往来物手習い

むかし寺子屋では師匠が書簡などを元に往来物とよばれる教科書をつくっていました。
寺子屋塾&プロジェクト・井上淳之典の日常と学びのプロセスを坦々と綴ります。





センスとは「存在感」

私の言うセンスとは「存在感」なんです。

 


存在感の無い人間は、
与えられた仕事をこなすだけで、
信頼も尊敬もされないわけです。

 


なので、
誰でも出来ることではないと思っています。

 


例えば、野菜を刻んでも刻んでも、
魚をさばいてもさばいても、
慣れたりしなくてもいいんですよ。

 


目指すは、上達ではなくて、
受けのいい人でもなくて、
自分のすることに、
ひたすら向き合い続けることなんではないでしょうか。

 


そのことだけがただここにある、
という風なのが
価値があることだと思えるんですよ・・・この頃。

 


人生、いろいろあります。
そして、人の気持ちというものは、
決してひとつの色に染まって
終わるものではありません。

 


優しさも厳しさも、
それぞれが分かちがたく混じり合って当たり前。

 


互いにそれを感じ合い、
人は人、自分は自分と認め合う。
親子だろうと家族だろうと他人だろうと、
それは同じですね。

 


人間は、人の生き方を認めることから、
自分の生き方というものを、
見つけるものではないでしょうか。

 


自分のためだけに生きるも、
誰かのためを考えて生きるも、
その人の人生ですから。

 


※寺子屋塾生のひとりが「あるおじさまから聞いた話」をもとにfacebookに投稿していた記事をご紹介しました

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むかし書いたコラム記事から(その32)

第32回「おいしく、たのしく、ありがたく」

先週の水曜日、桑名市コミュニティプラザで、自然食料理研究家・船越康弘さんのお話を伺う機会がありました。

船越さんは1986年に岡山県川上町に民宿「百姓屋敷わら」を開業。

岡山駅から車で1時間以上かかる山奥にもかかわらず、自然食でもてなす数少ない民宿として全国からファンが訪れ、最盛時その数は年間3000人を超えていました。

しかし、船越さんは、そこに甘んじることなく新たなステージへと、民宿の経営を他の人に預けて2年前にニュージーランドに移住。

年に2度ほどは日本に帰って各地をまわり、講演されています。

船越さんの話はとてもわかりやすく、単純明快です。

ご飯をたべよう、食べ物に感謝しよう、よく噛んでたべよう、おなかがすいたらたべよう、朝は早く起きよう、笑顔を絶やさないようにしよう・・・いずれもお金がかからず、誰でもすぐに実践できることばかりです。

眉間にしわを寄せ、「玄米」「無農薬」とシャカリキになるのはやめよう。

お昼のTV番組司会者Mさんにそそのかされ、次々と宣伝されるものを買い求め、やれ、「クロレラ」だの「朝鮮人参」だの「酵素」だのと健康食品を追いかけるのはやめよう。

健康になるためにたくさんのお金は必要ない、「自然食」というのは、玄米や無農薬、無添加のものを追い求めることではないし、何よりおいしくなければいけない、というのが船越さんの持論です。

おいしさや外見を犠牲にしている自然食や健康食が多い中で、船越さんが作られる料理はおいしいだけでなく、器選びや盛りつけなどに細かい配慮がなされています。

何事もやっていてたのしいことでなければ続きません。

私が船越さんと初めてお会いしたのは9年前のことでした。

以来何度もお話を伺う機会がありましたが、いつも感心し共感するのは、狭い世界に安住せずに常に外側に視点を向け新しいチャレンジをされていることです。

そして、何よりも船越さん自身が毎日を本当に楽しく生きているんだ、ということが実感として伝わってくることです。

また、船越さんのお話には「こうすれば必ず幸せになる」「私を信じれば救われる」といった押しつけがましいところがほとんどなく、私自身も大事にしたいと思うことです。

今までの体験や経験から得た確信を語りはしても、それを聞いた人々がどう受け止め、どう役立たせるかは自由で、「結局はあなた次第なんですよ」という姿勢を崩しません。

おいしく、たのしく、ありがたく・・・あれやこれやと考えすぎるのはやめにして、これからはシンプルに生きてみませんか?

