往来物手習い

むかし寺子屋では師匠が書簡などを元に往来物とよばれる教科書をつくっていました。
寺子屋塾&プロジェクト・井上淳之典の日常と学びのプロセスを坦々と綴ります。


<< むかし書いたコラム記事から(その24) | main | むかし書いたコラム記事から(その26) >>



むかし書いたコラム記事から(その25)

第23回「教育改革国民会議の行方は?」

「教育改革国民会議」の報告が新聞記事に出ていました。

共同生活による奉仕活動の義務化、教員の評価制度、早期教育導入というような内容が示されていましたが、皆さんはこれをどう思われましたか?
小中学生や17歳の殺傷事件、学級崩壊、大学生の学力低下など、教育の荒廃が叫ばれています。

特にマスコミがこうした問題をセンセーショナルに取り上げることもあって、昔に比べると人間の質が大きく変容し、あたかも社会が荒廃してきているような印象を多くの人が持ってしまうのは無理もありません。
しかし、私は社会が荒廃してきているという見方については疑問を感じています。

時代に合わなくなった今までの社会制度や古い規範が部分的に崩壊しているのは事実ですが、その一方では注目すべき新しい動きが起きていますし、本当にこうした一連の事件が現在の教育制度に問題があるために起きているのかというと、必ずしもそうではないように思うのです。

確かに現在の教育制度はいろいろな問題を含んでいますし、改めるべきところは改めるという姿勢は大切ですが、教育は決して万能薬ではなく、できることとできないことがあるはずです。
神戸で酒鬼薔薇事件が起きた直後に“心の教育”という言葉が盛んに使われました。
また、今回の報告を見ても「家庭の教育力の低下が今日青少年の凶悪犯罪の増加を生み出している。だから、家庭でしつけをきちんとしなければいけない」という発想が感じられるのですが、本当にそうなのでしょうか。

「家庭の教育力は本当に低下しているのか?」「青少年の凶悪犯罪は増加しているのか?」といったテーマについて、きちんとした裏付けのあるデーターをもとに考察することなく、マスコミの報道などによって私たちが勝手に作り上げたイメージを事実のように思い込み、これからの教育のあるべき姿を論じるのは非常に危険だと思いませんか?

今までの規範を反省して新たな規範を作ってみても、さらに新たな歪みが生まれるだけで、根本的な解決には結びつかないと思います。

私たちは神様ではなく、仮に完璧な教育制度が完成したとしても、それに依存する私たちが不完全な人間であることに変わりありません。

ですから結局は、誰もが間違いを犯し得る存在だと私たち一人ひとりが自覚すること抜きには教育改革などできないと思うのですが、どうですか?森さん!(2000.7.17)

posted by Akinosuke Inoue 14:45comments(0)trackbacks(0)pookmark


この記事に対するコメント











この記事のトラックバックURL
http://ouraimono.terakoyapro.net/trackback/1400449