往来物手習い

むかし寺子屋では師匠が書簡などを元に往来物とよばれる教科書をつくっていました。
寺子屋塾&プロジェクト・井上淳之典の日常と学びのプロセスを坦々と綴ります。





寺子屋塾生の学習ふりかえり文をご紹介

 

今日は、一昨年の11月かららくだメソッドの通信学習で学んでいるひとりの塾生(30代女性)が、書いていたふりかえり文章をご紹介します。

 

いままでに、寺子屋塾の学習については、こちらの記事など為末大さんのblog記事「アンラーニング(unlearning)」をご紹介したり、「できない自覚が大事」「爐任る瓩鯡椹悗気覆こ惱」といったことを何度も書いてきました。

やっぱり指導者のわたしが書くよりは、実際に学んでいる人のコトバの方がずっと実感がこもっていて、伝わりやすいように感じています。

 

 

通信学習の場合は、原則として2週間に1回のインターバルで教材をやりとりしているため、隔週の土曜日を教材返送日として設定しています。6月は、10日(土)と24日(土)の2回でした。

 

学習記録表には、通信用と通塾用の2種類があります。通信用も通塾用もいずれも1ヶ月分の学習について、いつ、どのプリントを、どれだけ学習して、結果がどうだったか(かかった時間とミスの数)が記入できるようになっていることは同じですが、冒頭に貼り付けたように、通信用の学習記録表の場合は、右側に必要なプリントの番号と枚数、質問や気づき、学習のふりかえりを記入できるメモ欄があります。

 

以下、6月の1度目返送時にメモ欄に書かれていたふりかえり文です。

 

 

今回は、研修や旅行のときにもプリントをもっていくことを忘れてしまい、ほぼとりくめていない2週間でした。地道にコツコツすすめるというのは難しいですね。

 

5月下旬に職場としている団体で大きなイベントがあり、そのちょっと前から朝早く出かけて夜遅く帰るという生活が続き、プリントに取り組もうとする気力がわきませんでした。それで、結果的にプリントは取り組めなかったんですが、それでも、気力がわかなくてとりくまないという選択ができたのは、わたしにとっては進歩かもしれません。

 

昔ならできない自分をさらすのがはずかしくて、あるいは、できなかったことに対して怒られるのが怖くて、できる日にまとめてプリントにとりくんで、すべての日にやれていたように、うその時間を記入していたかもしれません。

 

はじめてこのプリントにとりくんだときには、ものすごい緊張感がありました。「こんな簡単な問題をまちがえるなんて、はずかしい・・・」という気持ちがあったからだと思います。

 

子どもの頃、丸つけをするとき、とても緊張していたなあということ、まちがえることが怖くて、丸つけのときにこっそり目を盗んで自分の答えをかえてしまったことも不意に思い出しました。別に間違えたからといって、それで人生が終わるわけでもないのに・・「しっかりしないといけない」「できないといけない」等々、わたしをとりまく「〜しないといけない病」は根深いですね。

 

でも、「できる」ということにだんだんこだわらなくなってきたのか、今はプリントにとりくむときや、丸つけのときの緊張感はなくなりました。自分の気持ちに対し、すこしは素直に行動できるようになってきたのかもしれません。(了)

 

 

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頑張りすぎないことの大切さ

5/18に新・働き方総合研究所のJapan Bissiness Pressで配信された篠原信さんの

『失われた20年の本当の原因は「頑張りすぎた」から 〜バブル期の働き方を引きずるのはもうやめよう〜』

を興味深く読みました。

篠原さんには、NPO法人 地域の未来・志援センター企画の研修イベントで、1度お目にかかったことがあります。
 

 

twitterやfacebookでこまめに情報発信されていて、時折やりとりをさせて頂いているんですが、昨年11月には『自分の頭で考えて動く部下の育て方 上司1年生の教科書』(文響社)を上梓されました。


 
さて、本日のテーマは「頑張りすぎないこと」です。
 

 

わたしは教室でも教室以外でも、まわりの人に「頑張れ」という声かけをほとんどしていません。

いろんなトラブルは、力が足らなくて起こっていることはほとんどなく、ほとんど、力が入りすぎてちぐはぐになっているように感じているからです。

たとえば、健康面でいうと、「生活習慣病」という言葉がありますよね。

つまり、現代人のほとんどは、栄養が足らなくて病気になっているのではなく、栄養のとりすぎが病を招いているように感じるんですが、犂癲覆ん)瓩箸いΥ岨が「疒(やまいだれ)に品物の山」と書くのは、言い得て妙です。
 

 

つまり、もし、癌を治そうとするのならば、基本的な心構えとして、栄養たっぷりの食事や薬を!というよりも、まず、食べる物自体を物理的に減らすアプローチがまず必要なのではないかと。

 


それこそ、力が入りすぎている人には、「頑張らなくていいよ」って言いたいんですが、そう言うと今度は「『頑張らないこと』を一所懸命に頑張ろう!」として却って逆効果になってしまう人もいて、「力を抜く」というのは、つくづく難しいことなんだと痛感しています。

緊張している人に向かって、「緊張しなくていいよ〜」って言ったところで、ますます緊張してしまいますからね。
 
記事の後半で、「病院で手術室を常に1つ空けておくという、一見ムダにおもえることを実践することで、意識化できていなかったもっと大きなムダが改善し、こなせる手術数が大幅に増加した」というエピソードが登場します。
 

 

これはまさに当塾で実践している学習そのもの!なんですね〜
 

 

つまり、小学校の算数の計算プリントは、多くの大人にとっては、してもしなくてもどちらでもいいような、一見ムダのようにおもえる学習なわけです。
 

 

でも、そうした1枚の計算プリントを学習するという行為を、たとえ5分であっても1日24時間ある自分の生活の中に自ら位置づけようとすることで、それまでの自分に見えていなかった「盲点」・・つまり、さらに大きなムダが浮き彫りになるというようなことが起きてくる・・・
 

 

もちろんこれは、あくまで可能性としてという話なので、必ずそうなるって保証はないんですが、結局は頑張りすぎてギリギリのところまで力をつかってしまわず、自分のなかにいつも爐垢海靴龍白部分瓩魍諒櫃靴討く姿勢というのは、大事なんだという話に通じるようにおもうわけです。

茂木健一郎さんの著書『ひらめき脳』にでてくるエピソードは、3ヶ月ほどまえにこちらのblog記事でもご紹介しました。


また、こちらの記事に書かれているんですが、F1などで走る競技用の車を除き、ほとんどの車のハンドルには意図的に微量の遊びをつくってあります。
 

 

もし、その遊びがないと、どんな結果を招くかなんて、想像したことがなかったんですが、ハンドルにちょっと触れただけでタイヤの軸が左右にズレてしまいますから、めっちゃ運転づらいでしょう。


もちろん、自分のエネルギー120%を出し切って頑張らないといけないときもときにはあります。

でも、そんなパワー全開状態は長くは続けられないし、闇雲に頑張るばかりでは、すぐに息切れしてしまいますから、その時々で発揮できる力の落差が大きいと、トータルで見ればパフォーマンスがあまりよくないんですね。
 

 

このテーマは、以前に書いた引き算の教育という記事にもつながるんですが、自分とまわりをよく観察して力の入れどころを工夫すること、努力よりも脱力を意識することは重要だとおもうわけです。
 

 

つまり、どこに注力することが結果的に自分のパフォーマンスをあげることにつながるのかというのは、思案のしどころではないでしょうか。
 

 

 

以下は、篠原さんの記事から一部分を引用させて頂きました。


------------------------------


今の日本に必要なのは、これまでの「もっと頑張れ、そうでなければ世界から取り残される」と脅し、尻を叩き、余裕ひとつ残さず無休憩で頑張らせようとすることではなく、「もう十分頑張ってる。むしろ“少し頑張らない”余白を意識的に作り、力こぶの入れ所を考え直そう」と訴えることではないか。
 