※今回の記事で「むかし書いたコラム記事から」シリーズは終了です
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むかし書いたコラム記事から(その31)

第31回「地域の学校“コミュニティスクール”」

学校5日制が始まって半年たちましたが、皆さんは土日をどのようにお過ごしですか?
 
この学校5日制は、文部科学省としては、「子どもたちが地域、家庭で過ごす時間を増やすことで、“生きる力”を身につけさせたい」という目的があるようですが、その一方で学力の低下が懸念されるなど、親も子も学校現場の先生方にもとまどいが感じられます。

 

昔は子どもたちを受け入れ育んでいこうという風土が地域社会にありました。

ところが、今日ではあちこちでそうしたコミュニティが崩壊の危機に瀕していて、居場所、行き場所のない子どもたちが、コンビニにたむろすることになってしまうわけです。

しかし、崩壊した地域コミュニティを一朝一夕でつくり直すなんてことは到底できませんから、混乱はまだまだしばらく続くことでしょう。

私も7才と5才の男子の親なので、学校週5日制は切実な問題でもあるのですが、土日を安心して過ごせるような子どもたちの居場所づくりを実践しようと、全国でいろんな動きが始まっています。
たとえば、員弁町では「コミュニティスクール」という名前で、地域の大人たちが地域の子どもたちを育てていこうという実践が今年度から始まりました。

 

具体的には、自然体験や和太鼓、歴史発見、親子創作という4つの教室が地域の人たちを中心に運営されています。
今は教育委員会が企画の大枠をつくり、国の予算を使って運営されているのですが、将来的には地元の人たちが自前で企画を立て運営できるようにしていきたいということで、私も今年の夏からそうした動きのお手伝いをさせてもらっています。

子どもたちにとって、学校や家庭が大事な場所であることは言うまでもありません。

しかし、今ある教育の問題が、家庭だけ、学校だけでは解決できなくなっているのは確かです。

「地域の教育力が低下した」と言われて久しいのですが、地域コミュニティには異世代の人々がふれあうチャンスが多く、家庭でも学校でもできないことを実現できる可能性があるといえるでしょう。

超高齢化社会がやってきつつある今日、お互いに助け合い支え合えるような地域コミュニティの存在如何で、その地域が暮らしやすいかどうかが決まると言っても過言でありません。

でも、だからといって、あせっても仕方ないでしょう。

みんなでいっしょにつくっていくことが大事ですから、一人だけが無理して頑張る必要はなく、それぞれ一人ひとりが自分のできることを持ち寄ればいいのです。

子どもたちの居場所づくりに参加するところから、地域コミュニティを見直してみませんか?

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むかし書いたコラム記事から(その30)

第30回「病を愛する、癌を愛する」

10月10〜13日と南勢地方の海山町に行って来ました。

「環境教育ミーティング中部2002 in みえ」という環境教育に関心のある人たちの研究集会で、年に1回中部7県で持ち回りで開催されています。その集まりで、腎臓癌を食事療法で克服されたという寺山心一翁さんのお話を聞く時間がありました。
寺山さんは今から18年前に癌になり、癌に気づいたときには肺や直腸にも転移していていました。

医師から「余命あと数ヶ月」と宣告されたのですが、色んなご縁があって、マクロビオティックとであい、その考え方に基づく食養生法をすぐに実践されました。
腎臓摘出手術を受けた後、寺山さんは放射線と抗ガン剤治療の副作用で髪の毛は抜け落ち、髭は真っ白、立って歩くのがやっとという状態だったそうです。
しかし、そうした西洋医学の治療をやめ、日常の食事を玄米菜食に切り替えたことでみるみる良くなっていき、2年半後には、何と肺や直腸にあった影も消えてしまっていました。

寺山さんのお話の中で最も印象的だったのは、「今までに得た知識を捨て、『病を愛する』『癌を愛する』という気持ちになれたときから、自分の身体が快復していったように思う」と言われたことでした。
人間には自然治癒力というものが誰にでも備わっています。

