往来物手習い

むかし寺子屋では師匠が書簡などを元に往来物とよばれる教科書をつくっていました。
寺子屋塾&プロジェクト・井上淳之典の日常と学びのプロセスを坦々と綴ります。





4/3(日)に予定している経営ゲーム塾Bコースについて




今日は4/3(日)午後1:00から中村教室で予定している経営ゲーム塾B(ビギナーズコース・トータルゲームEバージョンを使ったワークショップ)についてすこし書いてみようかと。

この会も昨年10月にスタートし、偶数月に隔月開催しているので次の回で4回目を迎えることになります。

経営ゲーム塾って聞くと、「わたし、会社なんて経営したことがないから無関係なのでは」っておもわれる方もいらっしゃるかもしれませんね。

たしかに、「経営」ってコトバを聞けば、会社のことだとおもう方が大半でしょう。

でも、経営って会社だけに必要なことなんでしょうか?


ところで皆さん、「もしドラ」知っていますか?

2009年に出版された岩崎夏海さんの小説『もし、高校野球部の女子マネージャーがドラッカーを読んだら』という長いタイトルの略称なんですが、100万部以上売れるミリオンセラーとなりました。

TVドラマ化、映画化されてずいぶん話題になったので、ご記憶の方も多いでしょう。

もしドラの主人公・川島みなみは、野球部のマネージャーをしている女子高校生で、マネージャーとは何かを理解しようとピーター・ドラッカーの『マネジメント 基本と原則』を手に入れて読もうとします。

でも、その本が起業家や会社経営者のために書かれた本だと気がついて、一時は後悔するんですが、そこに書いてある内容が、野球部をどうマネジメントしていけば良いかを実践していく上でも十分適用し応用できることだったと気づく、というストーリー展開でした。

会社でも学校の部活でも、複数の人間が集まってできたものと見立てれば、同じ組織であり一つのチームであることに変わりありません。

また、人間は約37兆の細胞の集まりからできているといわれていますが、一人の人間をひとつの会社と見立てるとすれば、わたしたち一人ひとりもまた、自分自身の経営者と言えるようにおもうのです。


さて、この「経営」とはいったい何でしょうか? 

よく聞かれる言葉に「経営は人なり」がありますね。

いかなる会社といえども、その会社だけ単独で存在しているということはあり得ません。

また、各々の会社を取り囲む外的な環境は、ひとつとして同じでなく、しかも常に変化し続けていますから、「経営とは何か?」という問いに対し、客観的に誰もが正しいと判断できるような唯一の解は無いのではないかと。

もし、「こうすれば経営がうまくいく」「こうすれば誰もが利益を出せる」という正解がどこかにあったならば誰も苦労しないでしょうし、みんなが社長をやっているでしょうから。

よって、外側に正解を求めようとしてもどだい無理な相談で、そこで問われているのは他ならない経営者自身なのでしょう。

つまり、経営者にとって最も重要なテーマは、自分自身といかに向き合うかであって、この問いへの答えは一人ひとりの中に個別にあり、自分で見つけるしかないようにおもいます。


経営ゲーム塾は、経営ノウハウとか、何か決まった正解を教えようとするものではなく、一人ひとりが会社社長になり、経営や会計の実務をゲームの形で楽しくプレイしながら、市場とは? 競争とは? 投資とは? 雇用とは?・・・等々経営の本質について、一緒に考え見出そうとする参加体験型の実践的ワークショップです。

Bコースは、ビギナーズのためのコースという意味で、おもに主婦、サラリーマンなど、現実には経営者の立場ではない方を対象にしていて、実世界でも経営者の方、将来経営者を目指そうという方には、別途アドバンスコース(Aコース)をご用意しています。

毎回、ルールの説明を練習しながらゆっくりすすめていますし、初めての方でも安心してご参加いただけます。

今回の会場は、寺子屋塾中村教室です。

定員が8名と少ないので、参加をお考えの方はお早めにお申し込みを!(^^)/


以下は、過去トータルゲームEバージョンのワークショップに参加された方の感想文です。

●皆さんとコミュニケーションを取りながら楽しく経営のしくみや自分の性格を知ることができました。どうしても思考が狆,蘇蕕鵜瓩砲覆蠅修Δ覆海箸發△蝓⊆分と市場のバランスだけでなく、相手の会社を含めて「全体」なのだと気づきました。もっとつきつめてトータルゲームやってみたいです。