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という言葉がある。溺れて慌てて暴れると、余計に溺れる。溺れた時はあえてジタバタせず、覚悟を決めて力を抜くと体が自然に浮かび、そのうち浅瀬に打ち上げられる、という、なかなか味わい深い言葉だ。
 
拙著『自分の頭で考えて動く部下の育て方』への批判的な声には、「そんなに手間暇かけて部下を育てていられる恵まれた職場なんて現実にはないよ」というものがある。私もその通りだと思う。だから指示待ち人間が増え、指示を出すのに忙しくて「自分がやった方が早い病」になり、仕事の能率が落ち・・・という悪循環に陥るのだろう。
 
思うに、自分の頭で考える部下が育てば、能率は大幅に向上する。それを妨げているのは、目一杯に頑張ってしまうことなのだ。頑張るから能率が下がる悪循環に陥ってしまうのだろう。
 
「失われた20年」では、皆が溺れて慌ててジタバタしていた。しかし、もはや少子高齢化で大変になることは請け合いなのだ。ならばいっそ脱力してみよう。脱力して生じた余力、余白が、私たちに思考する余裕を与え、力こぶの入れ所を教えてくれるように思う。

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「初心忘るべからず」とお試しプリントのこと

風姿花伝・三道.jpg

「初心忘るべからず」って言葉を聞いたことがありますか?。

室町時代に能を大成したと言われる世阿弥(1363〜1443)が著した『花鏡』『風姿花伝』に出てくる言葉で、おそらくまったく聞いたことがない方は少ないでしょう。

ただ、「この言葉の意味は?」と尋ねると、本来の意味と違う意味で使われている方が大半なんですね。

さて、皆さんはどのような意味だとおもわれてましたか?

ネットで検索してみると、誤用をそのまま鵜呑みにして、誤用のままで説明しているページも少なくありません。

たとえば、故事ことわざ辞典を見ると、
 
学び始めた頃の謙虚な気持ちを忘れてはならないという戒めで、世阿弥が能楽の修行について言った言葉。『花鑑』に「当流に万能一徳の一句あり。 初心不可忘」とあるのに基づく。

とありますし。

また、「初心忘るべからず」には、裏の意味がある。を読むと、


「この格言には、実は裏の意味があって、世阿弥でさえ、初心を忘れて苦労をした、と言われ、いかなる人間でも必ず初心を忘れてしまうという人間心理をついている」


という、いかにももっともらしい説明まで書かれていて、おもわず、そのまま信じてしまいそうになりますね。


気がついた人もいらっしゃるかもしれませんが・・・そうです。

おそらく、「初心忘るべからず」という言葉がこのように、
 
「物事に慣れてくると、慢心してしまいがちであるが、はじめたときの新鮮で謙虚な気持ち、志を忘れてはいけない」

という、本来の意味と異なる使われ方がされるようになったのは、「始めた頃の高邁な志を最後まで貫く」という意味で使われる
 
「初志貫徹」
 
という四字熟語と混同してしまったためではないかとおもうんですね。
 
ただ、こちらのページなど、
 
始めた頃のみっともなさを忘れてはいけない。そのことで、そこから向上した今の芸も正しく認識できる。かつての未熟な自分を折に触れて思い出し、あの状態には戻りたくないと自覚することが大切だ、
彼の言う「初心」とは「始めた頃の気持ちや志」すなわち「初志」ではなく、「芸の未熟さ」、つまり「初心者の頃のみっともなさ」なのです。初心者の頃のみっともなさ、未熟さを折にふれて思い出すことにより、「あのみじめな状態には戻りたくない」と思うことでさらに精進できるのだ、と彼は説いています。
 
とあり、狎ぐぬ錣慮世Α崕蘓粥廚箸蓮崕藥屐廚里海箸任呂覆き瓩隼愿Δ垢襯汽ぅ箸發燭さん見つかるんです。
でも、ちょっと待てよ・・・この解釈も本当かなぁ。。。と、勇み足があるように感じるのです。
 
たしかに、世阿弥が「初心忘るべからず」という言葉で言わんとしたことは、初めの頃の新鮮で謙虚な気持ち、高邁な志、というよりはむしろその逆、ということのようなんですが、『花鏡』や『風姿花伝』に、始めた頃の芸が未熟な状態を「みっともない」とか「みじめである」とは書いていないし、「過去の自分には戻りたくない」という風にも書いてありません。
 
原文には、「是非とも初心忘るべからず、時々の初心忘るべからず、老後の初心忘るべからず」とありますから、これをわたしなりに解釈すると、「芸事を学ぶには、さまざまな段階があって、新しい状態に直面した最初の状態が大事である。つまり、そのように体験してきたすべてのプロセスに価値があるから、それらを捨てずに記憶しておくことで、自由闊達に組み合わせ、より幅の広い芸が可能になる」

つまり、「初心忘るべからず」の「初心」とは、「それまで経験したことがないことに対して、自分の未熟さを受け入れながら、その新しい事態に挑戦していく心構え」のことで、そうした自分の姿を忘れなければ、中年になっても、老年になっても、新しい試練に向かっていくことができる、失敗を活かせ、ということではないかと。


・・・なんて、エラそうに書いているわたし自身、このことを知ったのはつい5年ほど前のこと。

それまでは、最初に書いたような「初志」の意味でおもいこんでいたんですが。(^^;)



さて、長くなりましたが、ここまでは前置きで、この話と寺子屋塾の学習がどうつながるかってことが今日の本題です。

らくだメソッドの学習を始められる際には、どなたにも最初、以下の7枚からなる「お試しプリントセット」をお渡ししています。

‐1−24(たし算 暗算120問)
⊂2−20(足し算 筆算 96問)
小2−30(引き算 筆算 99問)
ぞ3−14(かけ算 筆算 45問)
ゾ4−15(わり算 筆算 64問)
小4−41(分数の約分 99問)
Ь5−25(分数の加減算、約分 63問) 


もちろん、この7枚は学習対象者が主として小学校5年生〜成人の場合です。
よって、小学4年生以下のお子さんの場合は、もうすこし易しいプリントになるんですが、いずれのプリントも、それぞれの単元のまとめにあたるものです。

たとえば、Ь5−25は、小学校の算数教材すべての中でもっとも難しいプリントなのですが、これがどのぐらい難しいかをお伝えするために、いつもお話しているエピソードがあります。

いまから10年ほど前でしたか、三重県教育委員会の企画で、県立高校の先生方対象の研修会が持たれ、らくだメソッドの開発者・平井雷太さんが講師として招かれたことがありました。

そのときは、各校から教頭先生と進路指導部の部長の先生と2名ずつ、県庁講堂の広い部屋には130名ほどの先生方が集まられて、
全員がこの小5−25プリントを全員が学習されたんです。
さてさて、ここでクイズ!です。
そのとき、そのうちの何人が合格できたとおもいますか?

現役の高校の先生方ばかり130名ですから、その中にはきっと数学の先生もいらっしゃったとおもうのですが・・・
 

合格者は・・・



なんと・・・
 






0名!!