身体を作るのは食べ物であって、確かに食は生活の基本です。

寺山さんにとっては玄米食や絶食療法も良かったのでしょう。

でも、現実には、西洋医学に見放され、食事療法のような代替療法とよばれる治療を受けても、良くなる人と良くならない人がいます。

その違いは、寺山さんのように、「病(癌)は他でもない自分が作ったんだ」と気づいたかどうかによるのではないかと思いました。
近年の西洋医学の進歩にはめざましいものがあり、癌も早期に発見すれば、かなり治癒率が高くなっています。

私は西洋医学を決して全否定しているわけではなく、自分にとって納得でき、自分に合った治療法を選ぶことが大事なことだと考えています。
科学の発達した今日でもなお、西洋医学において癌の治療法は確立しておらず、「死の病」と言われているのはなぜでしょうか?
ある人から「癌は、身体中の毒素がまわり散らないように一所に集めたもので、身体にとって必要だからできたものだ」という話を聞いたことがあります。
また、「人は癌では死なない。『癌になると死ぬ』という恐怖心で死んでしまう」という人がいて、私は目からからウロコが落ちる思いをしました。

癌を切除したり、抗ガン剤を入れたり、放射線でもって叩いたりするという西洋医学の治療法は、病を悪とし、癌を敵視する考え方が基本です。

人類が癌という病をのりこえるためには、こうした発想を根底から転換することが必要なのかもしれません。

寺山心一翁オフィス公式website

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むかし書いたコラム記事から(その29)

第29回「生費者から循環者へ」

久しぶりの「からむこらむ」です。
すっかり朝晩涼しくなりましたが、みなさんお元気ですか?
さて、地産地消ネットワークみえのプロジェクト企画で、7月から月1ペースで松阪で食の学習会をお手伝いしています。
10月は「農家と消費者の交流
」をテーマにプログラムを組み立てました。
「地産地消」とは、地元で生産されたものを地元で消費するという意味の言葉です。
畑に大根がどんなふうにできているかを知らない都会の子どもたちがたくさんいるという話を耳にしたことがあります。
そのことを嘆く声もきかれますが、今日のように社会の分業化がすすんで、生産、流通、消費というシステムに組み込まれてしまうと、特に大都市で生活をしている人々にとっては、農家の人たちがどんな風に、またどんな思いでお米や野菜をつくっているのかを知る機会がなくなるのは当然の話でしょう。
つまり、最近になってBSE(狂牛病)や中国野菜の残留農薬など、食をめぐる様々な問題が多発していますが、こうした問題の根っこに「生産者と消費者という役割の分離」があるように思うのです。
でも、生産者の人たちにしても、きっとお米や野菜などを食べる生活をしているでしょうから、消費者の立場を考える視点があれば、安易に農薬を使うことはできないはずですし、消費者の人たちも、農家の人たちの苦労を知れば、食物を大切にしようという気持ちが自然に芽生えてくるのではないでしょうか。
ですから、まずは地域循環という視点をもって、生産者と消費者との顔の見える関係づくりが大事だと考えました。
未来学者のアルビン・トフラーは、「生費者(生産+消費)」という言葉を作りましたが、そこで問われているのは、効率やスピード優先、消費中心といったライフスタイルそのものの見直しです。
つまり、生産・流通・消費・還元の輪をコーディネートできる「循環者(循環型生活者)」が今こそ求められているのではないかと思うのです。
かつては「消費は美徳」と言われたことがありましたし、いまでも根強い価値観です。
この「消費は美徳」が「循環は美徳」となる
までには、まだまだ時間が必要でしょう。
そのためにも、リサイクル、リユース、リデュース、リフューズ等、多様な使い回しの技術を私たち一人ひとりが身につける必要があります。
今までの生活習慣を変えるというのは易しくなく、そんな一度にあれもこれもはできませんから、できるところ
から一歩ずつですね。
まずは、ひとりずつが身近なところで、少しずつから始めてみませんか?
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むかし書いたコラム記事から(その28)

