往来物手習い

むかし寺子屋では師匠が書簡などを元に往来物とよばれる教科書をつくっていました。
寺子屋塾&プロジェクト・井上淳之典の日常と学びのプロセスを坦々と綴ります。


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むかし書いたコラム記事から(その17)

第17回「新聞報道に思うこと」

「高校生の主婦殺人事件」「高校生が高速バスジャック」と高校生が起こした事件が続きました。
最近の新聞の記事を読んでいて、こういう内容の記事を、読んでいる人たちは本当に読みたいと思っているのだろうか?
新聞社の人たちは書きたくて書いているのだろうか?
と思ってしまったのですが、皆さんはいかがですか?
事実を伝えるということの大切さはわかります。
でも、社会ではもっともっとさまざまなたくさんの事件が起きていて、そのたくさんの中でこうした事件を取り上げることの意味はいったい何なのでしょう。
新聞記者の人たちは、こうした事件を記事にすることで、私たち読者にいったい何を伝えたいと思っているのか、ときどきわからなくなってしまうことがあります。
私は週1回このコラムを書くと決めていることで、「私は読んで下さる皆さんにいったい何を伝えたいんだろう?」といつも考えざるを得ないわけですが、私にとってはこうした時間がとても貴重です。
私は、自分が大切だと思うことについて書いてみても、それが良いかどうかという判断は読む人にゆだねるように心掛けていますが、それでもこうして書くことによって、ひとつの価値観や考え方を押しつけたいと思っているいろいろな自分が見えてくるからです。
「情報化時代」と言われ、情報の価値をいろいろ説く人はいますが、洪水のように押し寄せる情報の波の中で、自分で取捨選択し判断する力を持たないと、その波の中で溺れてしまうことにもなりそうです。
事実を伝えているように見えるどんな情報も、実はそれを書いた人によって編集されているからです。
どんなに客観的な事実情報があったとしても、100ある事実の中からひとつの事実を取り出すということがすでに編集だからです。
また、皆さんは“メディア・リテラシー”という言葉を聞いたことがありますか?
日本語に訳すと「情報を読み解く力」というような意味なのですが、インターネットの普及などに伴って、子どものころから、「情報を読み解く力」を育てるような教育が必要と説く人が日本でも増えてきたようです。
このメールマガジン“ぴけ”も情報のひとつですし、私のこのコラムで書いていることも、私という人間によって編集されているわけです。
ですから、私がこうして書いていることは、ゆめゆめ、そのまま鵜呑みにしてはなりませぬゾ!(2000.5.21)
posted by Akinosuke Inoue 22:49comments(0)trackbacks(0)pookmark


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