●このゲームは小手先でやろうとおもうと儲からないですね。自分の性格を考えたとき、自分に損がでないようなことしかしたくないというのは、やっぱり欠点だなあと感じました。また、市場の流れが悪い状況というのは純粋にマイナスで、いかに循環させていくかが大事ですね。


●全体を見ることの大切さ、先を見通すことの重要さ・・・経営だけでなく全てに言えることかなと感じました。


●納税できるようになったところを見てもらおうと今回参加しましたが、唯一の倒産者となりました。失敗からしか学べないとは思っていながら頭が悪いというか、要領の悪い自分に正直淋しい思いです。ただ、あまり一喜一憂しすぎず次のチャンスを待ちたいです。経営も仕事もこのゲームも「いかに続けるか」のマラソンであり、土俵から降りないことでしか「!」の幸運に恵まれないのだから。それにしても、万能策はないにしてもコツは掴みたいものです。複雑ですが、本日も楽しかったです。


●もっと場数を踏んでみたいと思った。現実の世界は利益の奪い合いやいかに安くさせるか?という旧型の行動パターンがまだまだ幅をきかせていると感じているのですが・・・うまく書けないのですが、そういう現実のなかにあっても、このゲームでの学びを実生活で活かしていきたいと感じています。


●初めてやったゲームだから新鮮で楽しかったです。経営者になった楽しさとともに責任感も感じました。「バランスを考えるのが経営センスを磨く第1歩」の言葉が心に残りました。



 
【お申し込み、お問い合わせについて】
facebookのイベントページはこちらから、facebookのアカウントをお持ちで無い方は

E-mail:u.cre8.air.ime@gmail.com 携帯:090-5003-5971(堀岡)までどうぞ!
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トータルゲームについて

昨日のセミナーご案内記事の補足です。

トータルゲームといっても、まだまだ知名度は低く、ご存じ無い方が多いと思いますので、最近のセミナー実施例などについて、ご報告を兼ねて紹介させてください。

今年1月は、北海道札幌市で、31名(+スタッフ8名)の方を対象に行いました。

この企画は、厚生労働省からの委託で北海道総合研究調査会が実施された地域貢献活動支援事業の平成21年度前期研修のひとこまとして行われたものです(今年度も引き続き実施中)。


3人1卓で13卓(3×13=39名)という規模での開催は、私にとっても過去最大で、ゲーム盤の準備や片付けはとても大変でしたが、皆さん楽しみながら学んで頂けたようで手応えがありました。

詳しくは当該事業特設サイトのこちらに3ページにわたる報告がありますので、これをご覧下されば、プログラムについてのイメージはいくらか持って頂けるのではないかと思いますし、また、推進委員のお一人である高木晴光さん(NPO法人ねおす代表)は、受講者に混じってトータルゲームを体験され、その時の様子や感想をこちらに書いて下さいました。

この地域貢献活動支援事業は、雇用情勢の良くない地域において、地域貢献活動(コミュニティビジネス、ソーシャルビジ ネスを含む)に取り組むNPO法人や各種法人・団体等に対して、経営体制の整備を支援する(人を雇えるような経営力を身につけて頂く)ことによって地域雇用対策(雇用の創出を促す)を展開しようとするものです。


また、釧路市では、今年の6月に地域起業創造センターまじくるがオープンし、就労支援や地域の仕事起こしを目的とした北海道地域再生コンソーシアム(内閣府委託事業)のインターンシップや研修プログラムに、このトータルゲームを活用して頂いています。

釧路地区のプログラムについてはこちらを、会社ゲームを用いた研修の様子はこちらのブログをご覧下さい。

非営利組織におけるマネジメントであるとか、地域経済の活性化や経営資源の循環を促すといった目的の研修プログラムとしては、トータルゲームはピッタリなんです。


ただ、このトータルゲームは、参加型・体験型のプログラムであるために言葉で書けることには限りがあり、こうしたblogの記事を読まれてもよく分からないと思いますし、頭で理解することよりも体験からの気づきを重視していることは付け加えさせて下さい。

素晴らしい経営をされている方から体験談を聞くことも良いと思いますが、そうした人から経営のコツを教えてもらったとしても、それを実際に行動せるかどうかは別の問題です。

理解と実践との間にはやはり大きなハードルがあり、そのハードルは簡単には越えられないのが現実・・・もし、話をちょっと聞いたぐらいで、会社がうまく経営できるようになれるのであれば、だれもみな経営者になっているでしょうし、苦労しませんからね。