第28回 「キレない子どもに育てるには?」

先日、学校教職員と小中学生の母親を対象としたある研修会に助言者として参加する機会がありました。
「思春期の子どもの心の健康」と題した40人ぐらいの分科会
でしたが、5〜6名ぐらいのグループに分かれてのディスカッションが中心になっていて、私はその素材を提供するということで、今までやってきたことや、今していることを30分ほどお話しさせて戴きました。
私の話がどれだけ役に立ったのかわかり
ませんが、その場で皆さんから出された質問やグループでの議論の様子を聞いていて気になったことがひとつありました。
このような会に参加される方は、教育について熱心な方が多く、たとえば、「キレない子どもに育てるにはどうしたらいいのでしょうか?」というような質問をされるのですが、皆さん熱心なあまり正解を性急に、それも自分ではあまり考えずに他人から得ようとされるのです。
そのようにお尋ねになる気持ちはよくわかるのですが、もし
そういう方法があるのであれば、逆に私がお聞きしたいくらいで、教育というのはそもそも人と人との関係の中での営みですから、万人に共通するマニュアルや解決策は、残念ながら存在しません。
だから、教育の問題はあくまで個別に考えることが基本で
す。
一般論的な話は実用的ではありませんし、他人の話も参考程度にとどめておくの
が得策かと思います。
最近よく「親が変われば子どもも変わる」という言葉を耳にしますね。
確かに子ど
もは親の影響を大きく受けますが、そればかりでもありません。仮にどんなにダメな親であったとしても、子どもが「あんな親にだけは絶対なりたくない」と思ってくれたら、教育としては成功したことになるんじゃないでしょうか。
まあ、今のは極論かもしれませんが、どこかに必ず正解があるという思い込みをもつと不安になりますね。
だから、まずは、その思い込みや不安から自分を解放するこ
とです。
実は正解は、自分の外側にはなくて内側───つまり、「私にとっての課題は
何か? 目の前にいる子どもにとっての今の課題は何か?」と問うことからしか見えてきません。
答えを外側に求めることをやめ、最初からうまくやろうとせずに自分なりにやってみる。
そして、うまく行かなかったら改めてみる……結局は、この積み重ねしかないと思いますがいかがでしょうか?
この話もマニュアルにしないで下さいね。(2000.9.29)
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むかし書いたコラム記事から(その27)

第27回「地域通貨は“お金でないお金”です」

地域通貨“ポート”がいよいよ四日市で始まります。
“地域通貨”という言葉を聞くと、何やらとても難しいことのように感じられる方も多いのですが、まあ、簡単に言えば“銀行ごっこ”のようなものだと思って戴ければ結構です。
基本的に“遊び”の世界ですが、その遊びが場合によってはとても重要な意味を持つことになることもあるようです。
先日、滋賀県の大津で地域通貨をテーマとしたフォーラムがあり、千葉の方でピーナッツ(落花生は千葉の特産品です)という地域通貨を実践されている村山和彦さんのお話しを伺ったのですが、「地域通貨は、円とドルの戦争のとばっちりを我々が受けないようにするためのシェルターであり、防空壕なんです」と話され、思わず納得してしまいました。
外国との為替レートが大きく変わったり、輸出入品の変動などが起こると国内で物価が急激に上がったりして、その影響をもろに受けるのは、だいたい小さな事業主や貧しい家庭です。
昔は7〜8割が農家でしたから、貧しい農家は、娘を女郎屋に売り、「楢山節考」のような姥捨てや嬰児殺しを余儀なくされるというのはつい数十年前まで現実だったわけです。
今は国民の7〜8割は農家ではなくサラリーマンです。
不況
による倒産、リストラは企業だけのことだと思っていたら、一週間ほど前の新聞に「公務員にスト権を認める代わりにリストラ策を与党が検討開始」という記事が出ていました。
国家財政そのものがすでに破綻同然の状態ですから、明日何が起こっても不思議ではなく、これさえあれば安心という保証はありません。
先日の水害で被災した名古屋の友人は、「いざというときに大切なのは人と人とのつながり。地域通貨のようなもので普段からつながりを作っていくことは今後大事になってくると思いました」と話してくれました。
四日市の今日の発展の基は、稲葉三右衛門が私財を投げうって築いた“港”にあるとも言われます。
また、市場町、宿場町として栄え、昔から人の行き来が多い町でした。
水陸の交通の出会いの場所であり、船と船を無線でつないだり、疲れたときには休んで旅立つまでの元気を取り戻す、そんな場所になれたらという思いをこめ、港町四日市にちなんで“ポート”と名づけました。
地域通貨は人と人、地域と人を結びつけるきっかけをつくる、「お金でないお金地域通貨は人と人、地域と人を結びつけるきっかけをつくる、「お金でないお金」です。
あなたも参加してみませんか? (2000.9.22)
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むかし書いたコラム記事から(その26)