だったんです。



平井さんいわく、
「このプリントを初めてやって合格できる人は
1000名に1人ぐらいなんです」とのこと。。。

つまり、なぜ、そのような難しいプリントを学習を開始する前のタイミングで行うようにしているかということなんですが、それが冒頭にご紹介した「初心」を忘れないためであり、

最初に

「できない体験」

をして頂くことが目的なんですね。

つまり、小学校の算数プリントですから、わたしが何も説明しないとみなさん、「たかが小学生のプリント、これぐらい簡単にできるさ〜」とおもわれてしまいます。

でも、そうすると、できない現実に直面したときのショックがあまりに大きく、この学習自体に対するモチベーション自体が下がってしまいかねません。
よって、前に書いた高校の先生のエピソードなども交え、「7枚のプリントはいずれも難しいプリントばかりで、とくに枚目のプリントなどは、「小学校5年」とあっても、大人の方も含め

1000人にひとりしか合格しない

ような、とてつもなく狷颪靴き瓮廛螢鵐箸覆鵑任垢茲叩」と
まえもって丁寧にご説明するようにしているわけです。


このように「できない体験」が主旨であることや、そのことの大切さもふまえ、このお試しプリントは、かなり丁寧に説明したうえでやって頂いているわけなんです。
ただ、こうした手順をていねいに踏んでも、ひとの話を話半分にしか聞いていないというか・・・まあ、「鵜呑みにしない、真に受けない」という姿勢は大事だなぁとはおもうんですが、

大きなショック!

を受けてしまう方は、時折いらっしゃるんですね。
 
たったひとつのことであっても、それをちゃんと「伝える」ということは、ホントに難しいんですね〜 (^^;)

 
まあ、前に書いたように、世阿弥の「初心」を、「みっともない」とか、「みじめである」と解釈する人たちが少なからずいるわけですから、小学校の算数の問題ができなかったことをネガティブに捉えてしまうのも、やむを得ないようにもおもうんですが、まだ、学習は始まっていないわけですし、

「できない」ことは何の問題もないっ!

ということを、お伝えしたいわけです。


また、お試しプリントの内容やレベルを云々する以前なんですが、「プリント自体が1枚もできなかった」という方も時折いらっしゃいます。

でも、それも、まったく問題がないばかりか、お試し学習の段階で既にというか、早くもこの学習の牴其瓩魴泙┐討い襪錣韻任靴董ΑΑ笑

そして、これはけっして皮肉でも何でもなく、ほんとうに本心からそうおもっているんですね。

つまり、もし、お試しプリント7枚がすべて何の問題もなく合格し、だれからも強制されない環境のなかで、「自分で決めて自分でやる」ということがスイスイできてしまうのであれば、むしろ、わざわざ寺子屋塾で学ぶ必要はないのかもしれないので。

最初は誰もが「できない」のがあたり前で、そのできない自分をダメだとおもうことなく、
そのまま受容する姿勢、心構えを大事にしたい
という想いが、この学習の核にあることを、最初の時点でお伝えしたいわけです。

その姿勢を失わず、目の前のプリント1まいを淡々とやり続けていくことで、1000人に1人しか合格しないような小5-25の難しいプリントであっても、だれもが例外なくすらすらできるようになってしまうのですから。


でも、こうした「できない体験」というのは、「できる」ようになってしまってからではできません。

だから、らくだメソッドで学習を開始される前のタイミングでしか体験できない「できない状態」を、しっかり体験して記憶しておいてほしいわけです。


過去にこんな詞を書いたこともありました。

 
病気になったときに
治ろうとする力がはたらき始めるように、
できない壁につきあたったときにこそ
学ぼうとする力がはたらき始める。
 
何かをし続けていれば
できない壁につきあたるのは
あたり前のこと。
 
だから、
できないことは困った問題でなく、
できない自覚が生まれ、
今まで見えなかった壁が
見えるようになるチャンスだと
おもうだけでよかった。(1998.3.7)


 
また、「できない自覚」がいかに大切かというテーマについては、
以前にもこのblogでは何度もとりあげていますので、
こちらの記事などをご覧頂ければ有り難いです。


らくだメソッドのお試し学習(1週間分のプリント7枚)は、いつでもどなたでも無料で体験していただけますので、お気軽にお問い合わせください。
教室まで来られることが難しい遠方の方であっても、資料と併せてお送りします。

以下の写真は算数教材一覧表の一部なんですが、学年の後に
「相当」という文字がついているのが見えますか?

大人の方でも、小4相当のプリント数枚を合格するのに、半年以上かかることもあるぐらいですから、実はこの「相当」がミソなんです。笑

 
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分数の約分プリントやり続けて4年になりました

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指導者の立場にあるわたしですが、

わたしもらくだメソッドのプリントで学習を続けています。
 

 

分数の約分のプリントをやり始めたのは2013年5月13日でしたので、

一昨日でちょうど丸4年になり、
一昨日に学習したプリントで2376枚目を数えます。
 

 

最初は同じプリントを180枚やる目的で始めたんですが、

そのときには4年も続くことになろうとは想像だにしませんでした。
 

 

2013年の1年間に180枚を学習し終え、

2014年の年明けすぐに書いたふりかえりの文章があります。
 

 

その後も学習が続いていることもあって、

結局公開するタイミングを逸してしまっていたんですが、

今日はそれをご紹介することにしました。
 

 

これを書いてから以後の気づきもまた
興味深いものがいろいろあったので、

いつかは総括して書いてみたいとおもっています。
 

 

♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
 

 

らくだメソッド・算数小4−41(分数約分のまとめ)ふりかえり(2013.5.13〜12.28)

 

【この学習をはじめたきっかけ】

2014年は、らくだメソッドを用い始めて20周年を迎えます。このメソッドは、常に学習者の犧瓩鯢發彫りにするため、マニュアル的対応は通用しません。そのため、指導マニュアルのようなものが一切用意されていないのですが、この20年の間に300人以上の生徒と接するなかで、わたし自身も数え切れないほど多くのことを学んできました。

 

またその一方で、指導経験をつめば積むほど、その経験が却って邪魔をして、わかったつもりになってしまっているのではないか、ということも気になっていました。以前は、指導者対象の研修会が比較的頻繁に持たれていたのですが、最近はそういう機会も少ないので、今一度私自身原点に戻って学び直したいとおもったことが一番大きな動機です。つまり、このメソッドで学ぶことが、今のわたし自身にとっても大切な気づき、変化、成長を本当にもたらすのかどうか、20年を1つの節目として検証してみたいという想いがありました。
 

ただ、わたし自身は指導者ですから、らくだメソッドの学習は過去にひと通り終えています。それで、既に体験したやり方と同じやり方で学習するよりは、今までやったことのない新たなチャレンジをした方が良いと思ったのですが、そのためにどんな設定や枠組みが適切なのかと考えたとき、ふと浮かんだ言葉が「180枚同じプリントをやり続ける」でした。
 

らくだメソッドの説明をするときに、「何をどのように学ぶかについて、学習者が自分で決められる学習であり、自分でカリキュラムをつくれるメソッドである」ということをお伝えしています。そのことの大事さを説明する際、よくご紹介しているエピソードの1つに、同じプリントを180枚やり続けた生徒さんの話があります。それは、そのプリントを学習すると自分で決めたからこそできたのであって、もし人から強制される状況下であったなら、絶対にできない学習だからです。
 

でも、それは、わたしの教室で学んだ生徒の話でなく、他の教室の指導者から伝え聞いた、他の教室の生徒の話なのです。私自身もらくだメソッドの学習は「めやす時間内、ミス3個以内」であれば次のプリントに進んでOKというルールに従って学習したので、同じプリントを180枚やりつづけたという経験はないので、自分自身で実感していない単なる受け売り情報を語っているにすぎません。そこで、「もしわたしが同じプリントを180枚やり続けたとしたら、いったいどういうことが起きるだろうか?」と自分に対しての興味が沸いたのです。
 

【5/13の時点で決めたこと】
・1日1枚だけ。2枚以上はやらない
・毎日やり続けることだけにとらわれない
→毎日やれなかった時は、毎日やり続けたときと、間が空いたときとでどう違うのか、その間も2日空いたとき、3日空いたとき・・・とでどう違うかを知るチャンスと考える
・いろんな時間帯、いろんな環境でやってみることを大事にして、やり方を固定化しない
・180枚続けることをとりあえずの目標にする


