往来物手習い

むかし寺子屋では師匠が書簡などを元に往来物とよばれる教科書をつくっていました。
寺子屋塾&プロジェクト・井上淳之典の日常と学びのプロセスを坦々と綴ります。


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野口晴哉『健康生活の原理 活元運動のすすめ』より


健康生活の原理といっても、栄養をどう摂れとか、睡眠は何時間とれとか、ということではありません。体と体の使い方の問題だけであります。体の問題といっても、胃袋がどうなるとか、肺がどうなるとか、心臓がどう脈をうつとか、というようなことではありません。そういうような医学的な面での体のことは、皆さんのほうがよくご存知だと思うからであります。

私がお話するのは、いままでの学問的な考え方では考えきれない体の問題なのであります。私たちの胸の中に肺臓と心臓があるということは、どなたもご存知ですが、それらを動かしているある働きがあることには気づかないでいる。例えば、恋愛すれば食事がおいしくなるし、好きな人に出会えば心臓が高鳴ってくるが、借金をしていると食事もまずいし、顔色も悪くなってくる。このように恋愛とか借金とかいうものによって生じてくるある働きと、肺臓とか心臓とかいうものが関係ないとはいえない。ところが胸の中を解剖してみても、レントゲンでいくら探してみても、そういうものは出てこない。だから人間の生活の中には解剖してしまったら判らない、また胃袋とか心臓とかいうように分けてしまったら判らないものがある。電報1本で、途端に酒の酔いが醒めてしまうこともありますが、どういうわけで醒めるのかは判らない。その判らないもののほうが、却って人間が健康に生きて行くということに大きな働きをもっているのです。

最近、大脳反射とか、ストレスとかいう学説が出てまいりましたが、例えば、A氏はB女が嫌いでD女が好きだということは、大脳を解剖しても、内分泌物を検査しても判らない。男は女を好悪するということぐらいしかわからないのです。学問が人間の実際生活に役立つことはもっと先のことでありましょう。

また同じ刺戟で生じたストレスも、人によっては現れ方がみんな違う。ある人は恋愛をすると食欲がすすむのに、ある人は胃袋より心臓に現れたりする。同じストレスでも、筋が硬張ったり、糖尿を出したり、尿がつかえたりする人もあれば、呼吸器のはたらきの異常となって現れる人もある。そういう違いは何によって起こるのだろうか? 人間とは個人であって、その個人個人には魚の好きな人もあれば、イモの好きな人もある。十億円の借金を背負っても平気な心臓もあれば、千円や1万円の借金を苦にして顔が青くなるような心臓もある。みんな体の傾向が違うのです。

そういう違いに立脚しないと、個人個人の健康問題は理解できない。つまり私がお話しようとする健康生活の原理というのは、そういう体の普遍的な面だけを追求していたのでは判らない人間の体、その生きているということの何らかについて、私が50数年、大勢の人を指導してきて得てきた生命観と言いますか、健康生活の哲学といいますか、そういったようなことをお話しようと思うのであります。


 

野口晴哉『健康生活の原理 活元運動のすすめ』(全生社)健康生活の原理(まえがき)より

posted by Akinosuke Inoue 23:55comments(0)trackbacks(0)pookmark


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