往来物手習い

むかし寺子屋では師匠が書簡などを元に往来物とよばれる教科書をつくっていました。
寺子屋塾&プロジェクト・井上淳之典の日常と学びのプロセスを坦々と綴ります。


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『チビっ子猛語録』第2章 レッスン より

 

・・・しかし、先生といっても、決して捨てたものではなく、

10人に1人くらいは優秀な、そして良心的な先生もいる。

 

この数少ない、だが優れた先生たちは、つぎのような方法で授業をするんだ。


彼は、まずキミたちに、何を学ぶべきかを自主的に決定させる。

キミたちはクラスの仲間と、あるいはグループで、

いったい何を勉強すればよいかを相談し最良の方法をえらぶわけだ。


先生がやるのは、キミたちの決定がうまくいくかどうかを見守ることなんだ。

そして先生は、キミたちがもっとも効果的に勉強できるように授業をおこなう。


先生はキミたちに、1から10まですべてを教えようとはしない。

キミたちが自発的に学問できるように、キッカケをあたえ、

道を切りひらいてくれるだけなんだ。


こういう先生は、実習のためにはどこかに行くこともすすめるし、

自由な討論もさせてくれる。

10分の9の先生たちのように、教科書だけにしがみついたりはしないんだな。

つまり流動性があるってことなんだよ。


たしかに自分でいろいろな実験をしてみることはむずかしいかもしれない。

しかしキミたちは、その困難さの中から、

旧態依然とした授業からは得られない、

新しいものを獲得できるんだ。


先生がキミたちに、自分でやることを任せる課目は、

ほかの先生たちやキミの両親が、

あまり重要だと思っていない種類のものかもしれない。

たとえば、図画とか、工作とかいったぐあいに——


しかしバカにしてはいけない。

それはキミたちにとって、またとないチャンスだし、

また大いに利用すべき意味があるんだ。

キミたちは、こうした機会をつくってくれた先生に感謝しなくてはいけない。


新しいことをやるというのは、先生たちにとってはつねに不安なんだ。

もし失敗したらどうしよう?

先生というのは、ウワベは何となくエラそうな顔をしてるけれど、

内心ではキミたちにバカにされたり、批判されたりするのを極端に恐れている動物なんだ。
(生徒たちはオレのやり方をいったいどう思っているんだろう?

 オレのことを好いているんだろうか?

 それともあんな教師なんぞ早くいなくなればいいと考えているのだろうか?)


これが多くの先生の、いつわりない心境だ。

どの先生も見かけによらず、みんな心の中では生徒たちの人気者になりたいと、

けっこう無邪気なことを考えているんだよ。


キミたち! 先生方のこうしたウィークポイントを利用しない法はないゾ。

キミたちには、講義のヘタな先生、一方的な先生、横柄な先生を

みんなの世論の力で人気最低の教師にしてしまうことだってできるんだ。
つまり、キミたちには、すべてを決定する権利があるということだ。


ただお義理で講義をしているだけの先生を、

10人に1人しかいない貴重な先生に仕立て上げるチャンスはここにひそんでいる。

忘れちゃいけないことだヨ。

 

S.ハンセン&J.ジェンセン『チビっ子猛語録』第2章 レッスン より 10人の先生のうちの1人がすること
 
posted by Akinosuke Inoue 20:21comments(0)trackbacks(0)pookmark


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