【なぜ小4−41のプリントを選んだか】
ファシリテーションで最も難しいと言われているスキルのひとつに、合意形成の促進があります。AさんとBさんが意見の食い違いで対立しているとき、ファシリテーターがAさんの意見とBさんの意見に共通する要素を瞬時に見つけて両者が納得するような提案ができれば、合意形成が進むように思うのですが、なかなか簡単ではありません。

 

らくだメソッドの小4−41は、分数の約分のまとめのプリントで、問題が99問並んでいます。分数の約分問題を解くときの要所は、分子と分母の異なる2つの数字を見て、共通する最大の約数(因数)を見つけられるかどうかにかかっています。たとえば、38/95という分数を約分するときに、38と95の最大公約数を探るわけですが、共通因数19というのは素数ということもあり、なかなか思い浮かびません。あくまでアナロジーであり、仮説ではあるのですが、この19が瞬時に閃いて、38÷19=2、95÷19=5 → 2/5 という計算ができるようになることを異なったものの中に共通する要素を見つけられる能力の開発や、合意形成のファシリテーションスキルの向上にもつなげられないだろうか、ということです。
 

 

【学習プロセスで気づいたこと】
1枚のプリントをやり終えた時点で気づいたことは、すぐに学習記録表などに書きとめるようにして、1ヶ月に1回ぐらいの割で、それまでの学習をふりかえって総括するよう心がけ、時折facebookにもその内容を投稿していました。

 

 

ヽ惱する時間帯が遅くなるほど時間が長くかかり、ミスも増える
→「プリントやらないと・・・」という思いをひきずりながら夜まで1日過ごすより、早めに終わらせたほうがメンタル的にはスッキリする
→学習はなるべく早い時間帯に終わらせたほうが良い
→算数の問題を解くことはアタマの準備体操になる
→1日の始めにプリント1枚やることで、生活のリズムを自分でコントロールしやすい環境が生まれる

 

 

△燭箸┌影5分の学習でも、続けることで学習した時間の総和以上の効果が生まれてくる。
具体的に書くとすれば、50分の学習を1日でやるよりも、5分の学習を10日続けた方が同じ時間を使っていても効果が高いということです。
→勉強はかけた時間ではなく勉強する中味と姿勢、その質が問題。結局、時間よりも密度が大事だということ。

 

 

A瓩やろうと時間を意識すればするほど時間は長くかかって遅くなる。時間を気にせずに学習するために時間を計っている。
→スピードアップを目的にせず、意識せず、淡々とやることがスピードアップの秘訣
→「学力向上は、学びの結果として現れてきたものであって目的ではない。学力向上の最大の秘訣は学力向上を目的としないことにある。」(佐藤学)

 

 

た卦録が出る前は不調(スランプ)が続くことが多い
→記録は少しずつ短くなるのでなく、行ったり来たりしながらのプロセスを経て、ある日突然のように新記録が出ることが多い
→「夜の終わりに朝が来る。しかし夜明け直前の闇は最も暗い」(むのたけじ)

 

 

テ韻献廛螢鵐箸魴り返しやっていても間違える問題はだいたい同じ
→どの問題で間違えやすいかを分析することで、思考パターンや癖がよくわかる
→人はだいたいいつも同じ問題で躓いている

 

 

Φい魎砲瓩襪箸垢阿坊覯未箸靴童修譴
100枚を超えるあたりから、ミスがほとんどなくなってきたのですが、それでもたまに1つ2つ間違えることがあり、思わぬ処に伏兵が隠れていたという感じがしました。150枚を超えたあたりになってようやく百発百中という状態になってきたのですが、それでも時間を急ぐとミスをすることには変わりはありませんでした。
→油断大敵!伏兵に注意!

 

 

С惱場所(環境)や筆記具、着る服、身につけるものなどに影響を受ける
これらの影響は、「めやす時間内、ミス3つ以内であれば次に進む」という通常のスタイルで学習している範囲ではほとんどで自覚できません。しかし、時間を短くするチャレンジをやっていると限界が近づくにつれて次第に敏感になってきます。
筆記具はエンピツが一番よいようです。また、すべてのエンピツを試したわけではないのですが、トンボのMONOやステッドラーが良い感触でした。


【月別の学習状況 学習日数と学習率】

  月  学習日数/日   学習率
----------------------------------------------------
 5月   18/ 19  94.7%
 6月   25/ 30  83.3%
 7月   22/ 31  71.0%
 8月   26/ 31  83.9%
 9月   24/ 30  80.0%
10月   10/ 31  51.6%
11月   22/ 30  73.3%
12月   27/ 28  96.4%
----------------------------------------------------
 全体  180/230  78.2%


【全体をふりかえって】
●今の自分の状態が自分で把握できる
7月上旬に尿路結石を起こしたときには、痛みのあまりさすがにプリントをやろうという気持ちが起きませんでした。たった2〜3分の短い時間であっても、プリントを1枚やるということを1日の生活に組み込んでおくことで、結果的にプリントがやれなくても、プリントをやることに対する自分の気持ちの向かい具合がどうかがわかるし、プリントをやってみれば、その日のアタマの働き具合というか、自分のコンディションが自分で掴めます。このことは生活や仕事全般に影響が及ぶもので、うまく活用すればメリットがとても大きいように感じました。

 

 

●セルフラーニングはひとりではできない
らくだメソッドを開発した平井氏が「セルフラーニングは自学自習ではない」「セルフラーニングはひとりではできない」「犲己決定瓩箸蓮⊆分ひとりだけで勝手に決めないこと」ということを言っているんですが、伴走者として見守る指導者の役割はとても重要なのです。指導者の立場にある私がこうしてfacebookで学習プロセスを公開し、180枚続けると宣言してしまうと、途中で「や〜めた!」とは絶対に言えません。やらざるを得ない状況に自分を置くこと、根性や意志、努力に頼るのではなく、そういうしくみをつくる工夫をすることの大事さを改めて思いました。
つまり、寺子屋塾の教室で指導者の私が果たしている伴走者の役割を、私の学習の場合はfacebookのお友達の皆さんが果たして下さったわけで、こうして続けられたのは、見守ってくださった皆さんのお陰です。

 

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事実と認識と感情を分ける

事実と認識と感情


仕事柄、いろんな方からいろんな相談をいただきます。
 

そうしたときのわたしの基本スタンスは一定していて

対話をしながら、事実と認識と感情を分けて、

それを自ら整理できるようにしていくということです。

 

 

犹実瓩亙僂┐蕕譴覆い掘
一旦引き起こされてしまった犂蕎隲瓩鮓紊ら否定しようにも
問題はこじれるだけです。

変えられるのは自分自身の倏Ъ鵜瓩里澆任后
 

 

問題の根源にあるのは、
だれかの倏Ъ鵜瓩鵬瓩ない意見や評価を、
あたかも事実であるかのようにおもいこみ、
絶対化してしまう思考回路であると言えます。
 

 

結局わたしたちは、
そうした思考回路に知らず知らずはまってしまって
苦しんでいるわけですから、

自分を苦しめているのは他でもない自分自身でもあるわけです。
 

 

もし、そうした思考回路の組み換えをはかろうとするのであれば、
 

 

´犹実甅倏Ъ鵜甅犂蕎隲瓩鮑同しないで分離すること
↓倏Ъ鵜瓩録佑凌瑤世韻△襪海箸鮃く知ろうとすること
ひとつの事実に様々な角度から光を当てて観察すること
き犹実瓩鉢犂蕎隲瓩搬昭圓劉倏Ъ鵜瓩鯤僂┐茲Δ箸靴覆い海
ヂ昭圓劉倏Ъ鵜瓩某兇蟆鵑気譴襪海箸覆犹実瓩鬚發箸鉾獣任垢襪海

