往来物手習い

むかし寺子屋では師匠が書簡などを元に往来物とよばれる教科書をつくっていました。
寺子屋塾&プロジェクト・井上淳之典の日常と学びのプロセスを坦々と綴ります。





ドビュッシー「水の反映」(映像第1集より)

フランスの作曲家クロード・ドビュッシーが1905年に作曲した「映像第1集」という3曲からなるピアノ曲集があります。
 

この「映像・第1集」は、ドビュッシー自身が「シューマンの左かショパンの右に位置するだろう」と述べたといわれる自信作なんですが、3曲のうちでもっとも有名なのが第1曲の「水の反映」です。
 

この曲を3年前のお盆休みにわが家のピアノ(ヤマハC3A)で弾いたときの映像をYouTubeに上げてあったんですが、こちらのblogでは一度も紹介したことがなかったことをおもいだしたので、今日はそれを。
 

わたしは高校1年になってからピアノを練習し始めたんですが、ちょうどそのちょうど頃に、テレビでピアニストの野島稔さんがこの曲を演奏されているのを偶然に観て「世の中にはこんな素敵なピアノ曲があったのか!」「ドビュッシーすごい!天才!」とめちゃくちゃ感動し、いつか自分も弾けるようになれたらイイなぁ・・・とずっと想い続けて練習してきた曲です。
 

最初の出だしの和音がちょっと濁ってしまうなど、ところどころ音を外してはいるものの、致命的ミスを犯して止まってしまったり弾き直したりすることはなく、ゴマカシながらも何とか最後までたどり着いたという感じなんですが・・
 

まあ、幸い誰もが知っているほど超有名な曲ではないので、この曲をよく知らない人が聴けば、弾けているように聞こえるかも・・ということで。。(^^;)
 

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ストラヴィンスキーのことば

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音楽はその本質からして感情、態度、自然現象ほかいかなるものも表現しえない。


※20世紀最大の音楽家のひとりといわれる

 イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882〜1971:ロシアで生まれアメリカにて歿)のことば




 
次の絵はパブロ・ピカソが描いたストラヴィンスキーの肖像画
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つぎもピカソですが、1918年に作曲された「11楽器のためのラグタイム」の楽譜の表紙を飾る、一筆書きによる2人の楽士
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ピアノも達者で、指揮、作曲とマルチな才能を発揮した音楽家でした。
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あまり有名ではありませんが1924年にピアノ・ソナタも作曲しています。


なぜこの言葉を採りあげたか、またストラヴィンスキーの音楽について、もうちょっと突っ込んだことを知りたいという方は、こちらのページに紹介されている、ストラヴィンスキーが亡くなった際の作曲家・伊福部昭さんの談話などご覧になってみてください。
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鈴木清順さんの『陽炎座』のこと


映画監督の鈴木清順さんが2/13に93才で亡くなられました。
 
松田優作さん主演の映画『陽炎座』(1981年)を観て
清順さん独特の美学にはじめて触れたのは、
まだわたしが進学塾で小中学生を教えていた30才を過ぎた頃でした。
 
1980年に公開された映画『ツィゴイネルワイゼン』とともに
狎興舂フイルム歌舞伎瓩半匆陲気譴襪海箸梁燭い海虜酩覆蓮
登場する人たちがみな生きているようでもあり死んでいるようでもあり、
時間を行ったり来たり、とっても不思議なストーリー展開で
・・というか、通常でいうストーリー的なものは無いに等しいんですが、
とりわけクライマックスといえる陽炎座の芝居小屋崩落シーンは圧巻で、
わたしにとって忘れることのできない映画です。
 
