往来物手習い

むかし寺子屋では師匠が書簡などを元に往来物とよばれる教科書をつくっていました。
寺子屋塾&プロジェクト・井上淳之典の日常と学びのプロセスを坦々と綴ります。


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むかし書いたコラム記事から(その8)

第8回「だれもが書きたがっている」

「私は文章を書くのがとても苦手なんだけど、何でそんなにすらすらとたくさんの文章を書けるんですか?」って言って下さる方がときどきあります。
私たちは小学生中学生のとき、みんなが文章を書けるようにと作文教育を受けてきたはずなのですが、「文章が書けない」「下手だ」と思っている方がとても多いのは、いったいどうしてでしょうか?
私も小中学生のときは国語は一番苦手で、書いたり話したりするのは決して得意な方ではありませんでした。

書きたくないのに読書感想文とか、無理やりにいろいろと書かされるのはイヤでしたし、今でも人前で話すのは苦手です。

そんな私がなぜ書くことを日課とするようになったのか不思議なのですが、それでも、最初からこんなふうに書いていたわけではありません。
思い返せばそもそもの発端は、はがき1枚に収まるぐらいの文章を書いて印刷し、毎月1回まわりの人に出すことを8年前に始めたことでしょうか。

それがだんだんと分量が増え、ニュースレターになり、月1回、週1回だけでは収まらなくなって、5年前には「毎日書いて発信する」ということになっていました。
でも、その書き方はいわゆる作文とはちょっと違っていて、他人が読むことを前提としながらも上手に書くことを目的にせず、読んだ人には気づいたことや文句があれば遠慮なく言って下さいというように発信したのです。
毎日が締切りですから、ゆっくり考えて推敲している余裕がないわけですが、そのことから逆に、自分一人だけで文章を書くのではなく、ネットワーク的なつながりの中で、共同作業のようにみんなで文章を作り上げて行くようなやり方があることに気がついたのでした。

そして、さらにわかってきたことは、上手下手を評価しないという関わり方で、ただ淡々と書いて交換するという体験を積み重
ねて行くと、「自分は文章が下手だ」「書けない」と思っていたような人でも、どんどん文章が書けるようになって行くという事実でした。
書きたいと思っていない人は一人もいなくて、みんな書きたいと思っているのです。

だから、上手に書こうとしなくても、淡々と書き続けていさえすれば、だれでもその人なりに文章が書けるようになってしまう……これは大発見でした。(2000.2.27)

posted by Akinosuke Inoue 15:36comments(0)trackbacks(0)pookmark


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