 

が大事になります。
 

 

よって、寺子屋塾の学習は、
そうした思考を計算プリントや経営ゲームのワークショップ、

ファシリテーション講座などで狷常化瓩垢襪海箸鮨篆覆垢覲惱
といえるでしょう。

たぶん、このようにコトバで説明すれば
大方の人は、大脳次元では理解できるのでしょうが、
それが実践できているかどうかは別の話なので、

アタマだけの理解にとどめず、
カラダに染みこませるプロセスが必要なんですね。
 

 

よって、皆さんが日常生活されている場や仕事の現場が
大事な猊饌罩瓩如教室は牾擴悪瓩鵬瓩ませんから、

寺子屋塾の教室が犇気┐覆ざ軌薛瓩両譴箸覆襪里蓮⊆明の理ともいえますね。

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四則演算には日常の思考や発想の基本となるエッセンスが詰まっている

ある人がツイッターで、「四則演算とは、アイデア生成に当てはめて考える発想のフレームワークであり、1つのフレームワークの中に、問題分析、現状改善、理想追求という異なる発想のフレームワークを包含しています」「わり算とは、大きすぎる問題をコントロール可能な大きさまでドリルダウンする、問題点の発見のためのフレームワークです。切り口として目的軸、機能軸、時間軸、空間軸、人間軸、手段軸、経済軸で問題を捉え直す5W2Hを推奨しています」と書いていました。

 

らくだメソッドでの指導をこれまで続けてきた中でわたしが気づいたことは山ほどあるのですが、その中にはこのツイッターに書かれている内容にかなり近いことがあると気づいたので、そのことについてすこし丁寧に書いてみようと思います。
 

 

その結論だけを端的に表現するなら、「算数で学習するたし算・ひき算・かけ算・わり算という四則演算には、単に計算することのみに終わらない、日常の思考や発想の基本となる大切なエッセンスが詰まっている」「その四則計算について狠韻砲笋衒を知っているレベル瓩鮹Δ靴騰犲分の技術として自由自在に使いこなせるレベル瓩泙能熟することが、日常生活における発想や思考等にも変革をもたらす可能性がある」となります。
 

 

たとえば、2×4=2+2+2+2 であり、8÷2は、「8から2を何回引いたら0になるか?」を示しているように、「かけ算」は「たし算」の拡張であり、「わり算」は「ひき算」の拡張演算でもあります。また、87−23=64 → 64+23=87となるように、「たし算」と「ひき算」とは逆演算の関係にあると言えるのですが、このように四則演算とは個々に別個のものでなく、相互に密接な関連があります。
 

 

また、多くの人が小学校で、たし算→ひき算→かけ算→わり算の順番で学習してきたと思うのですが、この四則演算の中でもっとも難しいのは「わり算」です。たとえば、77÷9という計算をするとき、 9×8=72、77−72=5なので、答えは8あまり5となるわけですが、わり算は「ひき算」と「かけ算」の両方を使えないと解くことができません。前にも書いたように、「かけ算」は「たし算」の拡張演算でもあるわけですから、「たし算」「ひき算」「かけ算」の3つの要素がすべて含まれる「わり算」が四則演算でもっとも難しいというのは、至極当然といえるでしょう。
 

 

さらに、わり算を解く際の思考プロセスにおいては、比較照合する発想も欠かせません。たとえば、前の「77を9で割るとき、いくつの商が立つのか?」で説明すると、9×9=81、9×8=72、9×7=63だから、81だと大きすぎ、63だと小さすぎる・・よって77は81と63の間にあると言えるわけですが、こうした問題を解くときに「三者を比較照合する」発想が活用できるのです。
 

 

もちろん、前の例はわる数が1けたですし、多くの人のとって無意識にできてしまうほど簡単なので、「三者を比較照合する」という表現がやや大げさに感じられるかもしれません。ところが、537÷29、7653÷172など、わる数が大きくなってくると、よほど計算に長けた人でないと、適切な商がすぐには思い浮かばなくなり、あまりもスグには出て来なくなります。
 

 

このように、「わり算」の計算問題を解くというのは、一見単純そうに見えて実は非常に高度な思考を駆使している・・・つまり、わり算で最初にいくつの商が立つかを考えることは、「仮説を自分で立て検証をする練習」「未来への見通しを立てる練習」につながっていると言えるし、さらには、ある数を別のある数でわるという演算には、「大きすぎる問題をどこまでブレークダウンすれば自分にアプローチ可能な大きさになるかを考える」という意味合いが含まれているように思うのです。
 

 

ところで、らくだメソッドでは、小学校4年生相当の教材に、「2桁以上のわり算」が組み込まれているんですが、この単元だけで16枚もあります。もし、単に計算のやり方を学ぶことだけが目的であるなら、16枚もの分量は必要ありません。わり算の計算問題について、やり方を知らない人はほとんどいないのですから、「やり方を頭で理解している」レベルから、「そのやり方を自分の技術として自由自在に使いこなせる」レベルにまで習熟することを課題としているわけです。
 

 

そして、もうひとつ言えることは、「自由自在に使いこなせるレベルまで習熟する」ために、教師が生徒に「教える」行為はさほど重要でなく、どうしても必要な要素ではないことです。つまりそこでは、教師が懇切丁寧に教えることよりも、「学習者が自分に必要な課題を自ら探し当てられるようにすること」や、「必要な課題を日々淡々と反復して学習できる環境を提供すること」「行き詰まったときにもネガティブに考えず現状を受容していく大事さを伝えること」等々が必要になってくるわけで、このことが、寺子屋塾が犇気┐覆ざ軌薛瓩鬟ャッチフレーズとしている理由の一つです。
 

 

この19年で300人を超える生徒を見てきましたが、この2桁以上のわり算の単元がらくだメソッドの最初の峠です。ここをスンナリ通過できる人は少なく、大人であっても16枚の教材すべてマスターするのに半年以上かかるケースも珍しくありません。
 

 

また、この2桁以上のわり算の単元は、次の重要単元「分数の約分」の予備練習にもなっているんですが、俗に「小4の壁」と言われるのは、まさにここのことです。算数が苦手、数学ができないと思っている人の99%がほぼ例外なくこの「2けたのわり算」「分数の約分」単元で躓いているからです。
 

 

らくだメソッドの学習において、この小学4年教材を通過する頃になってくると、子どもも大人も年齢問わず、いろいろなことに積極的にチャレンジするようになったり、多くの活動を同時並行的に行うようになったりするなど、日常生活の面でもさまざまな変化が現れてくることが多いのですが、なぜそうなるのか・・ここに書いてきたようなことを考え合わせれば、何ら不思議なことではありません。
 

 

たとえば、最近ビジネスの世界においても、「ロジカル・シンキング(論理的思考)が大事」ということが言われているのですが、このロジカル・シンキングの基礎が学べる最も身近なメソッドとは、誰もが過去に体験してきた「小学校の算数」ではないかと思うのです。
 

日常の思考や発想をもっと鍛えたいと思われている方に対し、「狠辰┐燭き瓩箸いΔ気持ちはよくわかるし、それも大事なことの1つだとは思うんですが、もっと大事なことがあると思うんですよ。もちろん、いろいろなアプローチが可能かと思いますが、まずは、小4〜5年生の算数教材がスラスラ解けるようになるところまで学習してみてはいかがですか?」と提案させてもらっている理由のひとつがこのようなことなんですが、いかがでしょうか。(2013.8.19)

