
たとえば、算数・数学のらくだメソッドには、
数字を練習する幼児教材から高校数靴糧分・積分まであります。
 
そのうちのどこからでも始められ、
1日の学習量も自由に調節できるシステムのため
個別の多様な課題や学習目的にも柔軟に対応でき、
過去には2歳から74歳まで受け容れました。
 
また、不登校、ひきこもり、うつ病、発達障がいなど、
既存の学校や塾などで学ぶことに
不自由を感じられたことがきっかけで当塾で学習を始められた方は、
過去の塾生全体の2〜3割ほどを占め、
教育問題や心身の健康面を中心に、
人生全般あらゆるご相談に応じています。


幼児〜小学校低学年のお子さんをお持ちの方には、
こちらの記事でご紹介した
幼児からのらくだメソッドガイドブックも一緒にどうぞ。

 
また、らくだメソッドの学習は、
自ら学ぶ力を身につけることに主眼を置いた
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遠方にお住まいの方でも
通塾コース(教室に通う形)とほぼ同じ条件で学習が可能です。
 
通塾コースでは、原則として週1回から、
通信コースでは、原則2週間に1回、教材を郵送でやりとりしながら、
電話やメール、SNS等を併用し、
各々がコミュニケーションしやすい通信手段で学習をすすめていきます。
 
詳細は井上までお気軽にお問い合わせください。
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