人からコツを教えてもらおうとするのでなく、まずゲームで実体験しながらシミュレーションしてみる、そしてその体験での気づきをもとに仮説を立て、検証し・・・ということを繰り返し繰り返しチャレンジしながら、経営を体験的に学ぶ(身につける)というのが、この研修の主旨です。


これを読んで興味を持たれた方は、ぜひ16日ご参加下さい。Let's try!
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コンセプトと屋号を再考してみて

私が今の活動を始めて16年になりました。

経営理念の重要さはよく語られることですが、それとともに、10年ぐらいをめやすに経営理念の見直しを行っていくことも重要といわれていますね。

したがって、今まで大事にしてきたコンセプトや理念の見直しは、ここ数年私にとってのとても大きな課題でした。

「自分のやりたいことは何か?」についての明確な答が仮に見つかったとしても、それが社会から支持され求められるものであるとは限りません。

そのコンセプトが、人と人とのつながりの中で考え、語り合い、練られたものでなければ、単なる独りよがりの思い込みの域から抜け出ていないこともしばしばだからです。

また、ここまで書いてみて、9/19の未来デザイン研修で語ったことをふと思い出したのですが・・・現状把握は大事だけれど、ちゃんとできている人など自分を含めてほとんどいない。だから最初は、自分は現状が把握できてないことが分かればそれで充分。課題の自覚さえできればスタートラインに立てるし、意識は自ずと課題解決へと向いていく、と。

今の仕事を始めた16年前、現状もほとんど見えていない中で、とりあえず決めたコンセプトは、“セルフデザインスクール”だったんですが、デザインという語を「問題解決プロセスの探求」と定義すれば(これは嵯峨美大の森本武教授による)、べてるの家で最近行われている“当事者研究”とほとんど重なっているんだと今日になって改めて気づいたことでした。(でも“当事者研究”の方が圧倒的に分かりやすいよなぁ・・・ )。

このように、直観的に決めたコンセプト“セルフデザインスクール”でしたが、不思議なことにこの16年間まったくブレることがなく、今もなお変わっていません。しかし、いくつかの難点や欠落したところがあることが見えてきました。

その1つは、という語から日本語の「自学自習」という言葉が連想され、「ひとり黙々と修行僧のように学ぶ」と誤解してしまう人が多いことです。

つまり、セルフデザインスクールは、「場」としてのコンセプトを表現していても、この言葉から想像できる学び方のイメージがあまりにストイックすぎて、敬遠されてしまうんですね。

selfとは「〜自身」と訳され、この単語は再帰代名詞とも称されています。「再帰」・・・つまり、自分に「再」び「帰」ってくるためには、鏡としての他者の存在が必要です。

らくだメソッドの開発者平井氏も、「セルフラーニングは一人ではできない」と言っていますし、「ひとりで学ぶ」というのはself designのごく一部にすぎないのです。

でもこうして説明しなきゃ分かんないようなコンセプトはキャッチとしては失格で、キャッチ失格という意味では、屋号にしている「寺子屋」も同じでした。

寺子屋は、文科省がまだ無い江戸時代、誰からも命令されないのに市井の人々が自発 的に始めたもので(幕末には5万以上もあったとか、すごい!)・・・つまり今で言う※NPOで、今の学校とは似て非なるものだったわけです。

※NPO:広い意味でのNPOは学校法人も含みますが、学校法人は設立が大変で、文科省の監督下にありますから、ここでいうNPOとはフリースクールのようなものを指していっています

「寺子屋」は、小中学校の社会科の教科書に登場するので、さすがにこの名を知らない人はいません。でも、今や寺子屋の名は、学習塾の代名詞の如く使われてしまっていて、寺子屋での学び方と今日の学校での学び方の違いを理解する人は、教育専門家や研究者以外ではほとんどいない・・・。


また、寺子屋塾という名前を言うと、UNESCOと何か関係があるんですか?ということを言われることもあります。

このUNESCOの「世界寺子屋運動」は、世界中のあらゆる場所で読み書きや算数を学べるように、教育の機会を提供する運動です。

それももちろん大事なことには違いないんですが・・・でも、私がやりたいことのメインは、別のところにあるのです。

私がこの仕事を通じてやりたいと思っているのは、上意下達に一方通行に物事を教えるような学びの場のあり方や、先生と生徒という関係性を再構築すること・・・そのためのヒントが江戸時代の生活哲学にある・・・つまり、日本人の生活風土にあった学びの場づくり、という意味での「寺子屋」であり「江戸しぐさ」なんですが・・・