なぜこういう映画に惹かれるかについて、ここでくわしく書く余裕はないので、
生い立ちについて触れたこちらの記事などをごらんください。
 
この2作についてもう少しちょっと詳しく知りたい方は、
佐藤モリユキさんによるこちらの記事など参考になるかもしれません。
 
陽炎座のハイライトシーンがYouTubeに上がっていましたので、
2作の予告編とともにご紹介することで
ご冥福をいのりたいとおもいます。




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凶、大凶の日々が続いています

水火既済


昨年の元旦から始めた1日1卦をずっと続けているんですが、

2月になって体調が下降してからは
天地否、沢天夬、天水訟、山地剝、水山蹇・・・続々と凶とされる卦が。
 

また、本卦では64卦の中で比較的良い方とされている卦が立ったときでも
変爻で凶、大凶とされている卦が出ることも少なくなく、
2月にはいってからは全体のなんと6〜7割が凶または大凶という
大須観音のおみくじのような状況です。笑

でも、大須観音の・・・といっても、このローカルネタは
名古屋に縁のある一部の人にしかわかりませんね。

こちらのblog記事など参考にご覧下さい。
 

とりわけ昨日は水沢節の三爻変、
今日は沢風大過の三爻変がでて、棟木撓む・・凶!
まさに自分の現状が浮き彫りになっているなぁとおもったんですが、
易ってホントにフシギです。
どうしてわかるんでしょうねぇ・・。
 

まあ、「禍福は糾える縄の如し」とのことわざどおりで、
生きていて良いことばかりってことはないけれど、
悪いことばかりがずっと永遠に続くということもありません。

沢風大過の卦辞は、
棟(むなぎ)撓(たわ)む。往(ゆ)くところに利あり。亨(とお)る。
とあり、
棟木がたわむほどの乗るか反るか、大変な状況なんだけれど、
こうした難所を乗りきってゆくことで道が拓けていく、という意味になるので、
今が正念場というか、辛抱のしどころなのでしょう。
 


さて、最近は
「井上さんがfacebookに毎朝アップされているあのサイコロっていったい何ですか?」
って聞かれることが増えてきました。
 

今年になってから、易の本随とされる水火既済の卦が3回立ったんですが、
その3回がいずれもわたしにとって大切な日ばかりだったことに気づいて
(→1/24は寺子屋塾創立&結婚記念日、2/6は父親の誕生日、2/21は高校時代の親友の命日)
これも何かの巡り合わせなのでしょうね。
 

それで今日は、主治医の豊岡先生から奨められた
河村真光『易経読本 入門と実践』から
この「水火既済」の意味について触れたところをご紹介しようとおもいます。

河村さんはこの書のなかで、易の本質を理解するのに
勝海舟の回顧録『氷川清話』『海舟座談』を奨められているんですが、
あわせて読まれるといいかもしれません。



●水火既済

水火既済の既済とは、既(おわ)り済(す)む、すなわち完成・完結を意味する。済という字は、川を意味する水(氵・さんずい)と音をあらわす斉(さい・せい)の合字で、川を渡る、成し遂げる、終わるを意味する。

それにしてもこの既済(完結)の次が未済(未完成)なので、易の構成は皮肉にも最終回が未だ済(な)らずの未済となる。ともかく64卦は既済と未済でもって完了する。ただしそれはあくまで表面上で、実質的には再び乾・坤に戻りそこから新たに始まるのである。見落とせないのは、この両卦は明らかに全64卦の総括であり、易の真髄がここには端的に要約されていることである。

変化の書である易は、ものはみな循環して止まないとする、これが即ち第一義であり最も基本的な概念である。だから易の作者は、この世には何一つ完結などはなく、極みに到達したということは、取りも直さずすでに下降に入ったことを意味し、終わりは即ち始めとなるとみなすのである。

・・・中略・・・

・・・要するにこの世のからくりとは、ある意味ではこの世の真の象でもある。何一つ完結するものがなく(未済)、しかもすべてが緊密に絡み合ったまま(既済)、どこまでいっても解きほぐすことのできない、いわばこの世の独特の構造(既済=未済)である。ともかく人間は、それを背負って死ぬまで生きなくてはならない。

私たちはみなそれを知っていながら、あからさまに認め、直視する勇気がないので、いつも目をそらしている。だが、この水火既済というのは、それを人はみとめなければ、いくら救いを求めても如何ともしがたい、ただそれを言っているのではないか、と私にはおもわれるのである。

