往来物手習い

むかし寺子屋では師匠が書簡などを元に往来物とよばれる教科書をつくっていました。
寺子屋塾&プロジェクト・井上淳之典の日常と学びのプロセスを坦々と綴ります。


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コンセプトと屋号を再考してみて

私が今の活動を始めて16年になりました。

経営理念の重要さはよく語られることですが、それとともに、10年ぐらいをめやすに経営理念の見直しを行っていくことも重要といわれていますね。

したがって、今まで大事にしてきたコンセプトや理念の見直しは、ここ数年私にとってのとても大きな課題でした。

「自分のやりたいことは何か?」についての明確な答が仮に見つかったとしても、それが社会から支持され求められるものであるとは限りません。

そのコンセプトが、人と人とのつながりの中で考え、語り合い、練られたものでなければ、単なる独りよがりの思い込みの域から抜け出ていないこともしばしばだからです。

また、ここまで書いてみて、9/19の未来デザイン研修で語ったことをふと思い出したのですが・・・現状把握は大事だけれど、ちゃんとできている人など自分を含めてほとんどいない。だから最初は、自分は現状が把握できてないことが分かればそれで充分。課題の自覚さえできればスタートラインに立てるし、意識は自ずと課題解決へと向いていく、と。

今の仕事を始めた16年前、現状もほとんど見えていない中で、とりあえず決めたコンセプトは、“セルフデザインスクール”だったんですが、デザインという語を「問題解決プロセスの探求」と定義すれば(これは嵯峨美大の森本武教授による)、べてるの家で最近行われている“当事者研究”とほとんど重なっているんだと今日になって改めて気づいたことでした。(でも“当事者研究”の方が圧倒的に分かりやすいよなぁ・・・ )。

このように、直観的に決めたコンセプト“セルフデザインスクール”でしたが、不思議なことにこの16年間まったくブレることがなく、今もなお変わっていません。しかし、いくつかの難点や欠落したところがあることが見えてきました。

その1つは、という語から日本語の「自学自習」という言葉が連想され、「ひとり黙々と修行僧のように学ぶ」と誤解してしまう人が多いことです。

つまり、セルフデザインスクールは、「場」としてのコンセプトを表現していても、この言葉から想像できる学び方のイメージがあまりにストイックすぎて、敬遠されてしまうんですね。

selfとは「〜自身」と訳され、この単語は再帰代名詞とも称されています。「再帰」・・・つまり、自分に「再」び「帰」ってくるためには、鏡としての他者の存在が必要です。

らくだメソッドの開発者平井氏も、「セルフラーニングは一人ではできない」と言っていますし、「ひとりで学ぶ」というのはself designのごく一部にすぎないのです。

でもこうして説明しなきゃ分かんないようなコンセプトはキャッチとしては失格で、キャッチ失格という意味では、屋号にしている「寺子屋」も同じでした。

寺子屋は、文科省がまだ無い江戸時代、誰からも命令されないのに市井の人々が自発 的に始めたもので(幕末には5万以上もあったとか、すごい!)・・・つまり今で言う※NPOで、今の学校とは似て非なるものだったわけです。

※NPO:広い意味でのNPOは学校法人も含みますが、学校法人は設立が大変で、文科省の監督下にありますから、ここでいうNPOとはフリースクールのようなものを指していっています

「寺子屋」は、小中学校の社会科の教科書に登場するので、さすがにこの名を知らない人はいません。でも、今や寺子屋の名は、学習塾の代名詞の如く使われてしまっていて、寺子屋での学び方と今日の学校での学び方の違いを理解する人は、教育専門家や研究者以外ではほとんどいない・・・。


また、寺子屋塾という名前を言うと、UNESCOと何か関係があるんですか?ということを言われることもあります。

このUNESCOの「世界寺子屋運動」は、世界中のあらゆる場所で読み書きや算数を学べるように、教育の機会を提供する運動です。

それももちろん大事なことには違いないんですが・・・でも、私がやりたいことのメインは、別のところにあるのです。

私がこの仕事を通じてやりたいと思っているのは、上意下達に一方通行に物事を教えるような学びの場のあり方や、先生と生徒という関係性を再構築すること・・・そのためのヒントが江戸時代の生活哲学にある・・・つまり、日本人の生活風土にあった学びの場づくり、という意味での「寺子屋」であり「江戸しぐさ」なんですが・・・

その意味でいえば、「寺子屋」というコンセプトは良かったと思っているし、いまも全く変わっていないんですが、「寺子屋」というネーミングでは、実現したい学び方をイメージできないし、主旨を広く伝えるためのキャッチとしては失格だと思ったわけです。

つまり、コンセプトで大事なのはターゲット・・・つまり、どんな人を相手に仕事をしたいのかを明確にすることなんですが、「セルフデザインスクール」「寺子屋」にはこれが欠けていました。

でも、だからといって、このコンセプトがダメだったと考えているわけではなく、このコンセプトで10年以上やってきたからこそ、さらに言うなら、ターゲットが絞れずに曖昧だったからこそ、多様な人との出会いが生まれ、個別対応の重要さが見えてきたということもあります。

さあ、それでどのように見直したかという核心の部分なんですが・・・

実は、今年3月に北海道・札幌に行ったときに、それまでの私の活動がすべて集約されているというだけでなく、少なくとも向こう10年ぐらいはやっていけそうな重要なコンセプトが思い浮かんだんですね。

ただ、そのことは、この半年以上の間、自分が日常的にお付き合いのあるような近しい人だけにしか語らず、ブログなどで公開することをあえて控えてきました。

その理由は、そのコンセプトが単なる一時の思いつきレベルのものでないかどうか、じっくり検証しながら自分の中でしっかり温める時間が必要だと考えていたためですが、これで7ヶ月ほど経過してみて、ますますそのコンセプトの重要さに対する確信が深まっていきつつあります。

 
リーダーになりたくない人のためのまじくるラーニング

という新しく生まれたコンセプトは、ターゲットがかなり明確であるし、また、学び方や学ぶ者同士の関係性についてのイメージも含んでいるという意味で、少なくとも今までよりは伝わりやすいものになるのではないかと思っているんですが、いかがでしょうか?

このコンセプトが誕生した瞬間のことを、釧路の日置真世さんがblog「新サロン日記ー緩やかな市民革命の部屋」で克明に書いて下さっているので、関心ある方は、次のリンク先記事をお読みください。

2010.3.5 私的まじくる
2010.3.7 リーダーになりたくない

※この記事は9/30にtwitterでつぶやいた内容を再構成して書きました
posted by Akinosuke Inoue 22:24comments(0)trackbacks(0)pookmark


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