その意味でいえば、「寺子屋」というコンセプトは良かったと思っているし、いまも全く変わっていないんですが、「寺子屋」というネーミングでは、実現したい学び方をイメージできないし、主旨を広く伝えるためのキャッチとしては失格だと思ったわけです。

つまり、コンセプトで大事なのはターゲット・・・つまり、どんな人を相手に仕事をしたいのかを明確にすることなんですが、「セルフデザインスクール」「寺子屋」にはこれが欠けていました。

でも、だからといって、このコンセプトがダメだったと考えているわけではなく、このコンセプトで10年以上やってきたからこそ、さらに言うなら、ターゲットが絞れずに曖昧だったからこそ、多様な人との出会いが生まれ、個別対応の重要さが見えてきたということもあります。

さあ、それでどのように見直したかという核心の部分なんですが・・・

実は、今年3月に北海道・札幌に行ったときに、それまでの私の活動がすべて集約されているというだけでなく、少なくとも向こう10年ぐらいはやっていけそうな重要なコンセプトが思い浮かんだんですね。

ただ、そのことは、この半年以上の間、自分が日常的にお付き合いのあるような近しい人だけにしか語らず、ブログなどで公開することをあえて控えてきました。

その理由は、そのコンセプトが単なる一時の思いつきレベルのものでないかどうか、じっくり検証しながら自分の中でしっかり温める時間が必要だと考えていたためですが、これで7ヶ月ほど経過してみて、ますますそのコンセプトの重要さに対する確信が深まっていきつつあります。

 
リーダーになりたくない人のためのまじくるラーニング

という新しく生まれたコンセプトは、ターゲットがかなり明確であるし、また、学び方や学ぶ者同士の関係性についてのイメージも含んでいるという意味で、少なくとも今までよりは伝わりやすいものになるのではないかと思っているんですが、いかがでしょうか?

このコンセプトが誕生した瞬間のことを、釧路の日置真世さんがblog「新サロン日記ー緩やかな市民革命の部屋」で克明に書いて下さっているので、関心ある方は、次のリンク先記事をお読みください。

2010.3.5 私的まじくる
2010.3.7 リーダーになりたくない

※この記事は9/30にtwitterでつぶやいた内容を再構成して書きました
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こんなご相談をいただきました(第2弾)

ある方からメールでこんなご相談をいただきました・・・の第2弾です。

ご相談の内容と私の返答を以下にご紹介します。

Q:福祉関係のNPOで代表をしています。スタッフの1人がよく「体調が悪いのに私は頑張っているんだ」というような意味のことを言うのです。たとえば、昨日も「朝、めまいで吐き気があって、今日一日大丈夫かと思ったんですが、昼からは良くなり頑張りました」と言うのです。

そんな時に私としては「そうなんですか」程度のことしか思わないですし、仕事がうまくできないことの言い訳けみたいに聞こえてきて、ねぎらいの言葉が言えない・・・というか、「医者行ったほうがいいよ」みたいな言葉は、あまり言いたくないのです。

そのスタッフは、たしかに立場的に抱える仕事は多いのですが、自分で工夫して効率をあげることや、そうした工夫を自分で見出すのがなかなかできません。私がアドバイスすれば基本的なことは踏襲できても、自分で応用することができないのです。

事務所に入ってもう半年以上経つんですが、今でも単純な事を聞きにきたり、重要なことを勝手に進めて行ってしまったりするので困っています。仕事に対してのメタ認知度が低いのかもしれません。

たとえば、作業と仕事の区別・・・「作業」は効率をもってあたり、「仕事」は丁寧にあたることが必要だ、ということがなかなかわからないのです。もちろん、この私もたまに判断がつかず面倒になってしまうこともありますが(^^;)。

誰しも自分の存在意義を誇示したいという思いがあるんだとは思うのですが、私が自分の心にうそをついてねぎらいの言葉を言っても、すぐにばれてしまうでしょうし、どんな対応をしたよいのか教えてください。


