往来物手習い

むかし寺子屋では師匠が書簡などを元に往来物とよばれる教科書をつくっていました。
寺子屋塾&プロジェクト・井上淳之典の日常と学びのプロセスを坦々と綴ります。


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むかし書いたコラム記事から(その11)

第11回「ワークショップは宝の山」

皆さんは“ワークショップ”という言葉を聞いたことがありますか?
多くの学校では先生が生徒に向かって授業をするという形の教育が行われ、そのこと自体に疑問を持つ人はほとんどいません。講座やセミナーなどでも、講師や先生と呼ばれる人が参加者に向かって話をするという形が一般的です。
ところが、最近さまざまな学習の場において“ワークショップ”という手法が取り入れられることが多くなってきました。

ワークは「仕事」、ショップは「お店」という意味で使われることが多いので、「“仕事を売るお店”ってどういうことだろう?」と疑問に思われている方もあるかもしれません。

“ワークショップ”にはさまざまな形があって一律に定義することはできませんが、「さまざまな作業を実体験しながら学習する場」ととらえてみてはいかがでしょうか。
こうした“ワークショップ”が用いられるようになってきた背景として、一つは今まで言葉での伝達を中心に行ってきた教育を見直そうという動きがあります。
たとえば、泳ぎ方をいくら言葉で習っても、泳げるようになるとは限りませんし、最近は英語の教科書なども、以前に比べると文法事項の習得よりも、実用的な日常会話を中心に構成されるようになってきました。
そしてもう一つは、現代にはあらかじめ正解が与えられていない難しい問題がたくさんあるということが挙げられます。

たとえば、環境問題や教育問題をこれからどうするかといった問いに対しては正解がありませんから、先生と生徒という関係を超えて共に答えを見つけ出そうとする場が必要です。
会議を開いてみても、いつも発言する人が決まっていて、最終的には地位の高い人、声の大きい人の意見が通ってしまって、何のための会議だったかわからないというのはよくある話でしょう。

また、それぞれが自分の意見に固執して対立したり、話が堂々巡りに陥ってなかなか決まらなかったりということもありますが、ワークショップの手法はこうした場面にも応用できます。
すでにある情報を一方的に伝えるのではなく、一人一人の中に潜んでいる情報をその場に引き出し、新たな情報を生み出す場であるワークショップはまさしく“宝の山”と言えるのではないでしょうか。

そして、その宝を掘り出すのは他でもないあなた自身なのです。(2000.3.19)

posted by Akinosuke Inoue 12:50comments(0)trackbacks(0)pookmark


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