往来物手習い

むかし寺子屋では師匠が書簡などを元に往来物とよばれる教科書をつくっていました。
寺子屋塾&プロジェクト・井上淳之典の日常と学びのプロセスを坦々と綴ります。


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むかし書いたコラム記事から(その12)

第12回「情けは人のためならず?」

 

有珠山が噴火を始めたと思いきや、小渕首相が突然病気で倒れて新内閣の成立と、揺れ動いて落ち着かない新学期のスタートとなりました。
5年前の阪神淡路大震災のとき、たくさんの救援物資が被災地に送られ、善意のボランティアがたくさん神戸に馳せ参じました。

そのことで困った人がたくさん救われたという面もありましたが、その陰で不必要な救援物資を償却処分するのに2300万円を要したことなどはご存じでしたか?

人から指示されなければ動けないようなボランティアは、現実には復旧作業の妨げになりますから、善意がいつも人に喜ばれ、人のために活かされるとは限りません。
今回の有珠山の噴火に関しては、「ボランティアはいりません。物資もいりません」という情報が入ってきました。

「郵政省が小包の無料措置を発表したために、同じ過ちを繰り返すのではないかと心配です。

この情報を各方面にお知らせ下さい」という添え書きが私にはとても気になりました。
いやいや、他人事じゃないんですよ。

これによく似たことを、実は私たち、いろんな場面で、知らずにやってしまっているのではないでしょうか。
子どものために良かれと思って、無理やり塾に通わせ、「勉強しなさい」を毎日飽きもせず繰り返すお母さん。

家族のために頑張らねばと思って会社で仕事一筋に働くお父さん……そうしたことが、本当に子どものため、家族のためになっているかどうか、ゆっくり振り返ったり、話したりすることもできないぐらいに私たちの生活が忙しくなってしまったのは、いったいどうしたことでしょう。
私などは、これだけたくさんの問題を抱えている日本国の首相になど、頼まれてもなりたいとは思わないのですが(もちろん努力して頑張ってもなれないでしょうが…)、激務に倒れた小渕さんの今の心境は、如何なものかと思います。
善意はもちろん大切にしなければなりませんし、悪意は困りますが、善意の押し売りは、自分の正しさを疑わないために悪意よりも厄介です。
ボランティアは他人のためではなく「自分のため」と肝に銘じ、人のためと思って頑張るのは、せめてあとで後悔しないようにほどほどにしませんか。(2000.3.26)

posted by Akinosuke Inoue 02:45comments(0)trackbacks(0)pookmark


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