往来物手習い

むかし寺子屋では師匠が書簡などを元に往来物とよばれる教科書をつくっていました。
寺子屋塾&プロジェクト・井上淳之典の日常と学びのプロセスを坦々と綴ります。


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塾生が書いたblog記事から

寺子屋塾に最近入塾した人たちがたまたまなのかもしれないんですが、塾生でblogを書く人が増えてきました。

教室で提供しているメニューはいわゆる狢慮崖惱瓩任垢ら、自分が体験したことをふりかえるプロセスがあるかどうかで、その学習の効果が格段に違ってくることということは明らかだとおもいます。


でも、そのことがわかっているのにもかかわらず、blogなどのメディアを使ってふりかえりの文章を書くことを、わたしが塾生全員に義務づけようとはしない理由のひとつは、ひとそれぞれに成長していく段階が違っていて一律ではないのが当然だという考え方があるからです。


しなければならないこととして他律的に決められたことに従ってやることと、してもしなくてもどちらでもいいという条件のなかで、自分の意志でやると決めてやり続けることとは根本的に異なることで、寺子屋塾としては後者の姿勢を大事にしたいんですね。


さて、今日も昨日に続いて、塾生が書いているblog記事をご紹介。blogに実名も年齢も公開されていないので匿名としますが、寺子屋塾で今年4月から学んでいる女性が、塾のことについて8/4に書いていた記事です。
 

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寺子屋塾(らくだメソッド)

今日は通塾日。
 

あの場が楽なのってなんでだろう。
 

ある程度本音で話し合えるから。自然体でいられるから。
 

年齢も職種も様々で特に共通点があるわけでもないのに、それぞれの違いをそれぞれが受け入れ合っていて、オープンな状態で話が出来る。それも甘えたり依存するでもなく、かといって突き放されるでもなく適度な…いや、絶妙な距離感を保ちながら。実社会がこんな感じだったらどれだけ良いだろうと思う。


何気ない話、普段から気になっていたことから、自分が本当に悩んでいることまで、様々な話をしたり聞いたりすることが出来る場。そして更に建設的な方向に向かうことが出来る場。私の場合は特に精神的に“疲れてるな、しんどいな”と思う時ほど行った方がいい。行く前と行った後では表情が変化している。


やっぱり社外の人たちと接する機会は定期的にあった方がいい。

 

仕事だけになってそれが全てになってしまうと、どうしても凝り固まってしまう。考え方が偏ってしまう。

 

それが利害関係のない人たちだと尚良いと思う。


友達とも違う、仲間たち(と言葉にするとなんだかこそばい!笑)の存在って、自分を客観的にみるきっかけになって良いなと思う。そして何より心強い。人はそもそも評価の対象ではないから。


これがアドラーのいう『縦ではなく横のつながり、併走者(の存在)』ってことなのかな。

 

posted by Akinosuke Inoue 21:12comments(0)trackbacks(0)pookmark


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