A:お役に立てるかどうかわかりませんが、思ったことを少し書いてみますね。

この方と直接お会いしていないので、書いて下さった範囲でしか推測するしかないのですが・・・この方は、被容認願望、つまり、人から認められたいという気持ちが人一倍強いように見受けられるんですが、たぶんこれは、人から否定的な評価を受けることに対してストレスを感じることから来ているんではないかと思うんですね。

したがって、まずは、「頑張っていることを認める」「きちんと評価を示す」というのが、関わる人間の基本姿勢として求められますね。

その方の被容認願望の強さには、自身の生育歴や家族環境など、そうなる原因や理由が必ずどこかにあります。たとえば、厳しすぎる親や亭主関白な夫など、まわりの人からなかなか自分がなかなか評価して貰えない環境の中で育ったとか、一方的に自分の価値観に従わせようとするような人とずっと一緒に生活してきた等々・・・ですが、価値観とか考え方というものは、簡単に変えることはできませんし、仮にその原因が見つかったとしても、それで問題が解決するわけではありません。

まずその方には、「自分は『人から認めてもらいたい』という気持ちが人よりも強い人間だ」ということをわかっていただくところからスタートするしかなく、あなた自身が悪いわけでも何でもないので、「そんなに頑張らなくてもいいよ」「頑張って自分を変えようとしなくて大丈夫だよ」というメッセージを伝えることですね。

「自覚して戴く」「そのままでOKということを伝える」というのも、なかなか難しいことなんですが、べてるの家のドキュメンタリー映画予告編4「安心してサボれる会社づくり」をスタッフの人たちみんなで見て、感想をシェアするというようなことも有効だと思います。

また、前に「価値観とか考え方とかは、簡単には変えることができない」と書いたことについてですが、もしその方が、今の自分の価値観や考え方というものが、実はまわりの他者から植え付けられた仮そめのものである可能性が高く、それを変える(本来の自分の考え方や価値観を取り戻す)ことは可能なんだ、ということを理解できるような方であれば、そのことは伝えても構いません。

つまり、自分自身の価値観や考え方そのものが間違っているのではなく、価値観や考え方の「使い方」が間違っている・・・価値観や考え方のレベルの話でなく、「使い方」のレベルの話なんだということです。

ようするに、先日のNHK教育TV「ハートでつなごう」に出演されていたべてるの家の本田幹夫さんの言葉を借りれば、価値観や考え方が「誤作動」を起こしているわけですね。

「誤作動を起こすような思考回路が他者から植え付けられている可能性が高いので、それをこれから探っていきましょう。それをすすめるには具体的な手段や練習方法があるので、誰でも本来の自分の価値観や考え方をかならず取り戻すことができるし、焦らずに少しずつしていけばいいんですよ」と伝えればいいと思うんです。

その練習は、SST(ソーシャルスキルトレーニング)が良いと思いますが、認知療法的なアプローチも有効でしょう。

また、ひとことで認知療法といってもいろいろなやり方があり、たとえば、津市の森心身医学クリニックでは、「情動コントロール」とよばれる独自の認知療法を実践されています。たまたま私はここの院長と知り合いで、この療法を知ったのですが、ここのサイトに詳しく書かれていますので、よかったら参考にして下さい。

「使い方」レベルでの自己変革のために必要な基本姿勢をひとことで表現するとしたら、「現実視」ということで、私が寺子屋塾の教室で使っているらくだメソッドで言えば、「学習記録表」がこの「現実視」を促すツールということになります。

つまり、自分の現状についてのデータを日々蓄積していき、情報の可視化、共有化を日常的にすすめていくことで、自己受容力、判断力、自己決定力、問題解決力etc.を培っていくというやり方をしているわけですが、これはいろいろなことに応用可能で、いま私が教室外でやっている仕事は、ほとんど教室でやっていることをそのまま応用しているだけだと言っていいほどです。

たとえば、この方のように、口頭で言ってもなかなか伝わらないような場合、仕事の状況についての現状データをとって蓄積し、そのデータをもとに話すように努めることで、伝えたいことが伝わりやすくなるのではないでしょうか。

また、いまその人が携わっている仕事や作業のレベルをスモールステップに分解し、それぞれのレベルにおける到達目標を明確にしていくことも大事なことですね。

そうすれば、自分自身がいまどのレベルにいるのか、ということが明確にわかって励みにもなるはずで、そうすることで、具体的に自分がどうすればいいかという判断も、少しずつ自分でできるようになっていくはずです。

