往来物手習い

むかし寺子屋では師匠が書簡などを元に往来物とよばれる教科書をつくっていました。
寺子屋塾&プロジェクト・井上淳之典の日常と学びのプロセスを坦々と綴ります。


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むかし書いたコラム記事から(その10)

第10回「ずっと見てる夢」
 
※今回は「“夢”について書いて下さい」と頼まれて書いた原稿です。
 
 「夢」という言葉には二通りの意味があり、
 一つは寝てる間に見る「夢」で、
 もう一つは未来への希望という意味で使われる「夢」。
 英語では二種類の単語があるのだろうかと調べると
 いずれも“DREAM”ということ。
 
 ここで私は、
 未来への希望の意味で使う「夢」の中にも
 2種類の使い方があることに気づいたのでした。
 「ぼくの夢は野球選手になることだ」というように、
 実現させたい思いを込めて使う「夢」と
 「そんな夢みたいなこと言っててどうするの?」と
 実現不可能であることを前提として使う「夢」。
 その言葉を使う人の人生観や生きる姿勢が
 そのまま言葉に映し出されてしまうのも
 なかなか興味深いように思います。
 
 古代中国の哲人・荘子の有名なエピソードに
 ある日荘子は自分が蝶になった夢を見たが
 自分が蝶になった夢を見ている人間なのか
 人間になった夢をみている蝶なのかが
 わからなくなってしまったという話がありますが
 私も7年前に妻と初めて出会った頃にはよく
 「この夢はいつ覚めるのか?」と思ったものでした。
 
 そんなことを書くのは
 “ジェンダー”の視点がないからだと
 どなたかから怒られるのを覚悟の上で書きますが
 男はやっぱり夢を持たなくちゃ!と
 まだ見ぬ夢をあれこれ描いては
 人生そのものが夢だと思いつつ
 夢を養分に生きるバクよろしく
 相変わらず毎日をワクワク楽しんでいる
 あきのすけでありました。マル。(2000.3.12)

posted by Akinosuke Inoue 16:36comments(0)trackbacks(0)pookmark


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