往来物手習い

むかし寺子屋では師匠が書簡などを元に往来物とよばれる教科書をつくっていました。
寺子屋塾&プロジェクト・井上淳之典の日常と学びのプロセスを坦々と綴ります。


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四則演算には日常の思考や発想の基本となるエッセンスが詰まっている

ある人がツイッターで、「四則演算とは、アイデア生成に当てはめて考える発想のフレームワークであり、1つのフレームワークの中に、問題分析、現状改善、理想追求という異なる発想のフレームワークを包含しています」「わり算とは、大きすぎる問題をコントロール可能な大きさまでドリルダウンする、問題点の発見のためのフレームワークです。切り口として目的軸、機能軸、時間軸、空間軸、人間軸、手段軸、経済軸で問題を捉え直す5W2Hを推奨しています」と書いていました。

 

らくだメソッドでの指導をこれまで続けてきた中でわたしが気づいたことは山ほどあるのですが、その中にはこのツイッターに書かれている内容にかなり近いことがあると気づいたので、そのことについてすこし丁寧に書いてみようと思います。
 

 

その結論だけを端的に表現するなら、「算数で学習するたし算・ひき算・かけ算・わり算という四則演算には、単に計算することのみに終わらない、日常の思考や発想の基本となる大切なエッセンスが詰まっている」「その四則計算について狠韻砲笋衒を知っているレベル瓩鮹Δ靴騰犲分の技術として自由自在に使いこなせるレベル瓩泙能熟することが、日常生活における発想や思考等にも変革をもたらす可能性がある」となります。
 

 

たとえば、2×4=2+2+2+2 であり、8÷2は、「8から2を何回引いたら0になるか?」を示しているように、「かけ算」は「たし算」の拡張であり、「わり算」は「ひき算」の拡張演算でもあります。また、87−23=64 → 64+23=87となるように、「たし算」と「ひき算」とは逆演算の関係にあると言えるのですが、このように四則演算とは個々に別個のものでなく、相互に密接な関連があります。
 

 

また、多くの人が小学校で、たし算→ひき算→かけ算→わり算の順番で学習してきたと思うのですが、この四則演算の中でもっとも難しいのは「わり算」です。たとえば、77÷9という計算をするとき、 9×8=72、77−72=5なので、答えは8あまり5となるわけですが、わり算は「ひき算」と「かけ算」の両方を使えないと解くことができません。前にも書いたように、「かけ算」は「たし算」の拡張演算でもあるわけですから、「たし算」「ひき算」「かけ算」の3つの要素がすべて含まれる「わり算」が四則演算でもっとも難しいというのは、至極当然といえるでしょう。
 

 

さらに、わり算を解く際の思考プロセスにおいては、比較照合する発想も欠かせません。たとえば、前の「77を9で割るとき、いくつの商が立つのか?」で説明すると、9×9=81、9×8=72、9×7=63だから、81だと大きすぎ、63だと小さすぎる・・よって77は81と63の間にあると言えるわけですが、こうした問題を解くときに「三者を比較照合する」発想が活用できるのです。
 

 

もちろん、前の例はわる数が1けたですし、多くの人のとって無意識にできてしまうほど簡単なので、「三者を比較照合する」という表現がやや大げさに感じられるかもしれません。ところが、537÷29、7653÷172など、わる数が大きくなってくると、よほど計算に長けた人でないと、適切な商がすぐには思い浮かばなくなり、あまりもスグには出て来なくなります。
 

 

このように、「わり算」の計算問題を解くというのは、一見単純そうに見えて実は非常に高度な思考を駆使している・・・つまり、わり算で最初にいくつの商が立つかを考えることは、「仮説を自分で立て検証をする練習」「未来への見通しを立てる練習」につながっていると言えるし、さらには、ある数を別のある数でわるという演算には、「大きすぎる問題をどこまでブレークダウンすれば自分にアプローチ可能な大きさになるかを考える」という意味合いが含まれているように思うのです。
 

 

ところで、らくだメソッドでは、小学校4年生相当の教材に、「2桁以上のわり算」が組み込まれているんですが、この単元だけで16枚もあります。もし、単に計算のやり方を学ぶことだけが目的であるなら、16枚もの分量は必要ありません。わり算の計算問題について、やり方を知らない人はほとんどいないのですから、「やり方を頭で理解している」レベルから、「そのやり方を自分の技術として自由自在に使いこなせる」レベルにまで習熟することを課題としているわけです。
 

 

そして、もうひとつ言えることは、「自由自在に使いこなせるレベルまで習熟する」ために、教師が生徒に「教える」行為はさほど重要でなく、どうしても必要な要素ではないことです。つまりそこでは、教師が懇切丁寧に教えることよりも、「学習者が自分に必要な課題を自ら探し当てられるようにすること」や、「必要な課題を日々淡々と反復して学習できる環境を提供すること」「行き詰まったときにもネガティブに考えず現状を受容していく大事さを伝えること」等々が必要になってくるわけで、このことが、寺子屋塾が犇気┐覆ざ軌薛瓩鬟ャッチフレーズとしている理由の一つです。
 

 

この19年で300人を超える生徒を見てきましたが、この2桁以上のわり算の単元がらくだメソッドの最初の峠です。ここをスンナリ通過できる人は少なく、大人であっても16枚の教材すべてマスターするのに半年以上かかるケースも珍しくありません。
 

 

また、この2桁以上のわり算の単元は、次の重要単元「分数の約分」の予備練習にもなっているんですが、俗に「小4の壁」と言われるのは、まさにここのことです。算数が苦手、数学ができないと思っている人の99%がほぼ例外なくこの「2けたのわり算」「分数の約分」単元で躓いているからです。
 

 

らくだメソッドの学習において、この小学4年教材を通過する頃になってくると、子どもも大人も年齢問わず、いろいろなことに積極的にチャレンジするようになったり、多くの活動を同時並行的に行うようになったりするなど、日常生活の面でもさまざまな変化が現れてくることが多いのですが、なぜそうなるのか・・ここに書いてきたようなことを考え合わせれば、何ら不思議なことではありません。
 

 

たとえば、最近ビジネスの世界においても、「ロジカル・シンキング(論理的思考)が大事」ということが言われているのですが、このロジカル・シンキングの基礎が学べる最も身近なメソッドとは、誰もが過去に体験してきた「小学校の算数」ではないかと思うのです。
 

日常の思考や発想をもっと鍛えたいと思われている方に対し、「狠辰┐燭き瓩箸いΔ気持ちはよくわかるし、それも大事なことの1つだとは思うんですが、もっと大事なことがあると思うんですよ。もちろん、いろいろなアプローチが可能かと思いますが、まずは、小4〜5年生の算数教材がスラスラ解けるようになるところまで学習してみてはいかがですか?」と提案させてもらっている理由のひとつがこのようなことなんですが、いかがでしょうか。(2013.8.19)

COMMENT:4年ほど前にfacebookノートで公開した文章ですが、こちらのblogには投稿していなかったことに気づいたので改めてご紹介。
posted by Akinosuke Inoue 23:20comments(0)trackbacks(0)pookmark


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