COMMENT:4年ほど前にfacebookノートで公開した文章ですが、こちらのblogには投稿していなかったことに気づいたので改めてご紹介。
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「明確なできない状況」と出会う

算数_小4-22の一部.jpg

昨日書いた記事の続きです。
 
太郎ちゃんがblogに昨日ご紹介した記事の続編のような
記事「『明確なできない状況』と出会う」を書いていましたので、
まずは以下に全文ご紹介します。

 
なぜこのらくだメソッドだと、
「できない」ということに出会い、
その「できない」という自覚が生まれるのか?ということが
とっても不思議だなと思っています。
 
今までの経験でも、
「できない」ということには、たくさん出会ってきたわけだけど、
その「できない」ということからなぜか目を背けたくなったり、
できるふりをしてきました。
 
そして、「できない」ということが原動力になったとしても、
そこには必ず自分以外の誰かの存在があり、
あいつには負けないように、、、とか、
誰かに褒めてもらったり、
あるいは怒られないように、、、など、
 そんな形でしか「できない」を原動力にできずにいました。
 
だけど、 この1日1枚の計算プリントで、
 「できない」ということに出会えること、
そして、その体験からの気づきや発見を通して、
「できない」ということとの向き合い方が少しずつ変わってきたように思います。
 
でもなぜ、このプリントだと、
「できない」ということに出会い、
その「できない」という自覚が生まれ、
「できない」と向き合うことができるのか?
という問いがいつも生まれてきます。
 
*** *** ***
 
学校の勉強で「できない」ということに直面したことは、幾度となくありました。
そんな「わからない=できない」体験を振り返ってみると、
さまざまな「わからない」という状況があるように思います。
 
たとえば、ある問題が解けず、
なにが「わからないか?」と聞かれた時に、
自分が「わからない」と思っていることも、
そのことを理解するために、
分かっていないといけないことが、
 「わかっていない」ことだってあるし、
自分では、どこが分からないのか「わからない」ということだってあります。
 
そんな時、まわりの先生だって、親だって、本人がどこでつまづいているのかがわからない。。。。
 
「わからない」という体験を振り返ってみると、
「わからない」状況がかなり曖昧な状況にあったように思います。
 
一体自分はどこで、何につまづいているのか、、、と。
「できない」体験って、意外と曖昧だったのかも!と思います。。。
 
この点から考えてみると、
 らくだメソッドでは、
 自分がどこでつまづいているのか?
どこに自分がいるのか?
目の前の学習者が、どこでつまづいているのか、
どこから分かっていないのか?
ということがとてもわかりやすくできているのです。
 
プリントを通して出会う「できない」という状況は、
かなり「明確なできない状況」のように思います。
 
「できない」が明確であるからこそ、
「できる」ことも明確になってくるのだと思います。
 
*** *** ***
 
明確な「できない」状況を作るために。
 
この明確な「できない」という状況はどのようにしたら作ることができるのか?
このプリントを初めてやったとき、
かなりスモールステップで、ゆっくり進んでいくなと思いました。
 
1枚のプリントの中で、おさえなければいけないポイントは
ほぼ1つにまとめられていると思います。
 
初めてやったときにそのような実感があったのだけれど、
この実感こそ、明確に「できない」状況を作ってくれているのだと思います。
 
それは、このプリントが、
1つの領域を(たとえば約分とか)を徹底的に分解して、
1つ1つの要素を、丁寧に順序よくまとめてあるからだと思います。
 
そして、学習者がどんな状況にあり、どんなところでつまづくのか?
ということをみっちり考えられて作られていると思います。…ヒントの出し方が絶妙だったりします。
(平井さんは息子さんのためにこの教材を作られたというエピソードがありますが、
 まさに学習者が我が息子であったからこそ、ここまで考えられたのでは!と思っています。)
 
その点から考えても、
明確な「できない」状況を作るためには、
物事をあらゆる角度から見つめ、考えること。
 
物事を分解するということは、
身のまわりに起きている、「小さなこと」を大切にしていくということにも繋がるように思います。
 
明確な「できない」状況に出会えることができれば、
「できない」という自覚が芽生え、
明確な「できる」自分と出会える。
 
だからこそ、明確な「できない」状況はどのようにして生まれるのか、
ということを問い続けたいと思いました。
 
※引用ここまで

 
プロセスが丁寧に書かれていて、とってもわかりやすいですよね?
 
ひとつのポイントは、太郎ちゃんが今までのことをふりかえって、
 
「わからない」という体験を振り返ってみると、
「わからない」状況がかなり曖昧な状況にあったように思います。
 
一体自分はどこで、何につまづいているのか、、、と。
「できない」体験って、意外と曖昧だったのかも!と思います。。。

と書いているとおり、
わたしたちは、明確な定義もないのに
「できない」「わからない」とおもいこみがちで、
この逆パターン・・・つまり、「できる」「わかっている」というのも何ら根拠がなく、
勝手なおもいこみにすぎなかったりすることも往々にしてあります。
 
それで、太郎ちゃんは、らくだメソッドについて、
 
自分がどこでつまづいているのか?
どこに自分がいるのか?
目の前の学習者が、どこでつまづいているのか、
どこから分かっていないのか?
ということがとてもわかりやすくできているのです。
 
と書いているんですが、
太郎ちゃんのこの表現には若干正確さを欠く部分もあるので、
以下、このことについてちょっとだけ補足しておきます。

 
らくだメソッドを開発された平井さんは、
らくだメソッドを開発する前に、
「さえら塾」という個人塾を開いて、
分数のわり算は、
なぜ分母と分子を反対にして掛け算すればいいのかとか、
円の面積はなぜ「半径×半径×π」なのか、ということなど、
おもしろい授業、わかりやすい授業をおこなって
子どもたちに理解させようとしていた時代が3年ほどありました。

平井さんは、勉強に興味の持てない子どもたちでも、
内容が理解でき、楽しく学べるようにさえなれば、
勉強ができるようになって、
成績も上がるんじゃないかと考えたわけです。
 
でも、そうなったのはごく一部の限られた子どもだけで、
実際には多くの子どもたちがそうはならず、
「楽しい授業をしないと学ばない」というように
塾に対して依存的になっていく子どもまでが現れたことに
愕然としてしまうんですね。

また、学校ではテストということが日常的に行われていますが、
そのテストが、子どもたち自身にとって、
自分が学んだ内容をほんとうに「わかっているかどうか」について
客観的、総合的に確認する手段になり得ているかどうか疑問がありますし、
テストによって評価されるのは、子どもたちだけではなく、
指導する側の人間の指導力でもあるのではないかと。

でも、たとえば、分数の約分の単元でいうなら、
子どもがどういう状態になったら
「分数の約分がわかっている」といえるのかを
一律に定義づけしようとすること自体
そもそも無理な相談ではないかとおもうのです。
 
つまり、「わかる」というプロセスには、
一人ひとり異なる個別固有の内面的な部分を含んでいて、
そうした多様性や曖昧な要素をすべて排除したうえで、
客観的な指標を設け、機械的に確認しようとすること自体が、
不可能なアプローチだと言ってもいいでしょう。
 
平井さんは、このような体験から、
わかっているかどうかを外部の人間が数値的に評価したり、
「わかる」ことと「できる」こととを
因果関係で結びつけようとすること自体に無理があることに気づいて、
子どもを「わからせようとする」行為を無条件に良しとする
教育のあり方自体にも疑問を持つようになります。
 
そして、「わかっているかどうか」については定義できなくても、

「できているかどうか」については、明確に定義できると気づいて、
「わからせようとする」行為に対して必要以上に重きを置かず

「ミスが3つ以内で、めやす時間台にできる」

というように、
「できているかどうか」に着目して生まれた教材が
爐蕕だメソッド瓩箸いΔ錣韻任后

 

つまり、言い換えれば、できているかどうかの定義づけが

1枚1枚のプリントに明確に設定されているということが、

このらくだメソッドの、他の教材にはない際だった特徴といえ、

そのことによって、

セルフラーニング(自分ができているかどうかを自分で判断でき、

自分で学習をすすめていけること)

という学習スタイルを可能にしているんですね。

この「わかるーできる」の関係を含めた周辺テーマについては、
林修さんがテレビで「数学ができない人はものを教えるべきではない」と発言したことに触れて
2014年の夏頃にfacebook上で記事を書き、
その記事をめぐって3人の方とかなりディープなやりとりをしたことがあるんですが、
2015年の暮れに書いた
らくだメソッドでなぜ算数(数学)が重要なのかという記事に

そのプロセスの全てをまとめてありますので、

さらに深く考えてみたい方は、併せてご覧下さい。


また、太郎ちゃんが書いている、
 

でもなぜ、このプリントだと、
「できない」ということに出会い、
その「できない」という自覚が生まれ、
「できない」と向き合うことができるのか?
 