第26回 「天災は忘れた頃にやってくる」
 
11〜12日の集中豪雨は新川の堤防が決壊したほか各地で床下・床上浸水が発生し、被災された方には心よりお見舞い申し上げます。
私の住まいは四日市の富洲原にあり、夕方6時頃が一番ピークで、わが家の前の用水路があふれかえり、道路は40センチ以上冠水して車の出入りができない状態になってしまって、一時はどうなることかと思いましたが、何とかぎりぎりのところで浸水は逃れました。

皆さんのところは大丈夫でしたでしょうか?

これだけの雨が降ったのは近年になかったことですが、お昼頃から雨足が早いとは思っていたものの、夕方になってあっと言う間に水位が上がり、「市役所に災害対策本部が設置された」「避難勧告が出された」「JRも近鉄も止まった」というような情報が次々に入ってきて、準備どころか、なすすべが全くないという感じでした。
実は私は、41年前に伊勢湾台風が通り過ぎた翌朝早く名古屋の病院で生まれたので、両親から台風の話はよく聞かされました。

熱田区にあった自宅は床上30センチ浸水し、引くまでに一週間かかったそうですが、やはりそのときも雨や風が強くなったと思ったら、まわりに水が溢れ返るまであっという間の出来事だったということです。
ところで、この木曽三川流域は特に昔から水害が多かった地域ですが、家屋の造りや食生活には、災害がいつやってきてもいいような工夫がありました。

旧来、日本人の生活スタイルは、自然と共存しながら生きて行こうという姿勢があったように思います。

いくらダムや堤防を築いたところで、上流地域の開発が進んで含水力が落ちていますし、今回のように100年に1、2度あるかないかというような雨が降った場合には、とても歯が立ちません。

やっぱり自然をコントロールできると考えるのは間違いのように思います。
今日では日本でも生活パターンが西欧化し、特に都市部ではご近所のつきあいがほとんどない地域もあるようです。

しかし、こうした災害で困ったときにはお互い様で、いざと言うときには助け合いが必要です。

災害は突然訪れますが、災害への準備やまわりの人との関係が問われます。

結局は普段の心掛けということになるようです。
「天災は忘れたころにやってくる」ということわざの意味を改めて考えさせられた今回の大雨でした。(2000.9.15)

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むかし書いたコラム記事から(その25)

第23回「教育改革国民会議の行方は?」

「教育改革国民会議」の報告が新聞記事に出ていました。

共同生活による奉仕活動の義務化、教員の評価制度、早期教育導入というような内容が示されていましたが、皆さんはこれをどう思われましたか?
小中学生や17歳の殺傷事件、学級崩壊、大学生の学力低下など、教育の荒廃が叫ばれています。

特にマスコミがこうした問題をセンセーショナルに取り上げることもあって、昔に比べると人間の質が大きく変容し、あたかも社会が荒廃してきているような印象を多くの人が持ってしまうのは無理もありません。
しかし、私は社会が荒廃してきているという見方については疑問を感じています。

時代に合わなくなった今までの社会制度や古い規範が部分的に崩壊しているのは事実ですが、その一方では注目すべき新しい動きが起きていますし、本当にこうした一連の事件が現在の教育制度に問題があるために起きているのかというと、必ずしもそうではないように思うのです。