では実際に占ってこの卦を得たなら、どのように解釈すればよいか。表面的な事柄にまどわされず、隠された本質に目をそそぐこと。求める答えは意外なところにひそんでいるかもしれない。うわべや見かけだけに惑わされてはならない。


河村真光『易経読本 入門と実践』(光村推古書院)より

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庄司薫の小説四部作のこと



今週は2/16木曜夜につんどくらぶ(本を読まなくても参加できる読書会)があるので、今日は読書の話題を。
 
今では自他共に認める本大好き人間のわたしですが、本をたくさん読むようになったのは、高校生になってからで、小中学生の頃はそんなに好きだったわけではありません。

わたしが高校生になってから本を読むようになった理由は二つあります。
 
その一つは、高校1年のときに同じクラスになって親しくなった友人が1〜2日で1冊、年間で300冊近く読むぐらいの読書家で、その友人から影響をうけたこと。
 
そして二つめは、高校2年生の春に自然気胸という病気になり、1ヶ月以上自宅で安静にしてなければいけないという状態になったことです。
 
病気になって寝ていると、できることって本を読むことと音楽を聴くことぐらいしかないんですね。

高校生の頃に読んで今でも印象にのこっている本はいくつかありますが、なかでも庄司薫(1937年生まれ)は、その当時のわたしの心を最もとらえ、著書をバイブルのように持ち歩き、何度何度も繰り返し読み返した作家でした。
 
なぜ、それほどまでに彼の作品がわたしの心を捉えたのか、当時はよくわからなかったし、その後もものすごく彼の影響をうけたと意識したり、彼の本に書かれていたことをおもい出したりするシチュエーションもそれほど多くあったわけでもありません。

でも、この歳になって改めて思い返してみて、彼の作品には「爆発的に増大する情報洪水に押し流されずに生きるには?」「あたり前の日常生活の中にこそ答えがある」など、今日の情報社会を予見し、いまのわたしが土台にしている基本姿勢が脈々とながれていることにおもい当たり、自分の人生の方向性というのは、実はあの頃から定まっていたんだなぁと気づいた次第です。

彼の代表作「赤頭巾ちゃん気をつけて」が芥川賞を受賞したのは1969年ですから、もう48年も前のことです。
 
ちなみに、昨年7月に亡くなられたピアニスト・中村紘子さんは、庄司薫の奥さんで、お二人は1974年に結婚されたんですが、出会ったきっかけは、「赤頭巾ちゃん気をつけて」に中村紘子さんが実名で登場していることだったとか。
 
彼は予定していた続編3作「白鳥の歌なんか聞こえない」「さよなら快傑黒頭巾」「ぼくの大好きな青髭」を書いていわゆる「赤・白・黒・青4部作」を完成した後は、予告通り文壇からは総退却 (?)し小説らしき作品をほとんど発表していません。
そういうこともあり、おそらく今の10代、20代の人たちには、庄司薫といっても名前を知っている人はごく少数で、彼の作品を読んでいるという人はさらに少ないことでしょう。

4部作の小説は、いずれも60年代から70年代の日本の安保闘争、高度経済成長期という時代を背景に、薫くんという主人公の男の子の、ある意味どうでもいいようなふだんの日常を描いていて、終始饒舌とも思える口語体の平易な言葉で書かれています。
 
しかし、それらの小説は、時を経ても風化することなく、根強い庄司薫ファンに支えられ、新版が出される度に新たなあとがきが付され(2012年に出た新潮文庫版4冊には「あわや半世紀のあとがき」がついています・写真)、今なお読み継がれてきたのは、未来を見通す先見性と、時代を超えた普遍的テーマが潜んでいるからではないかと。
 
ちなみに、4部作のタイトルにすべて赤、白、黒、青という色の名前が入っているのは、四神(四方位の守り神)のことで、南の朱雀(すざく)、西の白虎(びゃっこ)、北の玄武(げんぶ)、東の青龍(せいりゅう)を意味します。
 
これだけでも、庄司薫という作家がタダモノではないという感じが伝わるのではとおもうんですが。

いま10代20代の若さまっただ中にいる皆さん、とくに男性諸君!に読んで欲しいですね。
 
そういえば、以前このblogで『赤頭巾ちゃん気をつけて』のラストと、『ぼくの大好きな青髭』から薫くんのセリフを引用して紹介したことがありましたので読んでみてください。
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正岡子規の俳句



