往来物手習い

むかし寺子屋では師匠が書簡などを元に往来物とよばれる教科書をつくっていました。
寺子屋塾&プロジェクト・井上淳之典の日常と学びのプロセスを坦々と綴ります。


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詞「人目を気にしすぎる人は・・」をめぐってのやりとり

5/11の記事で書いた詞「人目を気にしすぎる人は・・」
facebook上でいくつかのコメントを頂いたんですが、
そのやりとりがfacebookの記事として流れて行ってしまうのが
もったいない内容だったと感じたところがあり、
その部分を記事として再録しておこうとおもいます。

わかりやすいように後から言葉を補足したり、
書き換えた部分が若干ありますが、
話の骨子というか、大きな流れは変えていません。

コメントを下さった方に
こういう形でblogで再録することへの了解は得ていますが、
もともと公開を前提にやりとりしたわけではなく、
あくまでわたしと個人的というか
プライベートな一対一のやりとりのつもりで行われたものなので、
実名は記さずにKさんとさせて頂きました。
 
  ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪  

Kさん:自分が恥かいたー!なんて思ってても、人ってそんなこと覚えてもないですもんね。それが救い?(笑)

井上:極端に恥ずかしがる人ってときどきであうんですが、たぶんおもいこみが激しいというか、自意識過剰なんでしょうね〜笑

Kさん:そうだと思います(笑)。人は良くも悪くもそんなに他人のことに興味ないんですよね(笑)。でも、極端に恥ずかしがる人って、良い意味で自分に注目されたい気持ちが強い人なのかなと思います。

井上:あがり症っていうのもそうで、「人はそんなに他人のことに興味ない」って事実を認めたくないってところはあるんじゃないでしょうか。実を言うと、わたしもつい最近までけっこうあがり症だったんですが、一昨年の春ぐらいから人前へ出てしゃべったり講座の案内役をしたりするのが、あまり気にならなくなりました。ただ面の皮が厚くなっただけかもしれませんが・・・笑

Kさん:わたし、自分ではあがる方だと思ってますが、人からは全然そう見られてないみたいです。「誰かぁー、わかってぇー!」(笑)

井上:そうですね〜 人は心の動きや内面が表情やしぐさとなって外に出ることもありますが、そうばかりとも言えず、ほんとうのところは人にはよくわからないものなんですよね。わたしも「3年前ぐらいまではあがり症だったんです」って話して、「全然そんなふうに見えませんでした」ってよく言われます(苦笑)。どうやら、あがり症でないフリをするのは上手くなってたみたいです。笑

Kさん:周りの人が、私があがってるの気がつかないって、わたし、信じられません。あがってないフリも下手(笑)。でも、あがってないフリができるって、それだけ余裕があるってことで、つまり、ホントにあがってないってことなんでは?(笑)

井上:本人は、あがってないフリをしていたつもりなんて全くないんです。「井上さんがあがっているなんて全然みえませんでした」と言われたとき、「本当はあがっているんだけど、あがっていないようなフリはできてたかも」っておもったわけでして。だから内心は、全然余裕なんてないんです。でも、そういう脳内パニクったような状態であっても、余裕があるようにまわりに見せることは可能なんだって気づいたというか・・・つまり、自分が想像しているようには、まわりの人は自分のことを見てはくれない、ということでもあるんだと。だから、Kさんがどんなにあがっていても、まわりの人が気がつかないっていうのも、やっぱりそういうものだとおもうわけです。

Kさん:なるほど、フリじゃないんですね(笑)。自分が想像しているようには人は見てくれないし、自分が見てほしいようにまわりをコントロールしようと思っても多分無理なんですよね。そもそも、自分が思う「まわりの人はこう思っている」っていうのが怪しいし(笑)。わたし、自分があがってたのか、あがってなかったのかも、なんか自信なくなってきました(笑)。
余裕があるように見せかけることも可能と言えば可能で、幻想といえば幻想? あがっているということについてもそうなのかもしれず、結局自分が、今の現実はこうだと認識したことを、自分にとっての事実と受け止めるしかないのかもしれませんね。

井上:そうなんです。あがっているか、あがっていないかを判断しているのは、結局は自分の主観なんですが、その主観的判断ってヤツが甚だアヤシイわけで。判断する基準が人によっては結構ずれていて、全然客観的なんかじゃないのに、いつのまにかみんながそうだとおもいこんでしまっている。だから、良し悪しも含め、その判断を絶対化しない姿勢が賢明ではないかと。
勉強ができるかできないか、わかっているかわかっていないか、というのも、これと似たようなところがありますね。まさに観念の世界でのできごとというか、所詮幻想にすぎないわけで。
事実をどのように認識しているか、その認識を生み出しているのは自分であって、他者の認識は自分と同じではないこともあると気づいていれば、自分の認識に執着することが自分を苦しめてしまうとわかるし、手放せるんじゃないかと。

Kさん:どう思うのも自分の自由なんですもんね(笑)。
posted by Akinosuke Inoue 23:49comments(0)trackbacks(0)pookmark


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