往来物手習い
寺子屋塾&プロジェクト・井上淳之典の日常と学びのプロセスを坦々と綴ります。
※吉本隆明『全南島論』(作品社)第II部に収録されている「南島論――家族・親族・国家の論理(1970年9月の講演)」より引用。
『全南島論』目次: まえがき
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ 『共同幻想論』(1968年)を書きあげた吉本隆明にとって、そこで提出された諸主題をあらためて総括し、その彼方へと抜け出そうと意図された書物が「南島論」であった。吉本は、繰り返し「南島論」に立ち戻り、新たな構想のもとで「南島論」を何度も書き進め、書き直そうとしていた。しかしながら、自身の思索の深まりとともに「南島論」として一つに総合されなければならない論点は限りなく広がり、限りなく複雑化してゆく。結局のところ、吉本の生前、「南島論」というタイトルで一冊の書物がまとめられることはなかった。「南島論」は、詩人であり批評家であった吉本隆明が、そのすべての力を注ぎ込みながら――それ故に――「幻」となった書物であった。 だが、来たるべき「南島論」の完成のために吉本が残したすべての論考、すべての対話が、吉本自身の手になる「まえがき」と「あとがき」(いずれも2005年執筆)を付し、『全南島論』として刊行されることになったのである。「幻」の書物は、「幻」のまま終わることはなかった。吉本隆明によって南島は、人間の表現の「原型」、さらには、人間の家族・親族・国家の「起源」を探ることが可能な場所であった。それは同時に自らの詩人としての起源、批評家としての起源が立ち現われてくる場所でもあった。本書『全南島論』は、吉本隆明の表現の「原型」、表現の「起源」を明らかにしてくれる特権的な書物になった。一冊の書物のなかに、文字通り、一つの宇宙が封じ込められているのだ。詩人にして批評家、吉本隆明のアルファでありオメガである。(安藤礼二氏による解説より) COMMENT:安藤礼二さんの解説文にもあるように、この本は、吉本さんの没後まとめられた『共同幻想論』その後の総括とも言うべき集大成で、いずれは購入するつもりですが、5,400円もする高い本なので、ちょっと中身を見てみたいとおもい図書館で借りてみました。
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