ふ ら で や み し 朧 月 夜 や 薪 能    正岡子規


COMMENT:今年のお正月明け1/7〜9に四国に家族旅行をした際に、松山市の正岡子規記念博物館を見学しました。写真はそのとき手に入れた子規自筆の俳句短冊レプリカです。この句は1899年(明治32年)子規が31歳のときの作。

 
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Happy E(+ピアノすけ)のこと

2/3の節分以後しばらく更新が滞ってしまいましたが、また今日から気を取り直して書いていこうとおもいます。
 
「毎日書く」と決めているからこそ、「書けない」という体験をすることで、「ちゃんとした文章を書かなければ・・」と力が入っていた自分に気づかされ、いろんなことに追われて余裕がなくなっているいまの自分の状態がよ〜く観えてきますね。
 
らくだメソッドの学習がまさにそうなんですが、どんな状況に突き当たったとしても、しつづけようとする姿勢をうしなわなければ、それが結果的に自分自身をモニタリングすることにつながるわけで、この点は寺子屋塾で提供している学習ツールの強みと言っていいかもしれません。
 
毎日blogを書き続けることを実践するには、夜型の自分の生活パターンそのものを根本的に見直さない限り無理だということは、昨年の前半半年やってわかったことでした。
 
いまのわたしが、「コツコツやるのは得意ではないんです。」って話すと驚く人もありますが、お尻に火が付かなければ行動出来ないというところはあまり変わっていませんね。
 
そういうわたしなので、それを実行に移さざるを得ない状況に追い込まれることが必要なのでしょうし、その時期がいよいよ目前に迫っていて、あとはタイミングだけということでもあるのでしょう。

一昨年秋にblog毎日更新を再開したときに決めたことでしたが、まだまだいまの段階では、毎日書いて更新するリズムをつくることを大事にして、書く内容とその質は問わない(→過去に書いた記事の焼き直しや引用で良しとする)ということで、もうしばらく続けて行こうとおもいます。



・・・ということで、前置きというか、言い訳けじみた能書きが長くなってしまいましたが、今日はひさしぶりに音楽の話題を。
むかし妻たちといっしょにバンド活動していたHappy E(+ピアノすけ)についてです。

HappyEは、1998年冬、子どもたちがお世話になっている保育園から「クリスマスに何かやって!」と頼まれたことが発端となって生まれた音楽ユニットの名前です。
 
詳細はこちらのページにあるんですが、妻、妻の妹、妻の友人で結成したグループで、歌あり、合奏あり、お芝居あり、踊りありの愉快な音楽隊といったところでしょうか。
 
以前、こちらのblog記事など、ギターやアコーディオンを弾いて職場でバンド活動をしていたこともあった父のことや、歌舞伎役者だった祖父について触れたことがあるんですが、わたしがこういう演奏活動に関わるようになったのも、祖父や父からの引き継いだ血の為せる技かもしれません。
 
Happy Eは、メンバーのつながりのある保育園、幼稚園、小学校のPTA行事、子育てサークル、学童保育所などからお声をかけて戴き、曲のほとんどはオリジナルのアレンジです。
 
また、プログラムの何曲かでは、会場のみなさんにも協力していただき、いっしょに音楽を創り上げていく「参加型ライブコンサート」をめざしていました。

わたしはなかなか練習に参加できなかったので、HappyEの一員というよりは「ピアノをひくあきのすけ」を縮めて「ピアノすけ」と名乗り、そのコンサートの行われる季節に合わせてピアノ曲を弾いたり、ピアノ伴奏や寸劇補助などの裏方要員として参加していました。
 
2008年に10周年を迎えたのを区切りに演奏活動を休止し、ホームページの記述も古いデータのまま中途で更新されていないのですが、活動の様子がいくらかビデオに残っているので、YouTubeにアップしたものをご紹介。
 
