往来物手習い

むかし寺子屋では師匠が書簡などを元に往来物とよばれる教科書をつくっていました。
寺子屋塾&プロジェクト・井上淳之典の日常と学びのプロセスを坦々と綴ります。


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むかし書いたコラム記事から(その18)

第18回 「“自分で決める”ということ」

※今回は趣向を変えて詞の形で書いてみました

「なぜあなたはこの世に生きているのか?」と問われたら
「私がこの世に生まれたいと思ったからだ」と答える。
生まれたこの時代もまわりの環境も両親もみな私が自分で選び、
自分の意志で“決めて”生まれてきたのだと思うようにしている。
 
なぜなら、時代も環境も両親も
自分の力ではどうにもならないし、
元に戻ってやり直すことなどできないからだ。
ところがこの、自分の力でどうにかできることと
絶対に自分の力でどうにもならないこととの区別は難しい。

だから、あれこれいろいろやってみて
どうにもならないことをどうにかしようとすることほど
無駄で愚かなことはないと
自ら気づくしかないのだが、
幸いこのことに気づけた私は、
与えられた条件をどう生かすかは自分次第だとわかり
自分のやることが次第にはっきりしてきて
生きるのがとても楽になった。

しかし、私自身がこのように思うことで
楽に生きられるようになれたからといって
他の人はそうとは限らないから、私の考えを押しつけるつもりはないし、
「あなたはどうしたいのか?」と問うことしかできない。

いろいろやってみてもうまく行かず、
行き詰まってどうにもならない事実につきあたったときにこそ
自分の課題や生きるテーマが見えるのだから、
それが見えたらあとは、
「私はどうしたいのか?」を自ら問いかけ
自分の位置を定めて今できることからやっていくしかない。

だから、どうするのかを“決める”ことが
楽に生きるための第一歩。(2000.5.28)
posted by Akinosuke Inoue 22:02comments(0)trackbacks(0)pookmark


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