確かに現在の教育制度はいろいろな問題を含んでいますし、改めるべきところは改めるという姿勢は大切ですが、教育は決して万能薬ではなく、できることとできないことがあるはずです。
神戸で酒鬼薔薇事件が起きた直後に“心の教育”という言葉が盛んに使われました。
また、今回の報告を見ても「家庭の教育力の低下が今日青少年の凶悪犯罪の増加を生み出している。だから、家庭でしつけをきちんとしなければいけない」という発想が感じられるのですが、本当にそうなのでしょうか。

「家庭の教育力は本当に低下しているのか?」「青少年の凶悪犯罪は増加しているのか?」といったテーマについて、きちんとした裏付けのあるデーターをもとに考察することなく、マスコミの報道などによって私たちが勝手に作り上げたイメージを事実のように思い込み、これからの教育のあるべき姿を論じるのは非常に危険だと思いませんか?

今までの規範を反省して新たな規範を作ってみても、さらに新たな歪みが生まれるだけで、根本的な解決には結びつかないと思います。

私たちは神様ではなく、仮に完璧な教育制度が完成したとしても、それに依存する私たちが不完全な人間であることに変わりありません。

ですから結局は、誰もが間違いを犯し得る存在だと私たち一人ひとりが自覚すること抜きには教育改革などできないと思うのですが、どうですか?森さん!(2000.7.17)

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むかし書いたコラム記事から(その24)

第24回 「べてるの家に学ぶこと」

さて、夏がやってきました。

涼しさを求めて北海道へ旅する方も多いと思いますが、えりも岬は皆さん知っていますよね?

そこから西へ20kmほど離れたところに浦河町という小さな港町があります。

浦河は競走馬の産地としても知られていますが、そこに「べてるの家」があるのをご存知ですか?
べてるの家とは、精神障害・アルコール中毒など心に病を抱えた人々のグループホーム、共同作業所、お店などの総称です。有限会社の形で運営されている福祉ショップべてるは、行政からの援助を極力受けずに、経済的な自立をめざしていて、
社長さんも代表者もれっきとした現役の精神障害者です。

何と1998年度は、福祉ショップべてるの売上金額が1億円を越えたそうですが、その秘密はいったいどこにあるのでしょうか。
最初にべてるのことを知人から紹介された頃の私は、精神障害や福祉には全く関心がありませんでした。

弱い人々を救おうとする福祉やボランティア活動に対して何となく偽善的なイメージをもっていて、好きではなかったからです。
新潟に住む私の知人が、「べてるの家」のことを映画にするという話を初めて聞いたときには、どうしてなのか理由が全然わからなかったのですが、その映画を見てやっと納得が行ったのでした。

べてるの人々は、精神障害を克服して社会復帰をめざすのでも、偏見や差別と闘うのでもなく、障害や病気を持ったままで楽しく明るく生きられるような社会を作ろうとしているのでした。
堂々と名前や病名を名乗り、イキイキと生活しているスクリーンの彼らを見ているうちに、私たちの社会っていったい何だろうと考え込んでしまいました。

精神障害の問題は、実は「精神病」とか「精神障害者」というレッテルを張ることで解決したつもりになり、健常者だと思い込んでいる私たち自身の問題だったのです。

「障害者の社会復帰から、健常者の社会復帰へ!」べてるの存在は私の価値観を大きく揺さぶるものでしたが、べてるには医療、福祉、まちづくり、企業経営という面のみならず、これからの私たちの生き方や社会の在り方を考えるヒントがたくさん詰まっていると感じるようになりました。
スクリーンだけでなくべてるの人々と交流できる場を!ということで始まった「べてるの祭り」も5回目となり、今年は11月3〜4日に開催を目指し準備をすすめています。

今のところ映画ベリーオーディナリーピープル予告編の新作「降りて行く生き方」のお披露目などが予定されていますが、何が飛び出すかは、お・た・の・し・み!です。(2000.7.3)

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