2002年8月8日に桑名市中央公民館で行ったHappy Eコンサートから、「こんぴらこぎつね歌合戦」を。
15年も前のもので、ビデオの解像度がかなり悪くぼけていますが、音声はクリアなので、その場の雰囲気は何とか感じて戴けるのではないかとおもいます。(^^;)
 



もうひとつは、日本のうたを演奏しているピアノすけコーナーのひとこまとして、成田為三作曲による「浜辺の歌」を。
 
ジャズピアニスト、オイゲン・キケロのアドリブフレーズをベースに、終盤では山下洋輔のフリージャズ風にブロークしたのち冒頭のテーマが帰ってくるという、一風変わったというか・・・ハチャメチャな演奏です(笑)。


 
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考えないを考える(高橋悠治・水牛のwebsiteより)

音がうごくとその位置の変化を身体で感じるのと 音のうごきにつれて身体がうごくのと それとも身体が音の先端になってうごいていくと感じるのは おなじことのようでも 意識がちがう 人と音が二つの並行した状態に感じられるところからはじまり だんだん音にうごかされ そのうち人は消えて うごく音だけが残る とも言えるし 音が消えて うごく身体の感じが続く とも言えるかもしれない
 
音がうごくと感じるのは 消えてすでにない音と まだない音を結ぶ線のなかにいる感じとさらに言えば その線は枝分かれすることもあり 途切れることもある 途切れても 別な線がそこでもうはじまっていれば 音楽は続いていくが ちがう方向に曲がっていく
 
それでも線が途切れたなら どこかにもどってやりなおしてもいい 今まで見えなかった出口が現れるかもしれない ところで やりなおすために どこかにもどれるとしたら そのどこかは 記憶のなかにある音のかたまりということになるだろう 即興の場合には 記憶は意識のなかに残っている結び目で それが消えないうちに引き継ぐ それは会話のなかで前の話題にもどるときのように おなじやりかたでくりかえされることはない 中断したした時と環境がおなじに思えても ほんのすこしだけ間があれば 引き継いだときには ちがう方向がひらけるかもしれない
 
書かれた記憶 たとえば走り書きした楽譜なら どこか目につく箇所からまたはじめる 書いている途中でそこから離れて時間が経っていたら 再開したとき前後の脈絡が思い出せないかもしれない そのほうが辿る道筋が複雑になり おもしろくなることもありうるし それがすこしずつ書きすすめるやりかたの理由にもなる
 
書いたものを辿りなおす時 やりなおした箇所ではないところで 続いていたはずの線が途切れていると感じるかもしれない 感じが途切れると そこまでのまとまりは 断片のように置き去りになる
 
全体の枠を決めてからそのなかに音のかたまりを置いていくのと 置く音を集めてからそれらを並べて全体を作るのと二つのやり方がある まずうごきはじめ うごいた跡がかたちをなすのは そのどちらともちがう
 
すこしずつうごいては停まり やりなおしながら継いでいくのは どうなるかわからない遊びで 感じが途絶えるまで続けて おなじところからもう一度やってみると 似たはじまりをなぞりながら やがて逸れていく
 
音楽を即興し 作曲して ふりかえって考えて見る ふだんはしないことだが こんな時に 書くことがないから 過ぎた音楽について考えることになったりする 書いているうちに 意味をつけたり まだやってないその先まで書いてしまいかねない そうなると 書いた内容にしばられるだろう
 
まずうごき うごいた後に考える そのときに うごく前の状況が見えれば その前にさかのぼって 別な可能性をみつけることができるかもしれない すでにないものから まだないものへの可能性
 
意識していた前提は もうない音楽かもしれないし 音楽でない現実のなにかかもしれない その両方かもしれない 意識からも隠れたなにかかもしれない
 
音楽を即興し作曲することは ことばで言わないという選択かもしれない
 
何かを言わないのは 言わない何かを指す方法かもしれない
 
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楽譜『ザ・ケルン・コンサート』へのまえがき(キース・ジャレット)

ザ・ケルン・コンサート
1975年に『ザ・ケルン・コンサート』の録音がECMから発表されて以来、楽譜があればぜひ演奏してみたいというピアニスト、学生、音楽学者やその他の人々から、その出版の要望が絶えず出されてきた。

