往来物手習い
寺子屋塾&プロジェクト・井上淳之典の日常と学びのプロセスを坦々と綴ります。
こんど全著作集にこの本をおさめることになった。最初に公刊されてから、ほぼ2年たっている。現在もなお、続稿が書きつづけられているので、内容について、じぶんで総括する段階にはいたっていない。はじめに、けわしい山に挑むつもりで、岩場に足をかけた。すこし登ったところで、雨露をしのぐだけの空間が見つかったので、テントを張って小休止した。それが本書であるような気がする。そのあとすぐに、また登りはじめた。最初の装備が悪かったかどうか、自問するいとまもないくらいである。あの装備じゃあはじめから駄目だよ、という声と、あの装備で登高しなくてはならないんだから、気の毒だなあ、という声はすでに聞えてきた気がする。けれど、本人にはひき返す余裕もなければ、その気もない。ただ、ゆくだけである。誰だって、足場が崩れたり、天候が激しかったりすれば、途中からひき返すかもしれないし、そのまま立往生ということになるにちがいない。そんなことを気にしていても仕方ないのだ。また、装備が貧弱であるかどうかも、問題にする訳にはいかない。発注した立派な装備が届かないうちは、登る気がしないというのは、いつも、わたしには無縁な世界の通念に属している。それに、わが国の知的な通念では、この世界には、こんなに立派な装備がある、と陳列してくれる人物は、けっしてじぶんで登ったり、登高者に力を貸したりしないものである。どんなことも知的な孤独を体験しないで、できることなどない。・・・(後略)・・・ 目 次 1 心的現象は自体としてあつかいうるか II 心的世界をどうとらえるか 1 原生的疎外の概念を前景へおしだすために III 心的世界の動態化 1 前提 IV 心的現象としての感情 1 感情とはなにか V 心的現象としての発語および失語 1 心的現象としての発語 VI 心的現象としての夢 1 夢状態とはなにか VII 心像論 1 心像とは何か あとがき
COMMENT:わたしたちは「心」という言葉を日常的に、しかも頻繁に口にするし、その言葉の意味を知らない人はほとんどいないでしょう。でも、「心とはいったいなんなのか?」という問いを真剣に考え続け、自分なりの答えを出した人は、果たしてどれだけいるでしょうか。吉本隆明という人は、フロイド、ユング、ヤスパース、ビンスワンガー、キルケゴール、ハイデガーなど、同じ問いに挑んだ精神科医や心理学者、哲学者等の考察を参考にはしてもそれに依存することなく、ほとんど0から自分で組み立てながらこの難問に挑んだ人でした。この本には、まさにそうした吉本さんの格闘の軌跡が克明に記されているんだとわかって、わたしを大きく震撼させたのです。内容についてはテーマが大きすぎて安易に触れられるようなものではなく、吉本さんの真摯な凜とした姿勢を取っていただければと考え、全著作集へのあとがきと記された小文と目次をご紹介することにしました。
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