往来物手習い

むかし寺子屋では師匠が書簡などを元に往来物とよばれる教科書をつくっていました。
寺子屋塾&プロジェクト・井上淳之典の日常と学びのプロセスを坦々と綴ります。


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「ふみ便り」から25年、「楽々かわらばん」から23年

ふみ便り&楽々かわらばん.jpg

7月は「文月」で、23という数字は「ふみ」と読めますね。

きょう7月23日は、「ふみの日」なんですが、知っていますか?

1979年にはまだ郵便局は国営企業で、当時の郵政省が郵便物の利用促進を目的に制定した記念日なんです。

1992年3月に進学塾を退職し、その春から単身上京して日本CI協会の研修生となったわたしは、その年の「ふみの日」7月23日に出し始めた月刊のハガキ大通信が写真の「ふみ便り」でした。

「ふみ便り」は、わたしの戸籍名(雅文・まさふみ)の発信する個人通信という意味合いを載せてのネーミングだったんですが、ちょうどその日から今日は25年めにあたります。
 

最初「ふみ便り」は進学塾時代の教え子や知人など100人ほどに出していたんですが、CI協会という場所はとても人の出入りの多い場所でしたし、新たに出会う人がどんどん増えていって、翌年の秋ころには400枚近くになっていました。

 
その後、妻と出会い、寺子屋塾の起業は、妻との結婚生活と同時スタートだったんですが、1994年7月には、このハガキ通信の拡大版として、月刊通信「楽々かわらばん」を創刊します。
 
妻とお見合いした日が10月24日、挙式が3ヶ月後の1月24日だったことから、「楽々かわらばん」の発行日は毎月24日としました。

「楽々かわらばん」は、郵送費と印刷代の実費として年間2,400円を頂戴する有料通信でしたが、最初の年には150名ほどの方から申込を頂きました。

月刊通信の発行は若干スタイルを変更しながら結局2001年の春まで続け、公開することを前提に毎日書いて週3回発信するという作業を、1992年12月1日より約7年間続け、多少入れ替わりがあっても毎年大体100〜150名の方が読んで下さっていました。

当時はまだインターネットがほとんど普及していなくて、紙ベースの情報媒体がまだ大きな価値をもっている時代だったとおもいます。

宛名の管理や印刷など、タイヘンな面もいろいろありましたが、自ら発信することの意義や、自前のメディアを持つことの大事さなど、こうした個人通信を出すことから学んだことはとても大きいものがありました。
blogやSNSという風に形は変わっても、基本的ところは変わっていなくて、そうした地道な情報発信の結果として生まれたネットワークやつながりが、いまのわたしを支えているようにおもうのです。深謝<(_ _)>
posted by Akinosuke Inoue 23:54comments(0)trackbacks(0)pookmark


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