私は、断固とした態度でそれをずっと拒否し続けた。その理由は少なくとも2つある。

第一の理由。この音楽はある夜に行われたまったくの即興によるコンサートのもので、それは生まれた瞬間に同時に消えてゆくべき性格を持っている。

そして第二の理由。その音楽がレコードの中で存在しているのと同じように採譜していく、楽譜に書き取っていくということが実際ほとんど不可能な部分がかなりたくさんある。
しかしながら、この即興演奏はすでに永続的な形、すなわちレコーディングされたものとして存在しているわけだ。

そして、採譜はその音楽を描写=象徴しているにすぎない(ただ、しばしば信じがたいほど、この楽譜は音楽に近づいている)。そこで、ついに私はこの監修版楽譜の出版を決意した。
 
この「監修」という言葉の意味するところは次のとおりだ。

私は採譜のプロセスの最終段階において、すべての音程(そしてほとんどすべての音符)に、自ら目を通し検討した。

この楽譜はレコードに記録されている音楽そのものに可能な限り近づいている。

しかし一方で、録音に際して、私はメトロノームが刻む時間からまったく離れたところで演奏している。

だから、ひとつひとつの音符は正しくても、その時間は正しくないという箇所が多く存在している。

また、異なった不正確さの真ん中で選択を迫られた箇所もある。

そして、私たちはここで採用した記譜法が(従来の楽譜上の)正確さというものを犠牲にしながらも、実際にはうまく働くことになるだろうという結論を出した。

というのも、私たちがすでに知っている様々な記譜法(それらは正確であることを前提にしているが)、それらの中のどの方法を採用したところで、この曲のほとんどの部分に対してなんら役に立たないからである。

完全に正確であるために、すべての音符ひとつひとつに対してそれぞれ別々の記譜法が必要になってくる、というような事態を招くことになるだろう。

たとえば、Part IIaの50, 51ぺ一ジ。この部分の本当のリズム感覚を獲得する方法は紙の上にはない。

レコーディングでは、より多くのことが起こっているのだが、この“起こっている”ことが、紙の上の音符にいつも翻訳されるとは限らない。

かなりの音−音符が、このリズム感覚によって引き出されるのだ。

その直前に鳴らされた音−音符(あるいは音−音符の集まり、和音)の倍音やアタックそのものから生まれ出る音−音符もある。

したがって、こういう部分では物理的に鳴っているすべての音を残らず忠実に音符に書き取ることは、より多くの間違った感覚を与えるおそれがある(実際には鳴っているすべての音を弾いているわけではないから。つまり、音符として弾いているもの以上の音が実際には鳴っているわけだ)。

鳴っているすべての音からいくつかの音を選んで音符にする、この方法のほうがここではより有効なのかもしれない。

さらに、こういう厳密な選択という方法を使ってもなお、こういう問題箇所の本当の感覚、ひとつの即興演奏、インプロヴィゼイションとしての真実の感覚を明るみに出すことは、依然として不可能だ。

そこでは、ただ聴くことが、その音楽の力を正確に知る方法なのだ。
 
ともあれ、いまわれわれは −“インプロヴィゼイションの絵画”とでもいおうか −そういうものを見ているのだ(より厳密に言えば、絵画そのものではなく、“印刷された絵画”を見ているのだ)。

あなたはその絵画の深さを見ることができない。
見えるのは表面だけだ。
これらすべてのことをふまえた結論。

私はこの『ザ・ケルン・コンサート』を弾こうと思っているすべてのピアニストに最終的な参考資料としてレコードを使うことをお薦めする。
 
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クロード・ドビュッシーのことば

ドビュッシー

規律は、
自由のなかにこそ求めるべきであって、
弱者のための古びた哲学の公式に求めるべきではない。
誰の助言にも耳を貸さずに、
すぎゆく風、
宇宙の物語を語る風に耳をかたむけよ。

『ドビュッシー音楽評論集』(白水社) ラ・ルヴュ・ブランシュ 1901.7.1の記事より
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