往来物手習い
寺子屋塾&プロジェクト・井上淳之典の日常と学びのプロセスを坦々と綴ります。
その話を漏れ聞いて、非常にびっくりしました。そのような質問に先生たちが答えられないのは当然です。そこで、「ほんとにどうして殺しちゃいけないんだろう。戦争だと殺さなきゃいけないのにな」と一緒に頭を抱えてもいいでしょう。絶句して、立ちすくんでもいいでしょう。「なに言ってるんだ。そんなこと当たり前じゃないか」と、信念を持って一喝する手もあるでしょう。教師がそれぞれの心の声にしたがえば、さまざまな答えが生まれて当然です。そのときの率直な、正直な対応の仕方こそ、子どもに対する大切な教育なのではないでしょうか。 画一的にひとつのスタイル、ひとつのノウハウ、ひとつのガイドラインというものを設定して、そのマニュアルにしたがって生徒に答えを与える、そうなってしまったら、それこそ人間性は殺されてしまっているといっていい。
そのような(マニュアル的な)機械的な教育が横行しがちな中で、一人の人間的な教師の話を聞いて、とても感動しました。それは、伝統ある私立小学校の性教育の時間のことです。男女共学のその学校では、4年生のときに、男女別々に、理科の先生からセックスについての話を聞くのが慣わしでした。最近のませた小学生は10歳になるかならないかでも、すでに、セックスとはどんなことをするのかという知識は持っているそうです。そして、腕白坊主の何人かは、独身の理科の教師が答えにくいことを聞いて困らせてやろうと手ぐすね引いて待っていました。教師がひとしきり、人体図を見せながら男性の性というものを科学的に説明し終わると、一人の子どもが手をあげて、質問したそうです。 自分たちの質問の意図を承知しながら、それを真正面から受け止めて、人生の大切なことを教えてくれた先生の率直な心は生徒達にストレートに伝わりました。もうだれもからかったり、嬌声をあげて騒いだりしなかったそうです。深い温かい感動がクラス全体に静かに流れて行ったそうです。子どもたちの良心は目覚め、確かになにかをつかんだのではないでしょうか。
※五木寛之『愛について 人間についての12章』(角川書店・2003年) 第12章 新しい愛の形 より
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