という問いについては、これからも太郎ちゃんに引き続き
問い続けていってほしいとおもいますが、
それについて、わたしの考えをひとつだけ書いてみようとおもいます。


なぜ、らくだメソッドの場合、
「できない自覚」が生まれ
「できない自分」と向き合うことができるのかは、
「できない」ということに対して評価を下すのではなく
そのまま受けとめられる場があること、
つまり、わたしという評価しない指導者がいることはもちろんなんですが、
わたし一人の力にはおのずと限界があり、
わたしだけでなく、多様な人がごちゃまぜにいる場の在り方自体が
とても大事だと考えています。

そして、さらに言うなら、
わたしがこのことの大切さについて一番学んだのは、
べてるの家という存在からで、
わたしがこの寺子屋塾を始める前の1992年の時点で
べてるの家の人々と出会っていたことは、
とても大きなことだったと改めて気づかされたのでした。



・・・ということで、4/22はこちらのイベントページにあるように、
太郎ちゃんが企画している
べてるの家のドキュメンタリー映画
「ベリーオーディナリーピープル」連続上映会の三回目を予定しています。

べてるの家については、
太郎ちゃんのこちらのblog記事でも紹介されているように、
今回は予告編4「安心してサボれる会社づくり」を観るんですが、
1/28に行った前回につづいて今回も満員御礼となり有り難いことです。
 
4/22の上映会は満席になってしまったので、
参加のお申し込みをお受けできないんですが、
べてるの家のビデオ上映会は今後も続けていく予定なので、
関心ある方は塩坂太郎さんまたは井上までメッセージ等にてお知らせ下さい。
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なるべく1度で約分しなさい

3/31は金曜日だったので、19:00頃は中村教室にいたんですが、

facebookを覗いていたら、

塾生の太郎ちゃんこと塩坂太郎さんのblogの更新記事が流れてきました。
 

 

らくだメソッドの学習についてのふりかえり文なので、

たぶん、学習されていない人が読んでもピンと来ないでしょうが、

面白い内容だったので、
わたしの方で若干内容を補足してご紹介します。
 

 

4年生のプリントは全部で41枚あり、

小4-33から41までのプリントは分数の約分を学習する単元です。


 

彼がこの記事で言及している小4-36のプリントは
次の写真のように、
約分の問題ばかり全部で99問ならんでいるんですが、
前半の54番までの問題は
「わけてしても、1度でしてもよい」という指示があり、
55番から99番までの後半の問題は、
「なるべく1度で約分しなさい」という指示があります。
 
算数_小4-36.jpg

こちらに太郎ちゃんのblog記事の原文はあるんですが、
以下に全文をそのまま引用します。
 
小4-36は、もうすでに2回やっていて、
2回とも目安の時間内に解けていました。
 
けれど、自分の中でズルしているわけではないのだけれど、
時間内に「できる」ことを意識しすぎて、
問題の中にある一つの言葉を、素直に聞いていないなという自分に
違和感を感じ、今日はその言葉を忠実にきいてもう一度やってみました。
 
その言葉というのは、
 
「*なるべく1度で約分しなさい」 という言葉です。
 
約分自体はできるのですが、
「約分がどうできるか?」ということを、
 このメッセージは僕に伝えてくれていたのだと思います。
 
たとえば、12/32。
 
1度で約分しなければ、まずは「2」で割って
6/16 … 3/8 と解いていけばよくて、
それなら時間内に「できる」のです。
 
でも、「*なるべく1度で約分しなさい」 という言葉の通りにやると、
最大公約数の「4」を瞬時に見つけることがまだ「できない」わけです。
 
そんなわけで、今日は以前合格できたプリントが不合格になりました。
(目安の時間内に終わりませんでした)
 
「できた」プリントが、自分の意識を変えたら「できない」プリントになるわけだから、
普段の自分は、「できない」よりも、
「できる」方向へ自然と流れてしまっていることがあるように思います。
 
でも、この段階で一度で最大位公約数を見つけることが「できる」ようになることが、
この先のプリントの課題を1つずつクリアしていくためには絶対に必要になることだと思いますし、
いつか必ず「*なるべく1度で約分しなさい」 という言葉をなかったことにし、
 「できる」ことを優先させたことで壁にぶつかる時がくるのだと思います。
 
自分をみつめるというのは、改めて難しいことだと思います。
いつも自然と「できる」方向へ流れてしまう。
 
自分が気づかぬうちに。
それがいいことで、順調なことのように思ってしまいます。
 
でも本当は、その「できる」ことが、
 自分を見えなくしていることがあるのです。
 
「できない」体験から、自分に気づいていくことは、
とっても楽しいことです。
新しい自分に気づけるわけだから。
 
それは「できた」経験からは得られない「新しい自分」であり、
自分の中にいた、けど気づいていなかった「新しい自分」です。
 
その自分に気づけるのは「できない」という体験からだと思います。
 
日常の中をよ〜くみれば、きっと「できない自分」に
たくさん出会えると思うけれど、
自然と「できる」方向へ流れてしまっているのだと思います。
 
なので、まずは1枚のプリントを通して「できない体験」を大切にする。
 
その体験の中で「できない」ことを通して見えてくることへの実感、
そして、その楽しさを感じ、日常の「実はできてない」体験に少しでも目をむけて、
今の自分の中にいる、「新しい自分」「気づいていない自分」を感じていきたいと思っています。
 
小4-36_塩坂太郎.jpg

この記事を読んだわたしは、
すぐにプリントアウトして、その時に教室にいた塾生たちに配り、
各々感じたことをシェアし合いました。

ちょうど先週は、こちらのblog記事でご紹介した
為末大さんの「マインドセット」について話していたこともあり、
「爐任ることは良いことで、できないことは良くないこと瓩箸い
 マインドセットにはまっている人は少なくないよなぁ・・」という意見、
「できるーできないを判断するモノサシは一律で無く、
 それぞれが勝手に決めてるだけというところに気づいて、
 そのモノサシを自分で自由にスライドできるようになったら、
 人間の可能性はもっと開かれていくんじゃないか?」とか、
彼のこの記事のお陰で
他の塾生ともなかなか有意義な意見交換ができました。

わたしが、この太郎ちゃんの記事で面白いとおもったのは、
「できない」自覚から「できる」に向かっていくことに納得しつつも
「できる」方向へ自然に流れていってしまっていいものか?
という問いが浮かんで、
それって、結局はまだ、
「できることが良いことで、できないことが良くないこと」
っていうマインドセットにはまっているんじゃないかと
気がついているところです。

