往来物手習い

むかし寺子屋では師匠が書簡などを元に往来物とよばれる教科書をつくっていました。
寺子屋塾&プロジェクト・井上淳之典の日常と学びのプロセスを坦々と綴ります。


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らくだメソッド1年9ヶ月のふりかえり

マトリョーシカ

 

7/5から7/10までのこのblogでは、寺子屋塾生・本田信英さんが

3ヶ月毎に書かれているふりかえりの文章をまとめてご紹介しました。
 

 

その続編「らくだメソッド1年9ヶ月のふりかえり」が8月のお盆過ぎに届きました。

 

冒頭、本田さん自身が書かれている通り、いままでのふりかえり文の中でもっとも長い力作です。
 

 

7/10付けの記事にアクセスしていただければ、
これまでのふりかえり分のすべてを読むことができますので、

本田さんのふりかえり文を今回読むのが初めての方は、
先にこれまでの文章を読まれることをお薦めします。

 

らくだメソッド1年9ヶ月の振り返り
 

 

 最初に断っておくが、この文章は長い。

 取り扱っている内容と照らし合わせれば短くなるべきなのだが、自分の思考の変化を「具体的に」記しておきたかったので、長くなってしまった。しかし、この3ヶ月の発見は私の人生にとっても大きな変化をもたらすものになったので仕方ないのかもしれない。

 

 今の私にとってキーワードをあげるとしたら、間違いなく「抽象思考」だ。

 

 というのも、この3ヶ月はほぼずっと因数分解のプリントをやり続けていたからだ。

 昨日解いた問題が、今日はロシア人形のように入れ子式になって、すっぽり収まってしまう。どんどん次元が上がっていくことに戸惑いを覚えながらも繰り返すうちに、自分の思考の抽象度が上がっていくのを感じた。

 

 

 正直に告白すると、これまで私は数学をやる意味がずっとわからなかった。

 なんで数学やるの?

 数学って問題を解くためのものでしょ?

 らくだメソッドをやっていても、数学を学ぶためというよりも、自分自身の癖を浮き彫りにして、修正していくためのツールだと捉えていた。

 けれど、最近ようやくわかりつつある。数学の問題を通して、抽象思考を身につけているのだ。

 

 具体的なものから数を抽出する。掛け算は足し算を抽象化したものだし、因数分解では記号を使った一次式、二次式、三次式とどんどん抽象度が上がっていく。

 すると今までは見えなかった風景が見えるようになるのだ。それは辿り着くまでは決して見ることのできないものだ。

 例えば、因数分解の三次式が解ける人にとっては、二次式の因数分解はなんでもないが、その逆はわからない。

 階層的にわかれた抽象と具体の世界は、上から下を覗くことはできても下から上を覗きこむことはできない。

 

 そうした体験をして、翻って自分を見てみると、私はもともとの思考の抽象度が低いことに気づいた。

 話をしていて具体例を出すのは得意だけれど、理論を理解・説明することはとても苦手。

 

 それは「抽象とはなにか」がまったくわかっていなかったから。

 

 私はこれまで抽象化することは「曖昧にする」というような意味だと思っていた。

 つまり、ピントがずれるように、本質から外れ、輪郭がぼやけていくようなものだと感じていた。

 けれど、実際のところはそうではなかった。

 むしろ、抽象的になることは本質に迫ることだった。抽象化とは、複数の対象から似たものを抜き出すことだけれど、本質を見極めなければ共通点は見えてこない。

 例えば、野球、サッカー、卓球の共通点を一言で説明する時に「靴を履いている」と言うのは、具体的な見た目だけの話で、競技として大事なのはそこではない。「球技」と言うためには抽象化の能力が必要だ。

 抽象度が高まるごとに無駄はどんどん省かれていくので、抽象化することはシンプルになるということでもある。

 それがゆえに汎用性が高く、色んなことに適用できるから、多くの人に響くのだ。

 

 近年、ファシリテーターの人と関わるようになって、そうした人達はことごとく数学に強かった。それはただの偶然だろうと思っていたのだけど、そうではなかったと今ならわかる。

 全体を俯瞰的に捉えようとすると、どうしても抽象思考が必要になってくる。

 

 そして、抽象思考は特別な人だけが持っていればいい、というものではない。全ての人に役立つ能力だ。

 私達の身の回りで起こっていることと一見関係ないように見えて、密接にリンクしている。生きづらさや苦しさを抱える人ほど抽象思考が必要だ。

 なぜなら、その能力は人間関係にも適用できるからだ。

 既に書いた通り、抽象化することは似たものを見つけ出してまとめていくことだ。

 他者の中に自分と同じものを見つけること。それは共感能力にほかならない。

 他者に対しての不満を覚え、優しくできないということは「わたし」という具体的な視点から離れられないことによって起こる不幸だ。

「他人に親切に」と言われたって、異物として他者を捉えているうちはまったく腑に落ちない。

 そこから抜け出して、一段高い視点に行かなくてはいけない。

「私とそれ以外」から「私達」へ。

 その視点がどんどん上がっていけば、悟りやアドラーのいう共同体感覚にもつながるのだろう。

 つまりは「わたしとあなた」をより身近なものとして認識できる。

 