あと、心がけることとしては、内省的に生活する習慣づけ(森クリニックの院長は「情動の客観視」と言われています)で、自分のストレス因子に触れるような出来事(いやな事)があったときに、「なんで嫌な気分になるのだろう?」「何が不満なの?」「自分は何に対して焦っているの?」「何が不安なの?」というような問いかけを自分自身に対して行ってみるということですね。

ただ、自分の不快情動に対しても鈍感になってしまっていて、無自覚な場合も多いようで、森先生は、このことを「ストレスは挨拶をしてやってこない」って言われています(笑)。

そうした場合は、まず不快情動の発見から入らないければいけませんから、「気になることは?」「心配なことは?」「腹の立つことは?」などと問いかけたり、「煩わしい」「〜しないと気が済まない」「気が重い」といった感情がいったいどこから生じているのかを探っていくステップが必要でしょうね。

合い言葉は、問題が起きても「それで順調!」です・・・って,例によってあまりご相談のお答えにはなっていなかったようにも思いますが、ご健闘をいのります。
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市場主義の波 家族・教育にも

昨日10/27付けの朝日新聞朝刊“経済危機の行方”という連載に、東大大学院教育学研究科准教授・本田由紀さんへのインタビュー記事がでていました。

要旨を簡単にまとめると、「いま世界で起きている金融危機の問題は、私たちの家族生活や教育にも直に波及する大問題であって、けっして対岸の火事などではない。戦後長い間成り立っていた日本社会のモデルが崩れてしまった今となっては、個人をまもるような新たな社会モデルを創り上げていく必要がある」という記事なのですが、もう少し詳しく書くと次のような内容です。

・今回の経済危機に意外感はない。なぜなら経済が“グローバル化”して一国内の金融政策で、景気や経済をコントロールできなくなっているからだ。しかも“グローバル化”は経済のみでなく、教育などの経済領域以外の生活の様々な側面にも広がっていて、放っておくと、市場の「地獄」が世界を覆うところにまで行き着く。

・一定の堅固さをもつ枠組みを人為的に作り出すことだ。できるところから防波堤を埋め込むほかない。法や制度、コミュニティーなど使えるものは何でも使う。グローバルな経済危機へのバッファー(緩衝材)となる社会基盤を築いてゆくことだ。そのためには日本の社会モデルそのものをつくり変えるほかない。

・日本では80年代から市場主義、新自由主義が進んできた。規制緩和や構造改革を実行し、市場的なメカニズムを行き届かせた方が、従来の官僚支配や、政官財の緊密な既得権益構造を壊し、効率的で平等・公平な経済と社会になると言われてきた。しかし、あらわになったのは市場の地獄のほうだった。

・ <仕事 → 家族 → 教育 → 仕事……>という戦後日本型循環モデルには、内在する矛盾があった。それは70年代後半以降に明らかになり始め、それぞれの領域内部が空洞化していった。

・家族の内部では、お互いの愛情が成立しないような虚無や不信、憎悪がはびこりだした。それは、循環モデルにおいて家族から教育に向かう矢印が、本来の循環の動きから変質して、家族を乗っ取り始めていたことでもあった。

・この“乗っ取り現象”は家族だけでなく教育現場(受験競争、学歴競争)や仕事現場(家族のために働いていた人間の“会社人間化”)として同時進行した。

・この矛盾は、三つの領域の相互依存が強くなりすぎたことが原因だろう。仕事や家族、教育は、それぞれ自律性と固有の価値や理念をもつべきだった。教育では、いい会社に入ることでなく、学ぶことの意味や楽しさなどそれ自体の価値を追求すべきだし、仕事でも働く意味や形成したいキャリアとは何かを考えるべきだった。

・循環構造は90年代に崩れ始めた。企業が正社員の数を絞り、形だけは正社員の身分であっても、ボーナスや定期昇給を欠く「周辺的正社員」が増大した。

・仕事の世界の変化は、社会全体の格差を増幅させる。仕事の面でこぼれ落ちる人が出始め、賃金格差が激しくなると、それが家族の収入格差へ、教育に投入できる資源の格差へ、学力や学歴に応じて仕事が得られる格差へとつながる。こうした格差は次世代へ連鎖する。

