往来物手習い

むかし寺子屋では師匠が書簡などを元に往来物とよばれる教科書をつくっていました。
寺子屋塾&プロジェクト・井上淳之典の日常と学びのプロセスを坦々と綴ります。


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自分の存在を消すこと

昨日ことばこで行われた教師塾第11回の終了後のことです。

参加された方の一人から「井上さんがファシリテーターとして場に関わるときに心がけているコトって何かありますか?」と問われました。

基本的な関わり方については、講座のなかでほぼ話し終えたつもりでいたので、質問された方がわたしからどういう答を引き出したかったのかが今ひとつ把握できず、問われたときには要領を得ない答しか返せなかったのです(ごめんなさい<(_ _)>)。

そもそも臨機応変な対応は苦手というか、本質はスローペースというか、ケーコートーなわたしなので、質問を戴いたときなど、問われてすぐのタイミングよりも、ちょっと時間が経ってからひらめく、ということは少なくないんですが・・  (‥ゞ

昨日もそうで、しばらく経ってから、ちょっと前にfacebookのタイムラインに書いた話をおもい出して、「これを話せばよかったかな・・・」と浮かんだことばがひとつありました。

もちろん、そのように心がけているからといって、いつもそのとおりにできるとは限らないし、うまく行くときばかりではないんですが、わたしが講座のときに心がけていることを1つ挙げるとするなら、

「自分の存在を消すこと」
です。

この言葉がおもい浮かんだそもそものきっかけは、いつも愛読している小出遥子さんのブログ爐呂襪にあらずということ瓩こちらの記事を読んだことだったんですが。



ところで、ファシリテーターという言葉から「進行役」「司会者」「リーダー」「まとめ役」を連想される方があるようです。

会議の進行がスムーズに行くような働きかけという話が、リーダーシップの組織をまとめる機能とがいつのまにか混同され、「ファシリテーター=進行役」「ファシリテーション=会議を仕切る技術」という捉え方が生まれたのかもしれません。

新しい言葉は、ひとり歩きをしてしまう傾向にあるので、まあやむを得ないんですが。

わたしは、ファシリテーターの本来の役割は「影の支援者」であって、あくまで「裏方」というか「黒子」「触媒」的存在ととらえているので、「進行役」「司会者」「リーダー」「まとめ役」という言葉とは対極というか正反対のイメージと言った方がいいでしょうね。

時と場合に応じてなので、必要なときにはファシリテーターがまとめ役やしきり役を果たすこともあっていいし、それもファシリテーションの一部分であることには違いないんですが、仕切る人のことは、爛轡リテーター瓩噺討鵑妊侫.轡螢董璽拭爾箸篭菠未靴討い泙后笑

よって、「わたくしがファシリテーターでございます」と前面にしゃしゃり出る姿勢ではなく、なるべく自分を出さないように、なるべく何もしなくてもよいように、仮に自分という存在そのものが消えてしまっても、その場が何の問題もなく動いていけるようにしていく仕掛けづくり関わり方が大事なのではないかと。

場に対しファシリテーターが積極的に介入しなければならない展開になったときには、わたしの場合は、ですが、「今日は最低のファシリテーションだったなぁ・・」とおもうことにしています。

もちろん、この考え方はあくまでわたしの一見解にすぎず、「これこそが正しいファシリテーションです!」と主張したいわけではありません。

ファシリテーションという言葉は、「易しくする」という意味で、その語源に立ち返れば、困難な課題を易しくするための考え方や手法について、その正解はひとつでなく無数あるとも言え、場に応じて臨機応変に選択する必要があるからです。

でも、ファシリテーションをたき火になぞらえられた本間直人さんのこちらの記事や、どこかの学生(投稿当時)が書いたこちらの記事などを読むと、ファシリテーションという言葉にわたしと近いイメージをお持ちの方は確かににいらっしゃるようで。

・・・ということで、そうです。

ファシリテーションについて、究極の目指すところを敢えて表現すれば、前に紹介した小出さんがblogにも登場する

「わたしはいない」という状態。

しかし、いてもまったく問題なし・・・というか、「いない」けど「いる」、「いる」けど「いない」・・・そんな状態が理想といえるかもしれません。

ますますわけが分からなくなりましたね〜(^^;)


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昨日のことばこ教師塾第11回に参加された方の感想文を一部ご紹介します。



●今回、自分自身のテーマとして、ファシリテーターの在り方を念頭に置いて会に参加した。自分自身が人の前に立つときに、どう見せるか、何を感じてもらうか。一人の人間が発するメディア力に興味がありました。井上さんがどのような立ち位置で、どのような表情で、どのように場に発信していくのかを観ることで、自分のファシリの参考になればいいなと思いました。そこで感じたのが緩やかなファシリテーションをされるなということです。落ち着いた声のトーンで、全体に語りかける様な印象を受けました。


●爛侫.轡螢董璽轡腑鶚瓩砲弔い討曚榁里蕕覆ぞ態で参加しました。参加したら分かるのか、と思っていたけど、今もよく分からず…状態。何がわかって、何が分からないのか、整理がついていません。けど、コミュニケーションは、聴く力主体であることは学んだので、これからは、自分が人と話すときに、自分が何を話したいかを考えるのではなく、相手の何を聞こうか、相手の話を聴くことを意識していきたいと思います。


●「わかっている」が一番わかっていない。そのことを痛感させられた時間でした。でも、頭でそれを考えているうちはダメで、身体で体験することを、これからは意識して生活していきます。


●今まで会話をするということは、話す人中心のものだと思っていた。しかし、話したいことと聞きたいことが共通のものでないと楽しくない。話を続けるには、質問をする。タダの質問ではなく、答える人が答えたい!分かりやすい!という質問をすることが一番大切なのだとおもった。ファシリテーションはとても深くて、難しくて、理解できてなかったところもあったが、もっと学びたいと思った。自分はまだ質問力がないので、今日学んだことを活かして、話し手をより引き出せる聴き手になりたいです。


●今回も問いの大切さを思い知らされた。きくには、聞、聴、訊と3つの漢字を用いることが多いと思う。今までは、聴くことにフォーカスして、相手を受け入れることを大切にしてきた。しかし教師塾に来る度に、訊くことの大切さと自分自身の質問力のなさを感じる。その質問のベースにあるのが、自分の中にある言葉にあてはめようとして上手く行かないことがあるなと自覚した。上手く話せなくても、まず思った事を訊いていると上手くなるんだろうと思う。
 また、最近聴くが「聴(ゆるす)」と読むことがあると知った。話す人が何を話してもいいよ、という感じで聴くことは、相手を許すことで、自分の欲とかコントロールしたい気持ちを許せている状態なんだと思った。今日もたくさんの学びを得ました。


●できない状態でいること、できない状態でい続けることが成長につながるんだという井上さんの言葉に勇気づけられました。有難うございました。


●わたしは問いがとても苦手です。それが今回でも感じられ、質問力を上げるにはどうしたらいいかを最後の質問タイムで知れました。ずっと悩んでました。「わたしは観察力がないのね!!」と改めて知ることが出来て、明日から観察力を大切にしたいです。尾関さんが最後に話された読書をする方法も活用したいです。なんだかスッキリしました。ありがとうございました♡


●コミュニケーションの方法の間違いに気づきました。受け取りたくない人に、受け取って欲しいと強く思うことの無意味さ。子育てに活かしていきたいと感じました。時間の大切さ、問い(発問)の大切さを今後は考えていきたいと思いますし、さらに深めていきたいと思います。
posted by Akinosuke Inoue 17:59comments(0)trackbacks(0)pookmark


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