 とにかく抽象的思考が身につけば、色んなものが説明できてしまう。

 なぜ私達が子どもに対して苛立ちを覚えてしまうのかといえば、子どもが抽象的思考を育んでいる途中だと言うのが1つの理由であり、同時に大人が子供の抽象度まで降りていくことができていないからでもある。

「今日なにしてた?」「なにもしてなかったわ」という大人の何気ない会話も、実は高度な会話だ。

子どもに同じ質問をすれば、「まず起きてテレビ見てね、それから太郎くんとプールに行って」のような答えが返ってきて、「いや、わかった。もういいよ」と大人は話を切ってしまう。

 抽象度の世界観が違うことはお互いにとってストレスが溜まる。

 

 ただし、抽象度が高ければいいという話ではない。それは共感のための必要条件ではあるけれど、十分条件ではない。抽象化するためにはその対象がいるからだ。

 いつだって出発点は「わたし」である。そこを見失ってしまうとなにをしたいのかもわからなくなってしまう。

 抽象度が高すぎると「世界平和」のような具体的になにをするのかよくわからないものになってしまう。

 

 だから、算数・数学でやっていることは、具体的な問題を通して、抽象化する能力と具体化する能力の両方を養っている。

 抽象化することで、世界との繋がりを感じられる。そして、その繋がりを感じながら私達は現実という具体の世界を生きていくのだ。

 

 私がらくだメソッドで学んでいたのはそういうことだった。

 1年9ヶ月やってようやく説明できるレベルになってきたのは、はたして早いのか遅いのか。

 それはわからないが、2017年の6月から8月にかけては立て続けに具体と抽象が自分の中でカチカチとはまった。記録を見直してもわかる。

 

6/3 高1-11(14分)17:31

かなり良いペースで解けていて、これは一発クリアもあるか、と思っていたけれど、最後の問題で計算ミスをして、余分な時間がかかってしまった。それにしても、因数分解って凄い! そうか、こうやって何に注目するかで解き方なんていくらでもあるんだ。これはロマンがある。数学の面白さというものがちょっとずつわかってきたかもしれない!
 

 

7/12 高-19(20分)22:07

目の前の問題に真摯に取り組む。他のことは頭の外に追いやり、真剣に一つのことに集中すればやがては道は開ける。それが徐々に確信になりつつある。私の中にはあるのだ。積み上げてきたものが!
 

 

7/21 高-20(20分)24:33

さっぱり意味がわからなくて、大変だ。色んな解き方があって、その中で最適な方法を瞬時に選べるようになる訓練をしている。そうだよな、問題が解けるようになることが目的じゃない。物事への取り組み方考え方を学んでいるのだ。視点の多さも含む
 

 

 これらは毎回プリントを終えてから書いているメモ。

 文章の端々に、数学の問題そのものとは離れた感想が見受けられる。それは思考が抽象化してきた証拠でもあるだろう。

 

 そして、その中でもある日のメモは特に印象に残っている。
 

 

6/22 高-14(16分)30:05

どう考えてもクリアするのが無理だとわかっていたから、30分測って、それでできなかったぶんは答え見ながらやった。

答え合わせしてたら不意に涙が出てきた。くそう、勉強が楽しい……

学生時代はあんなに苦痛だったものが楽しいよう。

プリントは間違いだらけで問題数の半分近くわからないのに楽しいよう……

気づきがあるとかそんなことじゃなくて、問題が解けるということが喜ばしいよー!わからなかった問題が解けることが嬉しいよー!間違えた問題の解き方がわかることが楽しいよー!

高校入って間も無い頃からずっと止まっていた時間が動き出している。嬉しいのか切ないのか、よくわからないけれど、涙がにじむ。こんなん初めて知った。知れてよかった。
 

 

 自分がなんのために、なにをやっているのか。

 それがわかってくると、目先の結果に感情が振り回されることもなく、心の底から楽しさと喜びを味わうことができる。

 

 わかるから楽しい。わからないから楽しくない。

 そういうのはもういいじゃないか。

 やっていることが、起こっていることが楽しいのだ。

 

 私にはまだまだ見えない世界がある。そこをただ見てみたい。

 それは「ワクワク」とはちょっと違う。

 

 呼吸と同じようにこれをしたいと自覚する前に、既に身体が動き出してしまうのだ。

 意識が言っているのではなくて、生命が欲しているのかもしれない。  (2017.8.21
 

 

 

COMMENT:今回のふりかえり文の主軸となっているテーマは、「具体と抽象」なんですが、らくだメソッドで実際に学習していない人には本田さんの実感は伝わらないとおもいますので、「具体と抽象」についてはこちらの本を読まれることをおススメします。

細谷功・具体と抽象

この23年間に400余名の塾生がらくだメソッドで学習しながら、内容は算数・数学なのに、生きることに苦しみを感じていた人がラクになっていったり、不登校だった子どもが、学校へ行くことを奨めたわけではないのに自分から学校へ行くと言い出したり、何をしていいのかよくわからずもやもやしていた人が自分の道を見つけられたり・・・ということが起こって行くのか、わたし自身不思議におもうことがしばしばでしたが、それが何故なのかが、この本田さんのふりかえり文や、細谷功さんの「具体と抽象」を読んで、ようやく腑に落ちたように感じています。

 

posted by Akinosuke Inoue 23:41comments(0)trackbacks(0)pookmark


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