・窮状は、グローバル化による競争でますます激化している。企業には社会を安定的に支える体力がなくなった。

・社会モデルを作り変える具体策として、仕事の世界では、「ジョブ」(一定の職業領域)の共通性によってたつ企業横断的な団体やユニオンが必要。企業が守りきれなくなった個人を守る生命線として、互いに協力して労働条件面で企業と交渉する際の足場となるもの。自由競争のもとでは、劣悪な労働条件をのむ人にしか仕事が供給されない力が働く。セーフティネットの拡充とともに、働く者すべてが声と力を持つことが不可欠だ。

・可能な限り学力などの格差をなくすのが教育領域の責任だ。日本では、家庭の経済的、文化的な資源と、次世代の教育による成果(学力や学歴)が密接に関係している。それを断つ方向にもってゆくことが必要だ。少なくとも、公教育は可能なかぎり家計に依存しないようにしなければならない。

・近年、若者には「自己責任」の考え方が蔓延している。どんな劣悪な環境に置かれても、マクロな社会構造として把握せず、「自分のせい」と思いがちだ。それではなんの解決にもならないどころか、問題を温存するだけだ。今の状況を見極め、趨勢(すうせい)にあらがうことでしか、個々人と、この社会、さらには世界を、存続させるすべはない。

・世界的にも国内的にも、市場の地獄に歯止めをかける決断が求められている。



本田氏の意見で私が特に印象に残ったのは、次の部分です。

どんな劣悪な環境に置かれても、マクロな社会構造として把握せず、「自分のせい」と思いがちだ。それではなんの解決にもならないどころか、問題を温存するだけだ。今の状況を見極め、趨勢(すうせい)にあらがうことでしか、個々人と、この社会、さらには世界を、存続させるすべはない。



すべてを「他人のせい」とせず「自分のせい」と考えてみること自体は必ずしも悪いことではないと思うのですが、自分の努力が足らなかった結果として、今の境遇を招いているという風に考えると結局は自分には何もできはしないと諦め、どうにかしようという気力は失せてしまいますね。

そもそも社会的な構造から生じている歪みというのは、個人の自助努力だけでは到底解決は不可能で、社会システムに対してのアプローチが必要です。

したがって、個々の努力で解決できない部分とそうでない部分とを分けて考えなければいけないわけですが、そのためには社会構造全体をきちんととらえること(グローバルな視点)と、まわりの趨勢に流されない姿勢(本質指向)が大事になってきます。

その社会全体を構成しているのは、他でもない個々人であり、結局そうした一人ひとりがそのような意識を持たない限りは変わっていきません。そこで他人まかせ、政治家まかせにするのではなく、各々がそれぞれの場で自分の位置を見定め、そこでできることは何かということを考え、実践していく必要があると思うのです。

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「MIE TOPICS」50号記念号HPで公開

8/24に紹介した「MIE TOPICS」50号記念号は、10月下旬に発行されたのですが、このたびその内容が、三重銀総研のホームページで公開されました。

http://miebank.co.jp/mir/research/vol50special.htm

座談会の後に掲載されている、NPOについての調査レポートも、さまざまな切り口からNPOの現状を浮き彫りにしていて、とっても読み応えありますよ。

10月下旬から11月にかけてお会いした皆さんのうち、NPOのことに関心をお持ちの方に対しては冊子を差し上げることができたのですが、こうしてホームページで公開していたただけると、直接会うことが叶わない方にも内容をご覧いただけるので有り難いです。

冊子はまだ手元に若干残っていますので、欲しい方はご一報下さい。

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さがしものは何ですか?

みずほ銀行のシンクタンク・みずほ情報総研が出しているメルマガの10月16日号に、興味深い記事が掲載されていましたので、ご紹介します。

「さがす行為の四類型 〜さがしものは何ですか?〜」

このサブタイトルが、井上陽水の歌のタイトルだとすぐ分かる人は、私と同じ世代のひとですね(笑)

ヤフー、グーグルなど、検索エンジンがインターネットの世界に飛躍的発展をもたらしたことは記憶に新しいのですが、このコラムの中にも書かれているように「さがす」という行為は、単純にみえて意外と奥が深いようです。

今私が使っているMacintoshのパソコンMacOS10.4 Tigerには、Spotlightという機能があるのですが、パソコン上の全てのデータの中から、必要な情報を探し出してくれるので、とっても重宝しています。

また、これだけ情報が増えてくると、情報を探しやすいようにアクセスしやすいように整理して保存するということも重要で、大きな課題になるわけですが、そこだけにあまり時間をかけることもできないので、結局はコストとの戦いになり悩ましい部分でもあります。

