往来物手習い

むかし寺子屋では師匠が書簡などを元に往来物とよばれる教科書をつくっていました。
寺子屋塾&プロジェクト・井上淳之典の日常と学びのプロセスを坦々と綴ります。


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できないことを根性や努力で解決しようとしない

現在の寺子屋塾は、成人(社会人)の塾生が8割以上を占めています。

次にご紹介するのは、

今から10年ほど前にらくだメソッドで学習を始められた

成人の塾生のひとりが、

学習開始後間もない頃に感想として書かれた文章です。

 

ちょっと長いですが、寺子屋塾に関心のある方はぜひ読んでみてください。


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いまだに1枚もしてせず、記録表も送っていない私が、「できない」ということで気づけたこと。


私は、どうやら、こういう「できない」ことに対して、根性や努力で解決しようとは考えないらしい。

私は、新しい習慣を取り込むときは、

「続けるためのシステム」をつくろうと考える癖 があるみたいです。

 

特に、今回のように、強制ではなく、自主性に任されたものを習慣化させるには、

「頑張らなくても続けられるシステム」を構築することが肝心になってきそう。


考えてみれば、mixiを使って日記を書き始めた時も、

書こうと思ってから書き始めるまでに半年以上かかりました。

 

その間に何をしていたかというと、

「書き続けるためのシステム」を考え続けていたわけです。

 

日記にも書いてあることですが、自分のネットワーク環境をWeb2.0化させたのも、

このシステムを構築するためです。

 

もっともしっくり来るシステム環境を構築するのに半年かかったわけです。


ところが、今回らくだメソッドをするにあたっては、

システム構築云々以前に、まずしなければならなかったことがありました。

 

部屋の掃除です。

らくだのプリントを広げるスペースは、

何と!床の上にすらなかったのです。


ちょうど今月の部屋は、人生史上最大の部屋の散らかりようだったのです。

TVのワイドショーで「ゴミ女」とか「ゴミ屋敷」とか見たことありましたが、

まさにそんな感じ(笑)。

 

「男やもめだから仕方ない」という言い訳が全く通用しないぐらい、

人間性が疑われても仕方ないくらいの散らかりようでした 。


それをクリスマスイブに片付けました。

サンタが何人も家に来てくれたかのような袋の山がうず高く積まれましたと、

こんな話を井上さんにしたら、

「らくだで学習している子どもの中には、

らくだをやり始めてから自分の机の上の整理整頓が

自分でできるようになった子がいるんですよ。」

と言われたのです。

これ、私、分かる気がします。


実は、まだシステムは出来上がっていません。

次の課題は、

「部屋の散らかり具合を、らくだに影響のない範囲でとどめておくための

 ネガティブ・ フィードバック・システムを構築すること」。

 

それと、これがたぶん一番大事なキーだと思っているのですが、

「2週間おきの返送日にきちんと封筒を出しに行くシステムを構築すること」。


この2つができると、らくだメソッドは、

「努力せずとも継続できる」ことに大きく近づくだろうとなどと思っているんですが、

さて、そんなうまい具合に行きますか…


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それにしても、誰からも強制されない状態の中で、

何の変哲もない算数の計算プリント1枚を日々やり続けるということを、

自分の生活のなかに位置づけようとすることで、

どんな葛藤や変化が起きるのか。

また、できるようになることを主目的にせず、できない体験がなぜ大事なのか、

できない体験をふりかえり、

そこから目を反らさずに自分を見つづけることで

気づくことを大切にするプロセスとシチュエーションが

非常に具体的によくわかる文書ですよね。


このblog記事に載せることを、

ご本人から了解を得ていないので、匿名としておきますが、

facebookでもわたしと共通のお友達が100名以上ある方ですし、

その当時に寺子屋塾で学習されていた方とはmixiを使って内容を共有していましたので、

その方をリアルに知っている人には、

名前を書かずとも誰が書いた文書かすぐにピンときてしますよね〜。

そうそう、あの人です。はい!(笑)


私は生徒に対して、「頑張れ」という言葉をほとんど使ったことがありません。

ここにいみじくも書かれているとおり、

「目の前の課題に対して、根性や努力で片付けようとするのでも、

 諦めるのでもない、第3のアプローチで続けられるやり方を模索する」というのが、

寺子屋塾の学習の特質ではないかとおもっています。

 

そして、そのためには、自分のやろうとしていることが

「できない体験」に直面するというプロセスが

なぜ不可欠であるのかはすこしはおわかりいただけたでしょうか?

posted by Akinosuke Inoue 23:55comments(0)trackbacks(0)pookmark


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