つまり、順調で良いことだとおもっていた「できる」ことが
自分を見えなくしていることもあるんだと気がついたからこそ、
「なるべく1度で約分しなさい」という指示文が
いったい何を自分に伝えようとしているのか?という問いが浮かんで、
これから先の課題を見据えつつ
「ただ約分すればいいんじゃなくて、
 1度で(分母と分子の最大公約数で)約分できるようになることも
 これから先の課題のことを考えると大事なんだ」
と気がついたわけですね。

それにしても、痛感するのは、
つくづくこのらくだメソッドがよくできている教材だということで、
とりわけ、自ら学ぶ姿勢が大事だということだけでなく、
学習者自身が「学力を身につけたい」とおもったときに、
ちゃんとその気持ちに応えてくれる内容になっているところです。


・・・って記事を書いていたら、
太郎ちゃんのblog記事の新しいエントリーが届いたんですが、
今日ご紹介した記事の続編のような中身だったので、
明日もまた彼のblog記事をご紹介することになるかもしれません。
posted by Akinosuke Inoue 23:39comments(0)trackbacks(0)pookmark





最近の中村教室 〜小学生と大人でインタビューゲーム〜

今日の話題は、最近の中村教室のようすをちょっと書いてみようかと。
 
塾生数は2017年3月末現在で38名となりました。
最年少の塾生は5歳、最年長は60代です。
 
15:00から教室を開けているんですが、
一斉授業のスタイルではないので、
各々五月雨式にやってきて、
持ち帰って学習した課題プリントの確認後は、
自分でプリントを棚から出し、その日の学習を行い、
それが終わったあとは、次回の予定を確認し
次回までの課題プリントを棚から持ち帰る・・・というのが基本スタイルです。
 
らくだメソッドを基本教材として位置づけていますが、
それ以外にもオプションメニューとして、
経営ゲームやインタビューゲーム、未来デザイン技法に取り組んだり、
教室内の本や資料などを読んだりしている塾生もいます。

また、学習をふりかえることが重要なので、
日々の気づきを自主的にblog等に書く塾生も増えてきました。
現在は、社会人の塾生が8割以上を占め
仕事帰りにやってくる人の割合が高いので、
19:00以後が賑やかになってきます。
 
教室に在室する時間についても一切強制はなく、
各々でまちまち、三々五々帰ってゆく感じなんですが、
お陰さまで最近は教室がいっぱいになる瞬間も時折でてきました。
 
中村教室のスペース自体の物理的な広さと
わたし自身のキャパシティもあるので、
そろそろ塾生数に上限を設けることも検討しています(48名ぐらい)。
さて、そろそろ本題へと
わたし自身は、対話力(質問力+傾聴力)が
学習の成果を左右する大きなポイントだと考えていることもあって
当初らくだメソッドの指導者養成プログラムとして考案された
インタビューゲームを寺子屋塾で最も重要なプログラムと位置づけています。
 
このインタビューゲームとは
上のフリップにあるように2人一組になって
20分ずつ聞き合い、聞いた話をカードにまとめるという
至ってシンプルなプログラムですが、
これで何が学べるか、その時々で人によって異なり、
それこそ、出たとこ勝負というか
コトバで説明しようとしてもできないのが悩ましいのですが・・
 
寺子屋塾では、毎年5/3と11/3に
塾生+モト塾生+アルファで寺子屋デイと称した集まりをもっていて、
ここ数年は参加メンバー同士で2人組になりインタビューゲームをやって
半年間を振り返るという過ごし方をしています。
 
体験された方がどんな感想を持たれるかについては、
2016年の5月の寺子屋デイのことを書いたこちらの記事など参考にしてください。
教室内で他の塾生やわたしコミュニケーションにおいても、
このインタビューゲームの3つのルール
 
 1.何を聞いてもいい(聞く自由)
 2.話したくないことは話さなくていい(話さない自由)
 3.聞かれていなくても話していい(話す自由)
 

を適用していくことを推奨していることもあり、

塾生のなかには、たくさんの人とインタビューゲームをやることを目的にして

インタビューゲーム会を自ら主催したり、

教室外でも相手を見つけて取り組んでいる人が複数名出てきています。
 

 

こちらの記事にあるように

一昨年11月から学習されている本田信英さん(オンラインヨガ主宰)は、

インタビューゲーム、目指せ100人!と意気込んでいる1人ですが、
2月末に中村教室でその本田さんが小学2年生の塾生ゆうきくんと
このインタビューゲームをやりました。
 

それで、そのときのスナップ写真2枚と、

インタビューゲームを終えた直後に

本田さんとゆうきくんのお母さんAさんがfacebookに投稿された記事をご紹介。
 

 

Aさんは、インタビューゲームについてのコメントのみならず、

中村教室やらくだメソッドについての紹介もして下さっています。
 


まず、本田さんの記事から
 

【小学2年生とインタビューゲーム!?】

インタビューゲーム番外編。

ふとした流れで、

僕がライバル視している小学2年生の男の子と

インタビューゲームもどきをやることに。
いきなり20分は難しいだろうから、10分交代でやりました。


メチャクチャ面白かった。

いやあ、子どもの考えていることなんて、

良い意味でわからないと思ってたけど、

ちゃんと話を聴いてみるとちゃんと理由があるもんです。
上手く言語化できなかったとしても、

なにもなく「やりたくない」のではなくて、

本人なりの通った筋があるものです。
そして、「やりたくないこと」以外は

基本的に前向きに取り組もうとする姿勢がある。


年齢を重ねてくると、

どこかで逆転してしまうのか

「やらないこと」が基本姿勢になってしまい、

「やらなければいけない理由」を求めがちだ。

だから、なんでもかんでも期限を設けたがるかもしれません。
なんとなくやりたくない。

そうじゃなくて、「これだけはやりたくないこと」を

もっと明らかにすればいいんだな。
そこがはっきりすれば、

あとはとりあえずやってみるかと思えるようになるはずだ。

本当にタメになりました。

ありがとうございます。


年齢関係なくできるインタビューゲームって

やっぱり凄いなと改めて思いました。

まだまだお相手募集中なので、やってみたい方はお声掛け下さい!

 

 

 

つぎは、ゆうきくんのお母さんです。
 

 

 

昨日は一昨年冬から三男とお世話になっている寺子屋塾中村教室へ。
こちらの塾は、

塾生が子供〜大人まで(私が行く時間は、三男以外は皆大人)おり、

算数のプリントを一日一枚取り組むことをベースに、

それぞれが自分と向き合い学ぶ教室です。

とはいっても、何を学ぶかはそれぞれ違うので、

なかなか説明しにくいのですが。
ちなみに私も1年たっても、まだこの塾の正体がわかりません(笑)。

特に興味もない算数を、なぜ今更やってるのか。

でもいろんな気づきがある。


昨日は塾生さんと息子が、

インタビューゲームというものをしました。

小2と大人でやり取りができるのか?

母は聞いていないフリをしながらも、耳をダ〜ンボにして聞いてましたが、

子どもも子どもなりに、いろんなことを考えているんですね。

何気ないことに理由があったりして、驚きました。


自分で学ぶことを決めていく場なので、

息子がどういう風に学んでいくかは

口出しせず見守るしかない(これがまた難しい)のですが、

こんな風に大人と子どもが向き合って会話ができる場って貴重でありがたいです。

 

 

 

 


ゆうきくん、Aさん、本田さん、おつかれさま〜

ありがとうございました。<(_ _)>

posted by Akinosuke Inoue 15:43comments(0)trackbacks(0)pookmark





「ほめない」ことの意味

朝日新聞朝刊に連載されている鷲田清一さんの「折々のことば」3/20は
能楽師・安田登さんの言葉でした。
「よし」と言うこともしなければ、ほめることもしない・・・
寺子屋塾でわたしが塾生と接する際の姿勢も、基本これと同じです。
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