そうした意味でも、このコラムを読んで、整理法を極めようとするだけでなく、さがす技術をみがいておくという方向性も大事なんだなぁと改めて思った次第です。

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グラウンドとフィギュア

会社ゲーム(正式名:Total Game)の開発者である
嶋崎喜一さんのブログ 創造の間 http://log.soshin.cc/
2005年10月4日付けに
グラウンドとフィギュアの話が書かれていて興味深く読みました。

以下引用です。


戦略? 2005.10.4
 グラウンドフィギュアとは「地と図」という図象心理学で使う概念であり、ベースを形作る均質なものがグラウンドであり、際立って特徴を備え突出しているのがフィギュアである。

 机の上に本があるとすると、机がグラウンドであり、本がフィギュアである。スポーツに例えると、練習の日々がグラウンドであり、試合がフィギュアである。軍隊でいうと、物資輸送の兵站部分や日々の訓練がグラウンドであり、実際の戦闘部分がフィギュアである。

 この概念は心理学だけでなく、数学、物理学、地理学、建築学、経営学など何に対しても応用できる普遍性がある。

 フィギュアは、際立って特徴を備え突出しているので人々の目に止まりやすく話題になりやすい。逆にグラウンドは、日々の生活と密着したり当たり前の景色として常に目にしているので、殊更意識できる人は少ない。ゆえに話題になりにくい。

 戦略を目指している者は、グラウンドに注目すべきだ。グラウンドを共有していなければ、フィギュアをつなぎ合わせるものがなく、テンデバラバラの状態になる。

 理念と売上と経費と教育・・・・が、テンデバラバラの思想で運営されているのが、通常の企業経営の実態である。(後略)



この後トータルゲームはグラウンド作りを主眼としたツールである
と書かれているのですが、
昨日の日記に書いた「土づくりの教育」という話とつながって、
ナルホドと納得してしまいました。

また、いま、寺子屋塾の教室がある員弁郡というところは、
古くから「土のなかの教育」と言われ、非常に特色ある
学校教育の取り組みがおこなわれてきた土地です。

現在、「総合的学習の時間」として各地で取り組まれているようなことが、
昔から学校のカリキュラムのなかに組み込まれ、
多くの教師によって実践されてきたと伝えられていて、
他の土地で、員弁の名前を出すと、
「あの『土のなかの教育』の員弁ですか?」と言われることが
しばしばです。

そんなことで、嶋崎さんのグラウンドとフィギュアの話も、
員弁の「土のなかの教育」も、いずれも
「土」というキーワードで共通項が編集され、
私が実践している教育の方向性のようなものが
だんだん表現しやすい言葉になってきたように感じているのですが
いかがでしょうか?
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捨てる情報、伝える情緒

みずほ銀行のシンクタンクであるみずほ情報総研が出しているメルマガの4月18日号には、
「捨てる情報、伝える情緒」と題し、ナレッジマネジメントの最近の動向が書かれていました。

ナレッジマネジメントの概要はフリーの百科事典wikipediaのナレッジマネジメントの項

また、詳細については下記サイトが参考になります。
http://home.att.ne.jp/sea/tkn/Issues/Issue-KM.htm


メルマガの記事の中で私にとって興味深かった箇所は、

「ナレッジマネジメントの軸足は、情報そのものの共有から、共感やモチベーション、ワークスタイル、行動規範の共有に移り始めている。」

「その人にとって本当に必要なものをスクリーニングして届けてくれるプッシュ型情報(余計なものを見ずに済む仕掛け=情報を捨てる発想)や公式な文書ではない日々の気づきや考え方といった「柔らかい情報」を重要視する企業が増えつつある。」

そしてむすびの文、

「情報そのものを整備していくという発想を超え、より継続的で日常的な気づきや思いから生まれる漠然としたものを可能な範囲で少しずつ広めていく(=情緒を伝えていく)ということが、これからの企業風土や行動様式の変革の推進役を担っていくのではないか。」

といったところです。

私がこのblogを通じて書いて発信している情報などは、
まさしくここに書かれているような
「日々の気づきや考え方」「日常的な思い」「柔らかい情報」
というようなものだと思うのですが、
こうした情報がやりとりされるような場のあり方が
これからは企業マネジメントの世界においても
注目されるようになってくるのでしょうね。

posted by 14:41comments(0)trackbacks(0)pookmark